第十五話

「こっちに火を入れるのは久しぶりだね」


「煙突そのものは下と繋がってるから、塞がってなくて結構だけど」


 四人を家に招き入れる前日、ゼストとシャルロットは店の奥の仮の部屋の点検を行っていた。

 暖炉に下の部屋から持ってきた燃えかけの薪を入れる。冷えた煉瓦が温まるまで今しばらくかかりそうだ。


「火はこっちの方が使いやすいのだけれどね」


 隅に寄せられた真っ黒に光る鋳物のコンロはこじんまりとしていながらも煮炊きが容易いのでシャルロットがそこそこ気に入っているものだ。


「でも下で焼いた方が美味しいのよね。気持ちの問題?」


「俺もそんな気はしてるよ」


 手狭ながら日当たりがよく、人の目も気にしなくていい住まいを二人は愛していた。誰の手も届かない穏やかな時間が流れる自分達が作り上げた秘密の場所。


「元は下の通りの店と繋がっていたんでしょう?」


「そうそう。昔は上でおじいさん、下で息子夫婦がそれぞれ店をやってたってさ」


 一家で商いをしていた彼らは商売の成功の暁にかねてから夢見ていた南方への移住を果たしたらしい。残った建物を売却する際、坂の上と下にそれぞれ店があるつくりでは売れにくいだろうと下の店から繋がる階段を潰し、穴を塞いだのだ。そのため二人が普段使っている部屋から直接外に抜けられる出入り口は無い。


「いざとなったら窓を割って縄ばしごで降りるからね。覚悟しておきなよ」


「そんな日が来ないよう火の始末だけは気を付けておくわ」


 黒いコンロに灰をかすかにまぶして布で拭き取る。滅多に使わないため付着した汚れなど無いが、拭きあげた痕跡を残した方が自然だ。


「一通り材料は用意したけど、明日は何を出すの? 物によっては仕込みもあるでしょう?」


 片付けが一段落つけば次は料理の用意だ。前日に考え始めるのは計画性に欠けるが、もてなす相手は目上でもなければお得意様でもない。過度な気遣いは無用だ。そもそもお互い気の向かないことに関しては猶予があれば梃子でも動かない性質があるので前日の時点で準備を行っていることを誉められたいくらいだった。

 食事会は日没からを予定しているのでレパートリーの中でも時間のかかるスジ肉のシチューなどはもう間に合わないだろう。以前フロワに振舞った際、気に入っていたことを覚えていたが今回は見送ることになった。


「品数を多くしたいから、コンロを長い間塞ぐ料理は避けよう」


 候補の品々が帳面に書き連ねられていく。穏和な見た目と手に持ったガラスペンにそぐわぬ武骨な字がゼストの手跡だった。帳面を覗き込むシャルロットの要望で徐々にメニューが絞られていった。


「ハーブチキンは絶対。でも全員分のカトラリーは無いから、先に切っておきましょう」


「ああ、食器の問題もあったね。薄切りのパンを用意して具材を各自で挟んでもらうとか」


「デザートで林檎のクランブルが食べたいわ。作ってちょうだい」


「はいはい」


 育ちに相応しいお嬢様ぶりを発揮しているシャルロットだったが二人の間ではこれが一番上手くいくやり方だった。


「メニューが庶民向けに寄りすぎてるけど、トワイライトさんが食べられるかな。これ」


「食べられないものを指定してこなかったのは向こうだし、知ったことじゃないわ。子供じゃないんだから、家に帰ってから各自食べ直せばいいのよ」


 人に合わせる性状のゼストは決断を不得手とする。人当たりがよく、誰とでも上手くやれるが自らが主体となって行動することに向いていないのだ。


(その分、一度決断してしまえば引き返せないのだけれど)


 器用に見えて誰よりも生きるのが下手くそな男とシャルロットは何年も前から連れ添っている。欠落にまみれ、肥大した自意識を抱えながら人生は続いていく。

 生憎、シャルロットの舞台の幕引きはすぐそこにまで迫っているのだが。


「……………………」


 準備の最中もゼストの表情は暗い。シャルロットとの会話自体を楽しんではいるが、そもそも長時間他人を家に招き入れることはゼスト本人が避けたいことだった。

 真に隠しておきたいのは地下の隠し部屋だが、その近くをうろつかれていることは彼にとって心臓を外気に剥き出しにすることとなんら変わりがなかった。


「時間は必ず過ぎるものだから、手早く済ませてしまいましょう」


 元よりこの生活には無理があった。いくら二人が友人関係を絞っていようと数年もひとところに暮らしていれば避けられないものもある。


「料理は食べ切れるだけ用意しておけば、解散の時間もすぐに来る」


 フロワとの友人関係を続けていられるのもひとえに彼がゼストとシャルロットの事情を詮索しないためだ。診察を頼んでいることもあり、シャルロットの本来の性別についても把握されているだろうが彼は振舞いを変えなかった。


「強いお酒を柑橘で割ってもいいわ。みんなすぐに酔っぱらってしまう」


 レディーキラーと称される酒の中にもオレンジを使ったレシピがある。シャルロットの前世では酔い覚ましに果物の盛り合わせを頼んだ記憶の方が強かったが。


「……酔い潰れられたら、居座られる」


「そうね、一人だけ酔ってもらいましょう。時計の針が真上に来る前にお開きにするの」


 灰かぶりは十二時の鐘が鳴るまで踊っていられたが、ホストはシャルロット達だ。隙を見て壁掛け時計を進めても、急病を理由に彼らを追い出しても許される立場なのだ。


「……俺の脚を折ったら中止ってことにならないかな」


「今年で自分がいくつだと思ってるの、あなた。私が添え木を巻けるとでも思ってるの」


 ゼストの厄介なところは折ろうと思ったら本当に自分の骨を折れることだった。シャルロットの許可さえ出れば大真面目に骨を折るための装置を自分で作り、粛々と実行する。


「フロワも言っていたけど頭の螺子を締め直した方がいいわね」


「引っこ抜いて放り投げることになった原因は君なんだけどね」


「分かっているから今日(こんにち)まで触れないで来たのよ」


 五年前のあの事故はゼストとシャルロットの何もかもを変えてしまった。もっとも、皮肉なことにこの事件が無ければゼストがシャルロットに恋情を抱くことも無かったのだが。


「もう今日は寝ましょう。ではゼスト、十時頃に起こして頂戴」


「おおせのままに」


 気取った挨拶をして二人は寝台に身を横たえた。この家には目覚まし時計は無いが、ゼストの眠りが浅いので遠くの教会から聞こえる日の出の鐘の音で目を覚ましてしまう。五年前からは日が高いうちは眠れない体質になってしまったので、丁度いい頃合いにシャルロットを起こせばいい話だった。

 何もかも、万事無事に解決した暁には元に戻ってくれることを祈るしか今のシャルロットにはできなかった。


(私のゼストへの願いって、眠ることばかりね)


 安らかであってほしい。その願いをシャルロットの貧相な想像力で突き詰めれば安らかに眠ることなのかもしれなかった。


「シャルロット?」


 なかなか瞼を閉じないシャルロットを翡翠色の瞳が見つめる。


「何でもない」


 その言葉を最後にシャルロットは眠りについた。自分にのみ存在する穏やかな時間に包まれながら。

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