第二十一話
眠りはシャルロットにとって波乱に満ちたものだ。穏やかな記憶に包まれ朝を迎えられる日もあるが、今回の眠りは五年前の事故の顛末をそっくりそのまま思い出させた。
馬車の事故はあまりにも突然でシャルロットたちの中身を一変させた。
事故の後、シャルロットは深い眠りについた。七日間にわたる眠りの中シャルロットは記憶の引き出しが壊れてしまったことを知覚した。
今までもこの世界が前世で楽しんだ乙女ゲームの中であることは自覚していたが、荒れ狂う波のごとく情報が押し寄せ改めて整理されていった。
主人公のイネスが四人の攻略対象と出会い、希薄だった感情を育てていく成長と恋愛が描かれている物語だった。
前世のシャルロットは物語を楽しむことが趣味だった。その結果、小説、漫画、ドラマ、ゲーム。物語を楽しむことができれば見境無く収集を繰り返していた。『箱庭の雫』もその中のひとつで、全ルート全選択肢を回収する程度にはプレイしていた。
前世と今世の己の自我が混ざり合い客観的に半生を振り返った結果、シャルロットは自分がゲームのサブキャラクター、『ロット』に転生していることを自覚した。
攻略対象が四人のゲームにおいてロットは数合わせだった。大抵の乙女ゲームの共通ルートでは誰と行動を共にするかの選択で好感度が変わる。
五人では余りが出るが主人公とロットを含めて六人になれば収まりが良い。
サンプルボイスは一種類。集合絵以外のスチルも無い。そんな典型的な非攻略対象キャラクターだった。
(まさか女子だったとは思っていなかったけれど)
公式サイトのキャラクター紹介に性別が明示されることはほとんど無い。攻略対象のゼストと特に親しいこともあり、いわゆる”弟分”キャラとして定着していた。
(けれど腑に落ちることもある)
ゼストの回想には故郷の村で親しくしていた友人たちが登場する。同い年のロブ、サラ、シャルロット。特にシャルロットとは親の仕事の兼ね合いもあり親しくしていたことが描写されているが、ゼストが本編中で彼女の話題を口にすることは無い。
あまりに徹底していたので有志による検証も行われたが、各ルート・公式サイト・SNS等の全てにおいてゼストが現在のシャルロットに言及する台詞は存在しないという結論が出た。
(だから、シャルロットは既に亡くなっているかもう村にはいない、というのがファンの定説だった)
主人公と仲を深めていく内にゼストは過保護な一面を見せてくる。個別ルートに入るとその傾向は顕著になり、失踪事件が起きている外へ出ることすら許可が出ない場面すらあった。対話を重ねエンディングまで辿りつけば次第に家族のような遠慮のない健全な関係に戻っていくが、歳の近い女性との関係にある種のトラウマを持つと解釈されていたのだ。
(ロットはシャルロットの弟、というのもファンの決めつけだったのかしら)
似通った顔立ちと名前、そして何より山吹色の瞳という共通点を持つ二人の登場人物は当初から類似性が指摘されていた。ロットがゼストと同様にシャルロットのことに関して一切語らないこともあって彼女の話は両者のタブーであるとプレイヤーたちに認識されている。
(前提が覆れば、仮定は全てひっくり返る)
ロットの正体こそがシャルロットだ。
共に村を出て都で店を構えていたから、彼女に対する言及は無かった。村での彼らの様子を知るものは本店で働いている村民以外にはおらず隠蔽は容易だったはずだ。
『箱庭の雫』は周回が前提とされるゲームだった。個別のエンディングを集め、選択肢ごとの差分の確認、用語の収集を経て解放される真相ルートが用意されていた。
その真相ルートにロットの姿は無い。個別ルートの後日談ではどのエンディングでも存在が確認されたが、このルートでは一切登場しない。イネス自身もロットについてゼストに尋ねることはなくストーリーは進行していった。ピースが揃っていく。情報が揃い物語の余白が埋められ絵図が明らかになっていく。
シャルロットはきっとあと五年後に死ぬ。
目が覚めてからゼストは変わった。許される限りシャルロットの看病に付き、怪我があらかた直った後も傍から離れることは無かった。
「シャーリー、昨日の雨でまだ滑るから俺の手を掴んで」
元からシャルロットの家に出入りしていたので咎められることは無かったが、仕事の時間以外は寝る間も惜しんで彼女に張り付いていた。
ゼスト本人も行き過ぎた依存を改善しようとシャルロットから距離をおこうとしたが駄目だった。
「……そろそろ部屋に戻らないか? 痛み止めを飲んだ方が良い」
「あと一時間は大丈夫。あなたこそ手首はもう良いの」
「痕は残るらしいけど、痛みはないよ」
自制のための自傷に気付いたのはシャルロットだった。
顔を合わせる頻度が事故の以前と変わらぬようになったにも関わらず感じた違和感にシャルロットはゼストの身体を検めた。袖を捲れば肉の見える傷が前腕に幾重にも走っていた。
荒縄を、結い紐を、鋼索を。腕を縛っていられるなら何でも良いと力に任せていましめた結果だった。
言葉も無しに傷を指差して睨み付ければ観念したかのようにゼストは喋り出した。
「昼は人の目があるからまだ正気でいられる。夜になると昼間の分もおかしくなってしまう」
自慢の孝行息子だったゼストは死んでしまった。他者の望むまま振る舞い続けていた人形の糸は千切れた。
「小屋の柱に腕を括り付けておかないと駆け出しそうになる。すまないシャルロット。俺はもう気狂いなんだ」
若葉の色を保ちながら瞳は過去を写し続けている。あの日の出来事はゼストを根本的に変えてしまった。
「死なないでくれ」
「晶石になってほしくないから?」
晶石は余りに人の死からかけ離れていた。この世界の人々は受け入れているが異なる記憶を持つゼストにとって受け入れがたく不自然なことだった。
「俺から離れないでくれ」
「今にも狂いそうだものね」
今まで欲していたゼストからの執着をシャルロットは静かに受け止めた。喜びはなく変質を確かめるため言葉を重ねた。
「ねえ。まだ隠していること、あるでしょう」
ろくに食事を摂っていないせいで肋が浮きつつある胸にシャルロットは指を這わせた。秘め事の中身を知りながら、彼本人から明かさせることをシャルロットは強いた。
「しゃる、ろっと」
堰を切ったようにゼストは語り始めた。生まれてから今までこの世界に疑問しか無かったこと。明晰夢で見る荒唐無稽な摩天楼にこそ郷愁を覚えていたこと。晶石を残して人が死ぬ仕組みがどうしても受け容れ難かったこと。心が砕けた彼にとって秘密を抱えることは容易では無かった。
「俺の常識では、人が死んだら死体が残る。この世界だって犬の死骸は残るのに、どうして人間だけが、どうして」
その言葉を最後にゼストは踞った。強張った体を抱き締めてやりながらシャルロットは囁く。
「ねえゼスト、考えるのは苦しいでしょう?」
皮膚の下の骨を撫でるように、血管を確かめるように。吸い込んだ息の行方すら見通すように。
「だったら自由に生きなさいな。もし文句を言う人がいるなら、私が耳を塞いであげるから」
初めて出会った春の日から恋していた男をシャルロットは胸に抱いた。成就の甘やかさはなく膿んだ傷を隠すように少女らしいか弱さで生涯の恋を手にいれた。
ただいつかきっと、報いを受ける日が来ることを彼女は覚悟した。その報いこそが救いであることも認めながら。
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