第二十話
おびただしい量の晶石が無造作に床板に転がされていた。
僅かなランプの光が幾重にも反射し虹色の光が青年の血の気が引いた頬を彩っている。
耳障りな音を立てながらガラスを切るための鋸が引かれ晶石が切り分けられていく。
「晶石を砕くと空間にノイズが走る。方向性は間違っちゃいない」
槌は無造作に振り下ろされ、衝撃が幾何学的紋様を描いた。この世界には無い意匠をゼストは注意深く観察した。
「元々馬鹿みたいな容量の世界を構築する予定なんだ。サーバー落ちはしない。でも負荷のログは残る」
晶石の中には人ひとり分の記録が納められている。教会で然るべき処理が行われることでデータが回収される仕組みだ。ファンタジーじみた世界観に反して近未来じみたテクノロジーに作り込みの甘さを感じるべきか、作り手の個性を賛ずるべきかゼストは迷った。
考えを整理することも兼ね、男は独り言をつぶやきつつ作業を続けた。研究とも言えない、荒唐無稽の所業は恐ろしいことに彼の直感だけで正解を導き出していた。
「但し生身の人間が確認することは稀。管理AIに認識させて信号が送られれば一発か?」
箱庭には世界管理用のAIが用意されている。本元自体は一つだが、開発者の趣味でPC<プレイヤーキャラ>と変わらない挙動を行うように設定されていることをゼストは知識として知っていた。
いくらこの世界で人を殺そうとも世界を滅ぼそうとも外の人間には影響がない。AIを用いた思考実験の稀少なサンプルとして記録されるのみだ。それでもゼストはこの世界そのものに爪を立てずにはいられなかった。
シャルロットがもう長くないと確信した一年前から、坂を転がり落ちるように拍車をかけるように。感情には限りが無く、博愛を掲げ生きていた己を思い出せないほど情念に溺れた。
彼女さえ助かるのなら、どのような道程を辿ってもいい。
未だにその方法すら見当がつかぬまま、彼は今日も夜を浪費した。瞼の裏に焼き付いたシャルロットの笑みを頼りに、再び晶石に向き直って槌を振り上げた。耳障りな拍は空が白むまで止むことは無かった。
箱庭の雫はそのストーリー性が評価されていた。
だがヒット作としてゲーム史に名を刻まれることは無かった。初週での出荷本数も悪くなく、制作陣も数多くの作品を手がけていたチームで、評価されていた脚本以外のクオリティも安定していた。にも関わらず続編やファンディスクは発表されなかった。
(読み物としては面白いけれど、”乙女ゲーム”としてはアクが強すぎる)
ストーリーを重視する層には歓迎されたがヒロインに対する思い入れが強いファンからは賛否の声が上がり、恋愛を楽しむために買った層からの評価は芳しくなかった。
その象徴たるキャラクターがゼストだ。
最初から解放されている個別ルートでは穏やかな年上の青年としてイネスと幸せな家庭を築くが、周回を重ね条件によって開放される真相ルートでは都の失踪事件の首謀者であることが明かされる。
情状酌量の余地はあるが、犯罪は犯罪。被害者は破落戸が選ばれているが、命を選別する傲慢さを強く感じさせる。ファン同士の対立すら招きかけ、仮に続編が発表されても扱いに困るキャラクターだった。
(彼の行動は一貫してエゴに基づいていた)
物語の登場人物としてゼストを受容した際、シャルロットの前世で出した結論だ。
彼はかつて生きていた現実世界に焦がれ、電脳世界からの逃避を目指して事件を起こした。
晶石は情報の集合結晶だ。この世界の人間の生まれてから死ぬまでが記録されている。その結晶を恣意的に破損させれば当然電脳世界そのものに負荷がかかる。バグを意図的に生み出し、ゼストのオリジナルをサーバーが管理されているアーク社に呼び出すことが目的だった。
これはコピーした疑似人格に破綻が起きた際は破棄せず、オリジナルと比較することが応募条項に記されていたことが発売の半年後に発行された資料集に書き添えられていた。
もっとも、シャルロットが死にかけたあの事故から歯車は狂いゼストの動機も異なるものになってしまったのだが。
ゲーム内の用語辞典でも注釈されているがアーク社が行っているのはある種の実験だ。自分達が将来開発するゲームのための箱庭を製作しながら、同じ人格を持つ人間が異なる世界に放り込まれた場合のシミュレーションを並行して行うことが彼らが目的としたことだった。
箱庭という電脳世界、箱庭を作り上げた世界、それらを物語として認識する読み手のいる現実が入れ子のような多層構造を作り、虚構と現実の境目を曖昧にさせる。乙女ゲーム的な疑似的中世世界と胡蝶の夢を思わせる実在性の問いかけ。製作陣の思想が鼻につくと品評されることもあった。もっともシャルロットの前世では己が影響を受けやすい気性であることを自覚していたため、批評なども目に入れずに物語そのものを楽しんでいたのだが。
「エヴァンさんとレディオルは元から親しい口ぶりでしたが、何時からの付き合いですか」
シャルロットが寝付いていたある日、エヴァンはゼストたちの店に訪れていた。先日の食事会の帰りにガラスの文鎮に目を留めたらしく、自宅の書斎に迎えるべく吟味しに来たのだ。
現在は選別も終わり、暖炉の前の机でゼストと差し向かいでお茶を手に一息ついていた。
「五年前ですかね。憲兵になったばかりの頃、上官に引き合わされました」
ただの新兵に特異な仕事が任されることはない。トワイライト家の子息であるためだというのは論ずるまでもないことだった。
「今より随分背が低くて細身で。今の様子からはあまり想像もつかないでしょうが、随分な人見知りでしたよ」
雪白の肌を、爛爛と光る赤い瞳をエヴァンは今でも覚えている。抜けるように白い肌は大気との境あわいすら曖昧で。母親の持つ絵本に描かれた妖精のようにひどく現実感の無い少年だった。
「確か、レトワージュの生まれでしたか。豊かな自然と歴史があると教会で教わりました」
「ええ。私も訪れたことはありませんが、美しい国だったと聞きました」
ドガからはるか北。荒野を通り過ぎ、内海を船で渡り、針葉樹の森を抜けた先にあるのが小国レトワージュだった。住人も少なく、他の国との交遊も浅いがこの大陸の中で最も歴史のある国のひとつだった。
今からほんの数年前に起きた政変で首都は見る影も無く荒れ果て、そこで暮らす人々も散り散りになったことは有名な話だ。
「彼も例の事件でこちらに?」
レトワージュとドガは離れているが、治安が良く世情も安定している。親族や知り合いがいるのならそれを頼りにするのはおかしいことではなかった。
エヴァンが卓上の常備菓に手を出さないのでゼストは先に手を伸ばした。小麦の味が強いビスケットは喉を乾かし、茶を欲しがらせる。
「はい。国を離れることが彼の希望だったそうです」
その言葉にゼストは少しの違和感を覚えた。あのレディオルが、自国で起きた政変から目を逸らして心身を弱らせ異国に出奔などするだろうか。ゼストの知る彼は国を守るか現政権を打倒するかの立場を明らかにして当事者として政変に関わっていそうな人物だった。
「とはいえ、文化が近いといえども異国は異国。ご家族もきっと苦労なさったんでしょうね」
心底心配している。そんな空気を醸し出しながらゼストは嘆息を吐いた。その言葉にエヴァンは軽い調子で否定をする。
「いえ、ご両親や兄弟は国内の親戚を頼ったそうです。レトワージュも広いですから」
推量した通りの返答をもらい、ゼストは笑みを深めた。
「国そのものを揺るがす出来事ではありましたが、天災などと違って混乱は首都に留まりました。あの国は畑作や牧畜も盛んなので、政府が機能せずとも国民自体は飢えない」
一息に語った後、唇を湿らすためエヴァンは茶を呷った。
「聖堂に訪れてみたかったのですが、いつになることやら」
信仰に篤いこともレトワージュの特徴で、先の政変も発端は政府が通した法案が国教であるセネリア教を蔑ろにしていると一部の国民に批判されたことがきっかけだった。
「生きてるうちには行ってみたいですね。俺もロットも、グルース村と都を行き来するしかしたことがありませんから」
「おや、そうでしたか」
馬車以外に移動手段も無く、村内で生活が完結するため村を出る村民はいなかった。グルース村に限らず大抵の国民はそうでガラス細工を売りに首都に出ることがある分、ゼストたちの故郷はまだ開放的な方だった。
「先日フロワに連れられて山に行きましたが、あれはとても旅行とは呼べないものでしたし……」
宿屋に泊まることも無く、食事も都の外周で売っていた屋台のパンを人数分買っただけだった。
「話は聞いています。レディオルが羨ましがっていましたね」
警護対象のフロワが一時都を離れるにあたってエヴァンに報告がなされていた。場所が研究所の所有する山であるため、不審な人物が後を着ければすぐに分かることもあって許可された遠出だった。
「単なる山歩きでしたけどね」
「気心の知れた友人との外出はそれだけで楽しいものですから。イネスも屋敷に戻ってから話を聞かせてくれました」
玲瓏な顔(かんばせ)が柔らかく笑んだ時、ゼストは少し目を瞠った。貴族らしい責務で面倒を見ているだけかと思っていたが、それだけでは無いことがその表情から窺えた。
(どうにも俺は他人の機微に疎いな)
ゼスト自身は物事を隠匿したり誰かを欺くのが不得手な人間と自負していた。実際はエヴァンの微笑みはあまりに淡く、そこから感情を読むことは難しかったのだが。
「機会があれば、また是非」
「お誘いを待っています」
最後に会釈を一つ落としてエヴァンは店を去っていった。残されたティーカップを片付けながら、ゼストは一つの確信に至った。
いささか不気味な正義感。家族を故郷に置いて一人異国に移り住みトワイライトの人間を付けられた身の上。レディオルはレトワージュの政変で中心に据えられていた。本人の意志かどうかは不明だが、何らかの関わりを持っているのは間違いなかった。
(やっぱり厄介な相手だったか)
布巾で水滴を拭ったカップが食器棚に伏せられる。歓談は長引き冬が近いこともあって窓から見える影が伸びる時間になっていた。
戸締りが行われ店の明かりが落とされる。店仕舞いだ。最後にカーテンが閉められレジ台の下の扉が開かれる。歓談の最中もシャルロットの寝息は穏やかで珍しく苦しみの無い眠りにあることがゼストには分かっていた。
暖炉の火を調整し、朝まで薪が燃え尽きないよう手を加えてゼストは一息ついた。
「……」
ぼんやりと火を見つめていると村での記憶がよみがえってくる。融けたガラスに息を吹き込む父の姿を、自分を可愛がってくれていた年嵩の職人たちを思い出した。
もう何年も窯の前に座していない。
既に出来上がったガラスを飾ったり絵付けをしたりはしていたが、これではとてもグルース村の男とは言えなかった。ガラス細工を売ることも立派な役割ではあるがこの店も本店に比べれば道楽としか言えず、軽薄な生き方をしている自覚が彼には有った。
「……」
何もかもが終わってしまった時、己はどうなってしまうのか。
半端者のゼストが故郷に戻ったとしても彼らは迎え入れてくれるだろう。シャルロットの病は村にいた時から医者を呼んでも手の尽くしようが無く、ドガに移り住んだことも根治ではなく残り少ない人生を海の近い美しい都で過ごすためだと解釈されていた。
穏やかで堅実で、奇跡と言われるまやかしを信じない村だった。望郷の思いに駆られながらもまだ戻ることのできない場所にゼストは静かに想いを馳せた。
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