第十八話

 田舎道を一つの馬車が進んでいく。空は晴れ、風も穏やかでいかにもな行楽日和ではあったが乗員のシャルロットの表情は思わしくなかった。


「馬車……いい思い出がないんだよな……」


 フロワの用事に付き合い、エヴァンとレディオルを除いた四人で都を離れ、ある山に向かっていた。歩きで行けないことも無かったが時間がかかるので一行は馬車を借りていた。


「なにかあったんですか?」


 イネスからの問いに遠くの景色を見つめたままシャルロットが答えた。


「村にいた頃、子供何人も荷台に乗せて走ってたら崖にまっ逆さま」


 雨で地盤が緩んでいたこと、いつもとは異なり若い馬を使ったこと、その他様々な要因が重なり事故は起こった。


「無事だったんですか?」


「まあ見ての通り。頭に傷は残ったけど、怪我ひとつ無かったゼストの方が大変だったな」


 馬車に乗ってから一言もしゃべらないゼストに水が向けられる。交遊のある友人達の前で黙りこくっているのは不自然だったので原因の開示も兼ねている。


「あんなもの二度と見てたまるか」


 トラウマ持ちの人間らしい青白い顔のままゼストは吐き捨てた。


「死にかけの君の頭にかけたポーションの色を今でも覚えてる。淡い色の薬液と傷口から滲み出た赤。今でも目に焼き付いて離れやしない」


 シャルロットは運悪く落下の弾みで害を被った。体の方にも骨折や打ち身、捻挫など多くの怪我を負ったが一番重篤だったのは頭部からの出血だった。


「幸いゼストの手早い処置で命をとりとめて今に至る……ってとこだ。目覚めるまでしばらくかかったけどな」


 ポーションでの治癒は体に負担がかかる。そのため非常時を除き使用は推奨されず、購入も成人済みの者に限られる。


「しばらく……」


「七日間。俺も生きた心地がしなかったよ」


「うっすら夢を見てたから、自分にとってもそこそこ長かったかな」


「夢、ですか?」


「ああ。なもんで目が覚めたときはむしろ頭が冴えてたな」


「………………」


 いつもであれば憎まれ口を付け足すであろうフロワが黙す。怪訝に思ったシャルロット達が顔を覗き込めば視線に気づいたフロワが口を開く。


「深い眠りを取ってないから回復が遅れたんじゃないか」


「そこにまで物言いを付けるか?」


 いつもより少ない棘に違和感を感じながら馬車は揺れる。目的地の山はすぐそこまで迫っていた。


 






 都から馬車で一時間。北方に存在する山に四人は訪れていた。

 管理された山らしく一定の間隔を開けて立っている木々は常緑で青々しい葉を広げ、陽の光を受けている。


「うちの研究所の演習用に使われる山だ。事前の許可さえ取っていれば実験、行楽、狩猟なんでもありだ」


 言葉とともにその場に腰を下ろしたフロワが背中の荷を解いていく。彼の背を覆い隠すほどの見た目のわりに重量は軽いようで、背嚢の中身はたちまちに広げられた。

 いくつかの錨と以前フロワが発明した撥水性のある薄布、鳥の骨ほど細い支柱が押収品のように地面に並べられていく。


「陣幕を張る。ロットとイネスは一辺三メフルのスペースを確保しろ。落ち葉と小石はそのままでいいが拳大の石があったら除けろ。ゼストは骨組みを立てろ」


 端的な指示をそれぞれに出し、フロワ自身は錨を地面に打ち込み出した。頭の中に寸法が入っているのか四方に打ち込まれた錨は正方形を描いていた。


「説明が少なすぎる。こんなものどこで用意したんだ?」


 フロワが組み立てさせようとしているのはゼストとシャルロットの認識が確かなら間違いなくキャンプ用のテントだった。指定された寸法から推測すれば大人三人ほどなら余裕を持って寝転べる大きさのものが組み上がるだろう。最大の疑問としてはこの世界にキャンプという娯楽は存在せず、野営用の天幕はもっと頑丈で鉄や動物の皮が使われているのでこのテントがオーパーツじみていることだ。


「いくら私有地で人が入らんとはいえ、荷物を裸のまま置いておくのも無作法だったからな。発明したものを組み合わせて作った」


 事も無げに言うがこの外出が決まったのは五日前である。その間に設計を行い、布の裁断、支柱の加工等を行っていることになる。


「説明はないぞ。作りを簡素化したこの状態で何も知らん人間が組み立てられるかの試験も兼ねている」


 さあ、やれ。


 言葉もなしに尊大な態度で促すフロワと三人の間を秋風が通り抜けていった。








 手先の器用なゼストが瞬く間に設営を行い、フロワの機嫌を損なうことを危惧していたシャルロットだったが、実際は初心者らしく右往左往することになった。


「この棒はさっきはもっと伸びていたはず……」


「いや、予期せぬ力を受けて遊びの部分が引き出されてただけだろ」


「一旦部品を置きませんか。並べ直しましょう」


 初めての作業で加減をはかりかねているのか、薄布が裂けていないのが不思議なほど余計な力が入っていた。シャルロットとイネスはとっくに整地を終えていたので現在はゼストの作業を傍目八目で見学しながら口を出している。

 骨組みを立てて布を被せ、紐で固定するだけの工程は不思議なことに遅々として進まない。


(運動ができても、球技だけは下手な人とかいたわね)


 意外な不得手もこの程度であれば可愛いものだ。本人がふて腐れることなく真剣に取り組んでいるので空気が悪くなることもない。


「……先に採集させる。お前ら二人、山に入っていろ」


 ゼストの設営の見学で予定が潰れると踏んだのか、フロワは二人を採集に促した。


「生き物、いる?」


 私有地であるため人はいないだろうが猪や鹿、ましてや熊と行き会えばなす術もない。人間は持久力で勝るが、慣れぬ山で恐慌状態のまま逃げ出してもたちまちに追い付かれてしまうだろう。


「この山は高さ二メフルの柵で囲まれている。先日の点検でも異常はなかった。確約はできないが、喫緊の危険性は低い」


 街中では行えない実験をするための演習林だ。環境の保全には気を配られている。


「笛は持ってきたか」


「売り物からいくつか。ほら」


 テントに吸い込まれつつあるゼストを放って荷物から笛を取り出す。親指ほどの大きさの磨りガラスに皮の紐がくくりつけられている。紫と黒の笛をそれぞれに渡し、山吹色の物をシャルロットは自身の首にかけた。


「試しに吹いてみて」


 イネスが黒の笛を唇に挟み息を吹き込む。鳥声よりも甲高い音が山に響いた。シャルロットも短く二度鳴らし、音の調子を確かめる。


「……ん、欠けてもないな。それじゃあ行ってくる」


 背嚢の中からサブバックを取りだし水筒と簡易な食料を詰め、シャルロットは山に向かって歩き出した。イネスもそれに続く。


「時計回りに探していくから、逆側から頼む」


「はい」


 山の植物は日の当たり方によって様子が違う。草丈や沢の位置によっても影響が出ることをシャルロットは前世の知識で理解していた。


(思い出や感情はろくに引き継がれていないのに、不思議だこと)


 意味記憶とエピソード記憶の違いであることも勝手に脳が判断していたが、その思考をシャルロットは頭の隅に追いやった。








 一時間ほど経った頃、フロワに預けた笛の音でシャルロットは採集を止め、集合場所に戻った。テントも無事組上がっており、先に戻っていたイネスと共に胸を撫で下ろした。


「ご苦労だったな。ゼストにはこれから行かせるから、お前らはその間に休んでいろ」


 すでに調査され尽くした山だがドガで暮らしていれば見れないものが多くある。予定が詰まっており外に出る機会が少なく体力も少ないフロワは図鑑で既に見知ったものを確かめることを好んでいた。


「随分珍しいものを集めたな」


 イネスの籠の中には本当に同じ山で採取をしたのかが疑わしいほど様々な物品が入れられていた。興味を引かれたフロワがカンテラの光と陽光の両方に採取物を透かし検分している。


「薬効あり、不明、不明、毒性、無害、不明、不明、不明……」


 取り出したのは茸だった。木片と変わり無いようなものもあればガラス細工のようにぬらりと輝く摩訶不思議なものすらある。


「イネス、手袋を寄越せ。そのまま肌に触れればかぶれるぞ」


 フロワの言葉にイネスが手袋の内側を注意深く摘まみ、手を抜いた。シャルロットもそれに倣いフロワに手袋を差し出した。


「で、どうするんだそれ。この場で焼くか?」


「阿呆が。煙が出たら麓の人間が飛んでくる。山火事のリスクも考えて発言しろ」


 心底馬鹿にしていることを隠さないフロワを前に流石のシャルロットも素のままに殴り付けたくなった。内心を察したゼストがシャルロットの背を擦るので気持ちを落ち着けたが、然るべき手順を踏んで仕返しをすることを誓った。

 友人の決意も知らぬフロワは近くの沢に籠を浸した。一見した街並みや気候はそれぞれ欧州や地中海沿岸のものを思わせるにも関わらず、ドガは水が豊富だった。


「鉱石は流石に顕微鏡がいる。一旦持ち帰らせてもらう」


 久方ぶりのフィールドワークで気分の高揚したフロワをシャルロットは凪いだ心地で見つめた。


(突飛な反応がないなら、ベルセウムの若葉は見つからなかったようね)


 そもそもにしてこの外出はイネスの攻略対象からの好感度によって起きるイベントだ。割合までは記憶にないが、面子から推量すればフロワとゼストに関わっていることは明らかだ。

 都でも手に入る聖水と金剛石の欠片。そこにベルセウムの若葉を加えることで作中の万能薬、エリクサーは完成する。ポーションが外傷にのみ作用するのに対してエリクサーは呪い、病気、老いにすら効き目がある禁薬である。シャルロットに巣食った病魔を滅せられるのはもはやこの薬しかなかった。

 迫る己の寿命に覚悟を決めながら、かぶりをひとつ振った。


(元から分の悪い賭けだった)


 自分の運のなさをシャルロットは充分自覚していたし、この世界はちっともゼストに優しくない。であれば導き出される運命は決まっていた。

 シャルロットは自分の生存のため足掻かない。物語の筋書きを変えたくないという読者染みた当事者意識の欠如からではなく、大河ともいえる流れに逆らえるほどの力を己が持ち合わせていないという自覚のためだった。

 ベルセウムの木自体は山林に入れば目にすることができる一般的なものだが、若葉ともなればそうはいかない。成長が遅く、頑丈なこの木々は滅多に種を落とさず発芽することも少ない。季節によって樹皮の色を変え他の樹木に紛れるのでマーキングをして目星を付けておかなければすぐに見失う厄介な木だった。


「ロット?」


 思考の海に沈むシャルロットにゼストが声をかけた。ロットとしてこの場にいるはずなのに妙に静かな連れ合いを心配したのだろう。翡翠色の瞳は森のなかでいっそうに輝きを増して、シャルロットの寄る辺を奪う錯覚を感じさせた。


「何でもないよ。ただ自分にはつきが回ってこないなって考えてただけだ」


 己に不釣り合いなほど美しい男が運命になったあの日、きっとシャルロットの命運は尽きてしまった。


 不思議なことにその事に対する後悔は今日こんにちまで一度たりとて沸き上がってきたことはなかった。

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