第37話 ノックの音
元は自分の熱だとしても、布団の中は暖かくて心地が良い。
体中に薬が塗りたくられているが、薬というより、御香に近い匂いが鼻腔をくすぐる。
カーテンは薄く、地味な色だが厄災の時期にはちょうど良い。
部屋の中に家具はなく、部屋の隅にベッドだけがぽつんと置かれている。
射しこむ赤い光が、床を照らしてキラキラとさせる。
「あ…。匂いはそっちからか」
見た感じ、ワンルームの部屋。
扉は二つで、一つは恐らくユニットバスだ。
魔法が常在している世界だから出来る質素さかもしれない。
「準備してくるから、…寝てていいよ」
眼鏡の青年はそう言って、片方の扉の奥に行った。
その間に俺は考える。
彼が何者か、そんなのは俺には関係ない。
メリッサの行政を仕切っているのがグラスフィール家である以上、ここで生きるのは難しいかもしれない。
ゲロッと今は、質素な壁紙に同化しているカエルの故郷に行く、その選択も難しい。
現在、あそこを仕切っているのは結局、メリッサのギルドなのだ。
「はぁ…。なんでお前は喋ったり喋んなかったりするんだよ」
『普通のカエルは喋らんからだ』
「そりゃそうだけど。いや、そりゃそうか…。喋るカエルで商売しようと思ったけど」
『祟るぞ』
「全部が終わったら神だもんな。そりゃ、そうだな」
自分だけでは何もできない。
はぁ、と落胆してベッドに倒れる。
やはり良い香りがする。ここで羊毛と綿花の生産は行われていたと知る。
「前のホテルとか藁が布き詰まってたし。ま、昔の布団てそんなだったっけ。そっか。この布団って新しいのか…。なんか悪いことしたな」
シーツを洗うだけで済めば良いが、なんて心配をしながら床に散らばるガラス片を見やる。
流石にそちらを放っておくのは不味いから、箒と塵取りを探す。
家具がない。ってことはそういうのもないと思ったら、壁に立てかけてあった。
「魔法が使えたら、ぶわぁって出来るんだろうな」
『楽をするな。元は神の力じゃぞ』
精霊が世界を回している。
「なこと言われてもなぁ。神の力、アークは精霊によってウドに変わる。ウドは体内でマナに変わる。マナは魔力とも呼ばれて、人それぞれに貯蔵できる
ユリからも教わった気もするけど、あの時は流石に耳が受付外の時間だった。
だから、クリプトの声で再生される。
『扱うことも出来ぬくせに』
「それを言うなって。先ず、神が良く分かってないんだ。この世界のことも…」
そこでガチャ
「
ドアが開く音と同時に、本人の音声が本当に聞こえた。
いつものクリプトの姿。細工薬師の装備一式。
「あ、ゴメン。勝手にやってた」
「ううん。僕が割っちゃったんだもん。僕の方こそゴメン。もっと色々教えてあげられたら良かったんだけど」
クリプトは申し訳なさそうにそう言った。
「ま。これから少しずつ」
硝子のカケラを集めていると、小柄な青年は手をスッと差し出した。
それは流石に危ないと、俺が塵取りをひっこめようとする。
だけど、
「ドレック」
「え?」
目を奪われた。割れたガラスが逆再生を始めて、あっという間に元通り。
手品師、というより細工師と呼ぶべきだろう。
「薬液の方は…ゴメンね。回路が違ってるみたい」
「凄い。それでも凄いって…、…ん?容器の中に鍵が」
いやいや。やっぱり手品師かもしれない。
自分が女だったら、惚れてしまう。
「うん。部屋の鍵だよ。ここ、レイくんの部屋だもん。本当はもっと綺麗にしたかったけど、もう行かなきゃ」
クリプトってこんなだっけ?
って、考える暇もなく彼は言った。
しかも、耳を疑う話だった。
「俺の部屋?え?いや、何を言ってるんだ。ここはクリプトの」
「ライトニングが王都の解放をするって方針を変えたみたい」
「え…?だって、シュウはそのままビシュマに向かうって」
「王都の地の解放が必要…って判断が下された。当たり前の話なんだけど」
あれ?
なんだっけ、これ。
ルーネリアの、いや太陽神の言葉に…
「王都の血が…必要?」
「うん。だから僕も行かなきゃ。厳しい戦いになると思う。」
「ちょっと待てって。チーム草原は安全第一だろ?」
「そう…かな。僕にはちょっと分からないけど、多分、ライゼンとか言う人が何か言ったんじゃないかな。王都解放はフィーゼオの民にとって不可欠だし」
最初から王都解放をギルドでも掲げている。
余りにも当たり前の話だ。
そもそも、王都を魔物化のまま残す方がどうかしている。
でも、間違いなくあの男が関与している気がした。
あの白髪の厨二病男が、サーファ攻略後に勇者に近づいたのだろう。
そこで何かを言った。もしかしたら俺に関することかもしれない。
もしくは貴族絡みでトオルを唆したか。それともロゼッタ?
分からないけど、アイツが絡んでいるとなると頭に血が上る。
「だったら俺…も」
「レイはレベルが上がらない…でしょ?」
「そ、それは…。そう…だけど」
冒険者ギルドが全軍を上げて、王都の解放を目指す。
アウターズはその為に召喚されたようなものだから、戦うのが当たり前。
だのに、直前でその資格を奪われた。
「…最期に話せてよかった。じゃあね」
そして、その資格を持っている彼は、俺に鍵入りの瓶を押し付けてもう一つの扉を開けて旅立った。
◇
メリッサギルドはこれまでにパルー、バルーツ、ビシュマをシュウらによって解放させた。
その後、草原の手でウーエルを解放。更にライゼン隊がホッピーの解放を行った。
最後のは行ったことになっているが正しいのだが、そんなことはさて置き。
「余りにも順調。言われているのはアクアス大神殿と王都イスタのみ。その両面作戦が過去の歴史なんだから、総力戦をして当たり前…」
南にもギルドがある、という話を実は聞いている。
サジッタス地区とメゾリバリア地区の二つに跨るカタチで別のギルドがあって、転生組の殆どとその血の貴族子孫たちが解放に動いている。
「俺って一週間も寝てたの?」
『そうじゃな。その殆どは眠らされておったじゃが、な』
最南端の霊山サーファが攻略されたとなれば、サーファ以北の殆どが解放されたと考えるべきだろう。
残念ながら、冒険者ギルドに問い合わせる資格がないので、なんとなくしか分からない…、と思いきや
「オーランとウーラン?なんだ、そのふざけた名前は」
『神の名を馬鹿にするな』
実は、カエルのお陰で状況が掴めた。
俺がこの部屋に来たのは三日前で、毎日クリプトが薬を塗りに来ていたらしい。
来るのはいつも夜だったということで、昼間はレベル上げを行っていたと考えられる。
「う…、そうだった。国際問題に発展しそうだしやめておこう。そこがいわゆる、毎回解放されない東の森か。王都イスタとアクアス大神殿とその二つ以外、全部が解放…って。マジか。楽勝過ぎるじゃん」
王都と中央神殿の解放を放置する理由を探す方が難しい。
解放していけと、世論も訴えることだろう。
冒険には軍資金が必要不可欠なわけだし、実際に報酬は貰えるのだし。
「帰ってくる…よな。無事に生きて帰れよ」
瓶を軽く振ると音がする。
割れば簡単に取り出せそうだが、なんとなく割りたくなくて、どうにか取り出そうと試みる。
「うーん。あとちょい…」
ただ、直ぐに飽きてカーテンの隙間から外を眺める作業に切り替えた。
想像通り、一週間前より忙しない。
もうすぐ帰れると準備をしているのか、決戦に備えて人員の移動をしているのか。
「なぁ、地図って持ってない?…持ってるわけないか」
どうしたって気になる。
気になる理由で一番大きいのは、何も分からないことだ。
「シュウは元々、イスタとアクアス大神殿の攻略はしないって言ったんだ」
いつも渡される見取り図や展開図までとは行かなくても、王都の大きさくらい知りたい。
大神殿の場所くらい知っておきたい。
「知ったところでってのは分かるんだけど…。なぁ、アクアス大神殿がクワスって神なのは分かってるけど、王都は…」
そういえば聞いていない。
王様が出てこないのはおかしいとか、あのオッドアイ厨二病は言ってたけど、あいつの発言は全部否定したい。
「…って、聞いてるんだけど?オーランとウータンと」
人々が生んだ神なのか、神がいて人なのか。
そんなことはさておき。
「ウーエル。なぁ、ウーエ…」
ずっと一人で喋っていたような気がする。
いや、結構前から一人で喋っていた。
確かに独り言は多い方だけれど、この場合は——
「…誰かがいる?」
さっき聞いたばかりだ。
ウーエルは誰かがいる時は喋らない。
カエルが喋るわけないからだ。
「ま、クリプトには最初に聞かれちゃったんだけど…」
であれば、クリプトではない。
ライトニングは南から昇って来る筈。
当然、リューズもそっち側にいる。
「俺に用があるヤツって…、いや、そもそも俺に友達って」
俺は悲しいことを言いながら、ゆっくりと二つの内の一つの扉を睨む。
そこで気付く。
そういえば俺、鍵かけてない‼
特殊な形状で、内側も鍵がいるタイプだったんだっけ。
クリプトが帰って来るかもと思ったのと、瓶を割りたくないのとで…
「…誰か、いる…のか?何の…為?いや、単に物取り?」
汗が流れる。でも誰が来る?
ただの通行人の可能性も高い。
その気配に気付いて、ウーエルが黙っただけかもしれない。
普通に考えれば、そう。
だけど
コンコン…
「ノックの音…」
なんとなく分かった。相手が誰かではなくて、ずっと監視されていたことが。
「…誰だ」
近づくと明確に分かる。ドアの外に誰かいる。
なんとなく想像できる。村人の格好をしている。
「俺はただの村人だ。ここには何にもないぞ」
冒険者ギルドが今更来るわけがない。
俺が戦っても戦力にならないことを目撃した連中がいる。
タチとフォグという、所謂一般人に殴られてボコボコになった事実もある。
だけど、なんとなく理解した。
「…反政府の人間。そういえば伝わるか?」
レベルは上がらない。
常識を知らない。
金も道具も取り上げられた俺。
現時点では誰にも必要とされていないのに
「アウターズ、レイ…」
こいつは、いやこいつらは——
「王都の地図を見たくはないか?」
「…そんな前から俺の監視を?」
「……見たくはないか、と聞いている」
「俺はライトニングと関わっていた、知っている筈だぞ」
パルーの祭壇で殺された人間たちの仲間だ。
「知っている。だからこそ、だ」
「力がないと分かったから弔い合戦?それとも人質?」
だけど、やはり分かる。
「…違う。返事は?」
——反政府の誰かが、俺を必要としている。
誰も必要とされていないのに、必要という者がいる。
だったら、行くしかないじゃないか。
「見たいに決まってるだろ。鍵は開いている。何処にでも連れていけ」
そして俺は新たな道を選択する。
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