第二十六話

 ゼストとレディオルの再会はレディオルの自宅で行われた。家具も碌に無い一軒家はゼストからすれば倉庫と変わりがなかった。案内状は店の会計台に置かれており、レディオルが店から立ち去る際に残していた。


「君にも取引を持ちかけよう。君が素直に出頭してくれれば今すぐロットに薬を飲ませる。そうしなければ彼女はこのまま俺の腕のなかで息絶えて晶石になる」


 トワイライト家から連れ出されたシャルロットの顔色は蒼白だった。フロワとの会話から意識も戻らずか細い呼吸だけを繰り返している。

 命の取引にゼストが動揺することはなかった。自信の一番の弱味がシャルロットであることも、レディオルがそれを利用してくるであろうことも折り込み済みだったからだ。それでも苛立たしいことには代わりなかったのだが。


「……結局は脅迫か。もう少し理性的な話し合いを期待してたんだが」


「それが望ましかったけれど、君に説得は効かないと思ってね」


 病気の恋人を胸に抱き、無力を訴えるような青年だったなら言葉も力を持っただろう。


「自分のために無関係の人々を理不尽に殺めるような悪党に容赦はいらない」


 ゼストは既に多くの人間を手にかけている。動機自体は愛に依るものでも一切の躊躇いも無しに人を殺しすぎていた。


「友人として、君には速やかに罪を認めてほしいんだ。出頭でもしてくれれば裁判官からの心象もいくらか良くなる」


 レディオルの申し出に耐え切れないといった調子でゼストは笑い出した。おかしさが溢れた訳ではない、嘲りのための笑みだった。


「友人なんて、よく言えるな。最初から疑っていたくせに」


 思えば最初の出会いから不可解だった。運動が苦手で、暗所恐怖症を患っているために路地に逃げ込めもしないフロワをどうすればゼストたちの店まで捕まえずにいられる。彼が通れるのは大通りのみで白髪が目立つために見失う方が難しい。聴取でフロワを驚かせてしまったことも、印象に反して存外常識的な振舞いができることを知れば不自然だった。

 ゼストの友人は正直な捻くれ者だ。目敏いこの男なら会話の最中にフロワが親しい人間を庇っていることを読み取るのは容易かったはずだ。


「あの下手くそな寝た振りは家捜しの代わりか? 血管に酒でも打てばよかったな」


 意識の有無で人の体は重心が変わる。寝台に運ぶときに掴んだ体は確かに意識を残していた。


「親しくなって君たちを理解したかったんだ。どうにも俺には難しかったけれど」


 心底残念だという調子のレディオルの様子はゼストを苛立たせた。そして改めて、己にとってこの男が好ましくないことを自覚した。


「御託は終わりか? そもそも俺は詰んでるんだ。力づくで捕まえればいいだろう」


 そもそもシャルロットの命さえ助かるのなら、ゼストは自分自身が何年牢に繋がれようが知ったことではない。生きてさえいればいくらでもやり直すことができる。


「この話し合いに何の意味がある。お前の故郷ではどうだったか知らないが、言葉で人は変わらない。人はそれぞれ信じたいものだけを信じるんだ」


 レディオルが言葉一つで人を扇動出来ることを知ったうえでの挑発だった。特別なものを持たない小市民であるゼストには影響が強く、その一挙手一投足の全てが気に障った。


「随分嫌われてしまったな。俺は君のこと好きなのに」


「一個人としてじゃない。人であるのならばすべての人間はお前の好意の対象だ」


 ゼストにも覚えがあった。シャルロットに好意を寄せる前、村の人々を平等に大切に思っていた頃。


「俺を昆虫か何かと勘違いしてないか」


「そっちの方が有り難かった。虫は俺とシャルロットの生活に口を挟んでこないからな」


 未だレディオルの腕の中に収まるシャルロットの呼吸はかすかだ。日増しに悪化していた病態だ。ゼストとしては薬があるなら早々にシャルロットに飲ませて欲しかった。レディオルの話は続く。


「手厳しいな。一応君たちの悩みを解決する薬を持ち込んだのは俺なんだけどな」


 胸襟の裏に隠していたらしい栓付きの試験官がレディオルの手に握られていた。ポーションに似た輝きを持つ薬液がゼストの思い出したくもない過去を呼び覚ました。


「その自覚があるならさっさとその薬を彼女に飲ませろ」


 ゼストとしては力づくで奪ってシャルロットに飲ませることも考えたが、手に持っているものが本物とは限らない。仮に本物だとしてもレディオルの力は強くもみ合いになった際のどさくさで試験官が割れない保証も無かった。


「まだ猶予はある。問答の時間は残っているよ」


(理解できないとは思っていたが、序の口だったか?)


 フロワがレディオルの側に付いたならばシャルロットの看病を行っているのは彼の筈だ。そのフロワがこの問答に待ったをかけていない以上、シャルロットの容体は安定していると言える。だが、普通の人間であれば苦しみに喘ぐ者がいれば一刻も早く助けようと心を砕くものではないのか。


「別に俺は君をおかしな奴だとは思っちゃいない。」


 ゼストとしては目の前の男こそがおかしな人間だったが、話は続いた。


「現実世界でだって恋愛は自由だ。愛犬と式を挙げることも世界一有名な壁を愛することも許された。意思のない死者を伴侶に迎えることだってできる。愛に生きること自体は忌避されることじゃない」


「御託を並べるな。お前と喋ってると頭がおかしくなる」


「気狂い同士仲良くした方が賢明だと思うけどね」


 レディオルはシャルロットの唇を撫でた。されるがままの最愛を目にしたゼストは奥歯を砕けんばかりに噛み締める。

 この男は何がしたい。いくら人らしく振る舞っていても、表面上の性格に似たものがあろうと、有り様がゼストとは根本から異なっている。

 怪訝な顔をするゼストに自然すぎる微笑みを向けながらレディオルは語る。


「ただ、分かりたかっただけなんだよ」


 柔らかく抜けるような、無垢の花弁を思い起こさせる表情だった。見るものが見れば心を揺り動かされ、心内を詳らかにしてしまうような清さがあった。


「それで素直に教える人間がいたらお目にかかりたいな。出頭でも何でもしてやるから早くその薬をシャルロットに飲ませろ」


 生憎と苛立ちの渦中にあり、最愛の命を文字通り握られているゼストには神経を逆撫でする以上の作用が働かなかった。


「……うん。僕だって彼女を死なせたいわけじゃないからね」


 頑ななゼストにレディオルもこれ以上の対話を諦めたのか、手元で所在無げに揺らしていた試験官をゼストに投げ渡した。

 ぞんざいな扱いにゼストが顔を顰めれば、元の作り物めいた完璧な笑顔でレディオルは続ける。


「本物は屋根の上にいる俺の鳥に持たせてる。それの中身は色が違うだけのポーションさ」


 この男が嫌いだとゼストは明確に自覚した。

 指笛を鳴らさんとレディオルが口許に繊細な指を宛がった瞬間、扉が無遠慮に開かれる。

 憲兵だった。

 エヴァンと同じ制服を身に付けてはいるが年齢はいくらか上の彼らは言葉も無くレディオルを取り押さえた。縄を胴に巻かれながら考えが纏まったレディオルはこの状況の元凶にあたりを付けた。

 無言のまま彼らは仕事をこなしていく。拘束が粗方済むとそのままレディオルを建物の外へ連れ出す。

 開け放たれた扉を呆然と見遣っていれば今度はエヴァンが入ってきた。腕にはきょろりとした目付きの大鳥が止まっている。脚に括りつけられた牛革の小物入れが外され、中身の薬瓶がゼストに手渡される。


「どうぞ」


 ゼストは意味が分からなかった。エヴァン・トワイライトは間違いなく失踪事件の犯人を捜していたはずだ。レディオルとともにゼストたちの家に訪れ、白々しいやり取りの始まりから終わりまでをその耳で聞いていたのだ。


「トワイライトさん……?」


「シャルロットさんが薬を飲まれましたら、あなたを然るべき場所にお連れします」


 憲兵らしく続けられた言葉にゼストはむしろ安堵し、肩に入り続けていた力を抜いた。レディオルという存在はゼストにとってあまりに読めず、気を張っていたのだ。


「……ありがとうございます」


 何故レディオルが連れていかれたのか、友人であるはずのエヴァンが抗議も無く見送ったのか。分からないことは多くあったがゼストにとってあまり重要ではなかった。受け取った瓶の蓋を開け、シャルロットの口許に注ぎ込む。

 ポーションとは異なり、薬液が触れた端から消えていく。たちまちに空になった瓶に半信半疑になりながらシャルロットを観察していると呼吸の音が変わったことにゼストは気付いた。あばら家に風が吹き込んだような、人を不安にさせる音がしない。信じがたく胸に耳を寄せれば心臓も規則正しくとくりとくりと脈打っていた。

 理解できない現象だった。この世界がゲームの中で、ゼストのいない遠い未来にはプレイヤーが闊歩するRPGの舞台になると頭では知っている。だが、ゼストの価値観は現代社会を生きていた頃の物に寄っているため、あまりにも現実味の薄い奇跡だった。

 爪が薄紅に色付いている。土色のこけた頬に久方ぶりに血が通って、遠い日の思い出までも蘇ってきたようだ。


「……フロワに、会計台の引き出しを開けるよう伝えていただけますか」


 緑色の目を細め、晴れやかな顔でゼストは笑った。これ以上の幸福は無いと示す様さまに、エヴァンはゼストという青年に初めて会った心地がした。


「伝えさせていただきます。では、ご同行いただいても?」


「もちろん」


 ゼストの足取りは軽く、連れ立って歩く二人の青年はそのまま憲兵たちの集う詰所へと歩を進めた。

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