第38話 別ゲーが始まったかもしれない

 別の道を選ぶなんて言ったものの、俺は酷く困惑していた。

 扉の向こうを俺はなんとなく、こんな風に想像していた。


 真っ黒いスーツの男が二人、もしくは漆黒の外套に包まれた男。

 後は異世界で流通している魔物馬とバリバリに目隠しされたロードスターだ。


 こんな不気味すぎる想像でドアを開けた自分はどうかしていた。


「えっと」

「こんばんはぁ」

「こ、こんばんは…」


 麦わら帽子を被ったおじいちゃん、そして


「まだお昼だよ。こんにちは、でしょ」


 七歳くらいの女の子。村人が着ていそうなワンピース。


「あれ」

「チーズが見たいと」

「え、いや」

「いいからー。こっちー」


 余りのギャップに、完全に肩透かしを食らった気分になった。

 もしかして、細工薬師の技術で異次元に飛ばされたかと思った。


「嘔吐する程のチーズはこっちぃ」


 幼女に手を引かれて、俺はどこかへ連れていかれる。

 その後ろをえっちらおっちら、お爺ちゃんがついてくる。


「わ、分かったから…。自分で歩くから」


 クリプトから鍵を預かった家は大通りから、一区画しか入っていない。

 例の場末にそそり立つ宿屋よりも東側、つまりギルドやメリッサ大聖堂寄りにあったらしい。

 窓から忙しなく動く人の流れが見えていたくらいだ。


 反政府と関わるなってクリプトに言われたんだっけ。

 安全な場所に家を借りるに決まってるか。

 そりゃ、反政府の人もカモフラージュする。


「おじいちゃんはまぁ分かるけど、君は…」

「あたしはマァコ。お爺ちゃんはソーフ‼」


 俺って何してんだろ。

 安全な家を貸してもらっておいて約束を破るって。

 こんなところを誰かに見られたら…。


「えっとマァコさん。何か、被るものってない?」

「えー。被るってなぁに?ねぇ、お爺ちゃん」

「あー、被っとると汚れが溜まるから大変じゃのぉ。石鹸を使って」

「ちょいちょいちょい‼一体、何の話⁉その麦藁帽でいいから」

「お爺ちゃんに髪の話しないでぇ」

「また、髪の話しとる…」

「だー。もういいから‼黙るから、黙って‼」


 まだ、魔王アクレスが見える。

 人とすれ違う度に、目が合う気がする。

 喋れば、喋る程、悪目立ちしてしまう。


 だから、普通の人のふりをしろと言うのだろう。

 確かに村人の服だから、今は異世界に同化する自信がある。

 現地民の疑いだって残っているのだ。


 でも、こんなことをしなくとも、夜に迎えに来てくれたらこんなことにはならない。


 なんて考える。すると


「ねぇ。お兄ちゃんは良い人?」


 子供らしいとも言えるが、哲学的とも言える質問が、唐突にやってくる。

 反政府の組織だから、なんて言える状況じゃない。

 それに相応しい言葉を俺は知っている。


「なんでもない人だよ」

「マァコ、このお兄ちゃんはなぁ。皮を被っとるんじゃ」

「じいさん、それはいいから」


 だが、後ろのお爺さんはまだ引き摺っている。

 本当に大丈夫かのかと思った。

 でも、目の前の少女は急に振り返った。


「え?ほんとに被ってるじゃん」


 七歳の少女の冷たい瞳に、俺は目を逸らしてしまう。

 だって、めちゃくちゃ怖かった。


 でも、そこで気付く。

 さっきも言ったが外は明るい。

 明るいと言っても、赤外線多めの明かり。


 同じく何度も言ったが、ガラス窓くらいは普通に張られている。


 そこに映る俺が…


「俺…、じゃない?」


 そもそも、鏡を見るのって何時ぶりだろう。

 ってのはない。だって部屋の窓から外を眺めていたから、さっきまで見ていたことになる。


 咄嗟に顔に手を当てる。

 すると、確かに被っている。


「なんで、こんなことに」


 なんて考察はしない。

 しつこいからしない。

 一人、いや一匹に心当たりがあるし、確認しても絶対に答えないからだ。

 確かに俺は今後の生き方を迷っていた。

 偽物で嘘つき、しかも顔をよく覚えられた経験もある。

 それで、クリプトからお願いされてたのだろう。

 俺が普通に、真っ当に生きられるように。


 でも、一歩目から間違えてる‼って頭を抱えたい。


 少女は言った。


「でね。お兄さんにお願いしたいのは人助けだよ?」

「え…?でも。うん。分かった人を助けるのは大事な事だ」


 悪人でも人は人だ。間違っていない。

 それに悪の流儀というものもある。

 でも、やっぱり道を間違っている…


「マァコ、おてんとーさまが見ておる。髪の話はやめておこうのぉ」


 そう。太陽信仰は悪魔信仰で、敵対してる。

 そして髪の話は絶対にNG。これは全世界、全異世界共通の…。

 この爺さんだけ、ふざけてない?


「おうまさん!おうまさん!」

「あ、それは普通に乗るんだ。爺さん、馬なみとかそういうのは」

「お前さん。ふざけとる場合じゃないぞ」

「そこも普通‼なんだ、この二人…」


 振り回されっぱなしの俺。

 ウーエルのお陰で気兼ねなくツッコミが出来る。


 でも、


「ぎょしゃしゃん、ぎょしゃしゃん。超特急で髪の話聞けるばしょに!」

「また、髪の話しとる。こんなふさふさなのに」

「お爺ちゃん、お帽子に髪さんいるよ」

「ひぇ……」


 ここからだった


「あいよ。頭頂部に問題を抱えてるんすね。…そちらさん。しっかりと掴まっててくだせぇ」


 時刻は夕方。

 逢魔が時の一歩手前くらいだ。

 いつかゼオビスという男が御者との待ち合わせを酷く気にしていたことを思い出す。


 魔がはびこる時間。それは解放された地も危険に晒される。

 今は先日のこともあって、しっかりとした警備がされているだろうが…

 やはり、魔物馬は魔物。


 ドン‼


「う…ぉ」


 この馬のシルエットを車のエンブレムにしたい。

 闇夜の時間であれば、これくらいのポテンシャルを発揮できる。

 正に走り屋の風貌。この場合、褒めるべきは御者であろう。


「お客さんは遠くから?」

「え、えぇ。仕事で…。それにしても凄い…運転っすね」

「そりゃもう。キトーが多いからのぉ」


 隣の爺さんの発言に俺の口角が歪む。

 ただ、それを遂に止めてくれたのは御者の男だった。

 そのトーンはどこかで聞いたものだったけれど。


「爺さん、もうそれはいいぜ」

「……そう、じゃな」

「わ…。素直に聞いた」

「悪かったな。一応、自己紹介しとくわ。俺はガーランド・スベント。長いからガラドでいいぜ」

「スベント…?なんか聞いたことあるような」

「で、そっちは?」

「…レイ。ただのレイだ。って、さっきから気になってたんだけど」

「あぁ、あん時は悪かったな。あれくらいじゃ伸びねぇかと思ったんだが…」


 三十代くらいの端正な顔立ちの男だ。もはや端正とか省略しても良い気もしてきたが一応言っておく。


「今、大丈夫だからそれはいいよ。逆に聞くけど」

「そっちもいい。アレは殉死だ。それに俺達は厄災以前にしょうもない戦争で殺し合ってる」


 今まで、邪神後の世界だけを見て生きてきた。

 でも、確かにその片鱗は伺えていた。イブファーサの件も含めて。


「そう…なんだ。確かに今考えるとおかしい。大陸全土の人間が集まってもメリッサで収まるって人口少なすぎって」

「ほう。やっぱりギルドの言ってたことの方が間違いだな。お前はアウターだ」

「いや。それが」

「大体は聞いてる。だけど、それは目的地についてからだ。マジで飛ばすから吹き飛ばされんなよ‼」

「ちょ。目的地って…、この方向は」


 別の道って行ったけど、本当に別世界に飛び込んだ気がしていた。

 知っている景色。ここは今の俺の皮であるウーエルの村、いや街。

 ゼオビスの件を思い出したのも、手前の景色を覚えていたからだ。


 そして隣の少女は言った。


「神様のところだよ、お兄ちゃん」


 さっきまでのダジャレは本当はダジャレじゃなかったのかもしれない。

 神様の所、つまりアクアス大神殿。だけど、そこは


「邪神クワスの領域…、それに‼」


 夜は警備されている。

 だけど、魔物の活動が活発になるから、隙をつけるなら今だ。

 だから昼間に迎えに来た。


「レイとやら。お主は王都のことも気にしとったろう」

「そ、それは…」

「人助けもしたいって言ったよね」

「言ってはないけど、それはしたい。でも、俺は」


 とんでもない速度で駆け抜けていく。


「アウター。外の者とは本当に英雄を指す言葉なのかのぉ」

「大丈夫。お兄ちゃんは外の人。あたしたちには出来ないことが出来る人‼」


 警備兵の中に、もしかしたらクリプトの姿もあるかもしれない。


 騙されているのかもしれない。だけど、熱くなる。


 だから俺は彼との約束を破って突き進む。

 

 その意味を理解しないまま、必要とされる理由を探しに、


 いや、為すべきことを見つける為に、俺は——


 ドン‼


「な…」


 車体が大きく揺れる。


「ちっ。被弾したか。弾幕張ってんじゃねぇよ、グラスフィール‼」


 今までと余りにも速度が違っていた。

 ゲームみたいな世界でヌルゲーで、あっという間に殆どの地域が解放された。

 それは確かにスピーディだったけれど、その速さとも違う。


「グラスフィール家って、アウターズのセーフティネットじゃ」

「んなの、後だ。振り落とされんなよ」

「これは抜けきれんのぉ。ガーランド、ワシが行こう」

「お爺ちゃん、駄目だよ‼」


 誰がヌルゲーだって?そういう尺度じゃない。


「え、ちょっと何を」

「マコを抑えてくれ。…ゾーフさん。済みません」

「いいんじゃ。ワシも髪の心配をせず、神の心配をしたいでな」


 これは完全に「別ゲー」ってやつだ。

 俺は訳も分からず、席を立とうとする少女を抑えつけた。

 すると、老爺はニコリと微笑み、空いた穴から飛び降りた。


 そして、


「ゴガァァァァアアアアアアアアアアア‼」


 降りた瞬間、いや直前からゾーフの姿が変わっていった。


 本当に…、皮を被っていた…ってこと?


 そんなことは後から考えたことだ。


 俺はその姿に、その後ろ姿に目を奪われた。


「グレーターアンデッド…」


 警備に当たっていた人間たちが叫び声を上げた。

 そして、魔法弾の攻撃が少しだけ和らいだ。


「おじい…ちゃん…」


 俺は少女を抑えつけながら、自分の心を精一杯抑えつけた。

 こんなの分かりきったことだったのに、考えようとしなかった。


 人間だってれっきとした生物。今、俺の皮になっているのはカエル。

 確かに全然違うけれど、そうなって当然だったのだ。


 まだ、分からないことだらけだけれど。


「クソ…。俺は何も…」

「喋んな、舌噛むぞ。それにアレはエルダーアンデッドだ。簡単にゃやられねぇよ」


 宙ぶらりんで、覚悟も何もない俺を乗せた最強馬車は余裕で山道を登る。

 車内はとんでもなく揺れるが、それでも居住部分もタイヤも全く問題ない。

 専用の魔法の加工がされているのがなんとなく分かる。


 だから、エルダーアンデッドゾーフが取り囲まれてやられるまでの最期の姿を、目に焼き付けることが出来た。


 そして遠から鳴り響く鍵盤の音色も聞こえた。


『ドゥルルルルルルルンッ‼』


 女神は人間を殺しても、ご加護を授けるらしい。

 それがドップラー効果で歪になったせいか、とても不気味に聞こえた。


 美しい筈の舞い上がる光の粉さえ、街灯と死肉に集る羽虫に見えた。


 ——神はお優しい。あの老爺は戦う時、知性は奪われとった筈じゃ


 俺の面の皮から小さく、そんな声が聞こえた気がしたけど、俺の心が晴れることはなかった。


「俺のことは見てないのはいいけど、神を信じる民も見てないって。どっちが邪神なのか分かんねぇぞ、アルテナス」

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