第26話 ウーエル村の罠
夜盗のような服で、渡り廊下を走る。
微かに聞こえる光女神の音色を頼りに、鈍足のまま、銀髪は駆ける。
昼前に到着して、体感ではまだ一時間も経っていない。
だが、暗闇を照らしながらの探索は想像以上に時間を早めていたらしい。
渡り廊下の窓から射しこむ赤い光が、自らの影の角度が、お昼のおやつの時間だと教えている。
「レベルアップの音…。なんだ、これは」
そこでレイは立ち止まった。
女神が何人もいるのか、ピアノの音が重なって聞こえる。
チーム・草原のメンバーは、その活動方法も相まって総じてレベルが低い。
ハウンディの討伐レベルはレベル6程度だろうから、もしかすると一人に対して何度も鍵盤が叩かれているのかも。
「リヒトたちは間に合った…?」
未だレベルアップ童貞の彼は、少し逡巡した。
踵を返して、まだ埃っぽい手で耳を塞ごうとした。
二つのグループが混在したからかだろう。
軽やかな音色だろうが雑に重なっているから、かなり耳障りに聞こえる。
「俺は…?なんで…?」
確かに今回は、一匹も魔物と戦っていない。
ただ、今までの探索も、今回の行動も、全ては女神の為の筈だ。
だのに何故
彼だけが…、いや——
彼は全く別のことを考えている。
「何か、間違えた…?このままじゃ…」
キン…と耳障りな耳鳴り。
トゥルルルと女神の指先が神のピアノを撫でているのに、吐きそうなほど鬱陶しい。
ザッザッとノイズまで混じる。
——ウーエル…、こんなの…だよね
幻聴?だが、レイはじっと頷く。同時に目を剥く。
女神の鍵盤ではなく、邪悪な喇叭、悪魔の乱破が胸を打つ。
──記録しておく?……達じゃないと……出来なかったわ。
──それは……過ぎだっつーの!…12じゃ……ば気付……
「なんだ…、これ?」
ウーエルは、魔物馬車で二時間程度進んだ場所にある大きな村。
バス感覚の二時間だから、地図上ではメリッサから結構離れている。
そして、もう一度考える。
「今のはライトニングのみんな…?いや、アイツらは敢えて中央部を避けている。だけど…」
幻聴か、それとも別の何かか。
ライトニング時代に何度も手渡された手拭いを握りしめる。
あのライトニングの持ち物だから、質の良い生地なのに汗の吸収が間に合わない。
「今回の目的は遺品探しだ。ハウンディの巣を駆除すれば、それで終わり…。あれ?それっておかしくない…か?」
相変わらず、常人と同じく疲労が溜まる。
生まれたての小鹿のようによたよたと、どうにか回れ右をする。
そして、異常事態に気が付いた。
「あれ?帰って来てもおかしくないのに、音がしない…。何も聞こえない…」
けたたましく鳴り響いていたレベルアップ音がしない。
魔物の唸り声も聞こえない。そもそも生き物の気配がしない。
キーンと劈く耳鳴りに襲われたから、聴覚が奪われたか麻痺したのか、とほんの少しだけ疑う。
だが、先の幻聴の虫食いをレイは当てることが出来た。
「…ウーエル村、こんなの罠だ」
五百年に一度、同じ繰り返しなら残留思念とか、存在していたかもしれない。
「この事は記録しておく?私達じゃないと出来なかった…か?」
この部分は女だった気もする。
いや、そんなの関係ないかもしれない。
「幻聴か、俺の勝手な想像か分からないけど、勇者パーティの一人がこうツッコむんだ。それは言い過ぎだってさ。だってさ…」
膝から崩れ落ちるのを我慢して、渡り廊下を渡りきる。
本当に愚かなレイ、何も考えないレイ、と心の中で己を罵倒しながらだ。
『——12じゃ……ば気付……』の部分に、その答えは隠されている。
なんて、ことはない。
神様だったら、とっくに見抜いている。
っていうか、なんで気付かないのって言っているに違いない。
「トーコの弟は、肉と骨が見える状態で戦っていた。治癒魔法を覚えていなかったトーコをそこに残し、彼は消えた。そして今のところ街の外に、彼の遺体と遺品は見つかっていない」
骨までしゃぶりつくされた。かみ砕かれた。
もしくは死体ごと纏めて巣に持ち帰られた。と考えたところで、召喚組レイの今までの行動が、それは違うよ、と言っている。
「…肉と骨が見えたって、レベルが上がれば治っちまうんだよ。転生組のライトニングだって、最初は半信半疑だった。召喚組なら尚更、もしかしたら子孫組も?」
反対側の三階に渡り、階下を見渡す。
そこにはハウンディの死体が幾匹も転がっていた。
「これは罠だ。ナオヤたちが戻って来なかったのは…」
魔物の死体を避けながらだから、歩みは遅い。
それに魔物が死んだふりをしている可能性だってある。
一般人にクマ退治は不可能だから、一歩間違えたら命とりだ。
身長に進む。死体が動いたような気がして肩が跳ねる。
この様子だけでも、ライトニングなら気付く筈だ。
三階から踊り場を見て、一歩、また一歩と進む。
「ぐるるるるる…」
やはり想像通り、生きている魔物がいる。
丁寧に止めを刺しながらじゃないと、怖くて進めない。
一般人にとっては一歩一歩が死の匂いで悶絶するレベル。
しかしながら、どうにか二階に降り立った。
「ただの幻聴。そうだと言ってくれ。俺の予想も外れてくるって言ってくれ。違うんだよな?」
とは言え、流石に答えを引っ張るのもしつこい。
おおよそ、見当はついているのだ。
「みんなは…。やっぱりいない。…こんなの最初から分かったじゃないか」
そして階段を急いで降りる。
途中、死にかけのハウンディを何体も見つけ、その度に持っていたライトニングの置き土産で止めを刺す。
——野良犬ではなく、ハウンディに止めを刺す。
彼は一階に、更には入った側の建物では見つけられなかった区画を見つけた。
ある意味で外、ある意味で家の中、スペインのパティオに近い内庭だった。
そこには完全に肉塊と変わった化け野犬のカケラが散乱している。
「こっち側の建物は構造が違ってた…?そんなことよりも…」
その内庭に踏み込むと空気が変わる。
「さっきの幻聴、…12じゃ……ば気付……。絶対にそうだ。あれはこう言ったんだ」
——レベル12じゃなくても邪神の名に気付けば誰でも分かる
最初から分かっていたこと、知っていたこと。
「井戸の邪神ウーエルがいるんだ。井戸の邪神なのに、どうしてハウンディを倒して終わりって考えてんだよ。だけど、どうして…」
考える暇なんてないのに、仲間の体を探しながら考える。
イルマの姿はない。あとから別動隊を連れて入ったらしいゼオビスの姿もない。
特徴的な髪型だから分かる筈なのに、それに仲間もいない。
中央には上からじゃ見えなかったけれど、屋根付きの井戸が見える。
元々、チーム・草原のレベルは冒険者の中でも低い方だった。
それでもハウンディを倒すことは出来る。それこそ死に物狂いで戦えば。
結果訪れるのは連続レベルアップ、その結果——
「この臭い、やっぱりそうだ。魔物は元からいる生命が母体になることが多い。ライトニングの時の喋る鳥は知らないけど…。この気配はそういうやつ…」
井戸を囲んでいる柱にロープが結び付けられている。
何本も括りつけられている。つるべ落としでは貧弱だと考えたのか、結構太いロープが何本も。
「みんな、レベルが上がった…から…。そのままボスを倒しに行った…」
全員が井戸の中に邪神がいることを悟っただろう。
精神的に雄々しくなる感覚、脳内物質が出まくっている、気持ち的にイってしまった快感を二倍以上も感じられる。
童貞だから分からないけれど、肉体の限界が高まり、反射速度が上がり、魔力の上限が上がって、しかも回復して元気いっぱいになる。
「しかも気も大きくなる…」
かつての仲間の行動から、ここで何があったか推測できる。
かつての仲間の行動から、トーコの弟たちに何が起きたか想像が出来る。
リヒトの話によれば、チームはバラバラだったから、リヒトとトーコに女神の祝福はなかった。
ナオヤともう二人は、実はその後生きていたとすれば。
「行方不明の二人にも同じことが起きた。そして井戸の邪神を倒してしまおうと飛び込んだ。遺品があるとすれば、井戸の中——」
井戸の眷属と野良犬って結びつかない。
ドッカエルか、ジャイダか…、それともナメクジの化け物とかコウモリの化け物か?
「お、…おーい。駄目だ。真っ暗で全然見えない。でも、大丈夫…だよな?だって、1、2、3…。ゼオビス隊を合わせたら結構な人数がいるし」
レイに出来ることはない。
もしかしたら、中は大空洞になっていて、レベルアップしたヒーローたちが戦っているかもしれない。
井戸の中だから、奥底だから、返事がないだけかもしれない。
「そ…だった。俺は何を心配してたんだ。ライトニングのみんなも同じだったじゃないか」
埃まみれ、汗だく、疲労困憊の自分とは一線を画す存在が、井戸の底で頑張っている。
世界を救う力を持つ人々を、庶民が心配するってなんて烏滸がましい。
なんて、溜め息を吐いた時。
井戸の奥底がポッと光った…気がした。
「ほら…、やっぱり戦ってる。英雄様の心配なんて、そりゃ悪いことを——」
また光った。今度は気のせいじゃない。
三回点滅して、三度長めに光る。そして三回点滅の繰り返し。
って、これは
「信…号?その意味は」
その瞬間、何本も垂らされた一本のロープからギリッ‼と音がした。
どうして「SOS」なのか、そんなことは考えずにレイは動いたロープを握った。
「く…。お、も、いぃぃぃぃぃいいいいいい」
石製の井戸の縁に足を駆けて、両腕の力と足の力と広背筋の力で太めのロープを引く。
ロープ自体も重いのに、まるで何かを釣り上げている気分だった。
ライトニングさんから頂いた手袋がなければ、ズルズルに剥けていただろう。
いや、その高価な手袋も限界寸前で、レイの体力もそろそろ限界。
もう、無理——
すると、突然軽くなって、レイは勢いそのままに後ろに盛大に転んだ。
転びながら、レイは焦る。もしかしたら井戸の邪神を引っ張り上げたかも、なんて思った。
ただ、転がりながら見えたのは紫と白が混ざった髪の
「イッチ‼やっぱ、上にまだいたんすね‼マジで助かったっす‼信号も通じて良かったっす‼」
心底嬉しそうなリューズだった。
モールス信号の法則がリラヴァティと同じかは分からない。
比較的有名だから、召喚組かもとは思っていたし、こんな厨二病チックなのはヤツだろうとは思っていたけれど。
それでも、レイは目を剥く。
「SOS。その髪…、ただ汚れたわけじゃないよな。下で…何があった?今、どうなっている?他のみんなは…」
たった一人引き上げられた男の顔は青ざめていた。
髪の色も感情的なモノとは思えないが、そんな彼は言った。
「俺は…井戸の底はダンジョンっす。それに…、猛毒のガスが至る所に溜まってるす。多分、…全滅」
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