第4話 英雄の卵をノックする音
アルテナス月の十日の出来事。
くすんだ銀色の鎧、チェーンメイルから伸びた手。
長い人差し指が自身の唇に当てられる。
すると、四人は反応して身を低く構えた。
あと一人も遅れてソレに倣う。
「ラジラットの群れだね。食事に夢中らしいから今がチャンスかも」
リーダーの言葉通り、大きなネズミが何かに群がっていた。
とても分かりやすく、赤と黒いオーラを纏ったネズミだった。
パルーの祭壇は少し前まで、嵐から人々を守る防風林の神様を奉っていたのだ。
何を食べているかなんて考えたくもない。
それは誰もが分かることだったけれど、彼女は動いてしまう。
「早く助けなきゃ…」
「ユリ‼…皆、行くよ。光女神様、ボクに力を…、ゴート‼」
するとネズミたちの塊に向かって火球が飛んだ。
これが開幕の狼煙となる。
彼女の正義感のせいか、正義感のお陰か。
初めて魔物に出会したであろう若人たちは、先制攻撃というアドバンテージを大して活かすことなく、戦い始めることになる。
「どう見たって死んでるでしょ!」
「それがユリの優しさだよ‼」
「レイ、貴様も働いて見せろ」
皆が口々に初めての戦いを始める。
その様子というより、銀髪は魔法にただ目を剥いていた。
「そういえば説明してなかったね。先に教わってたんだよ。さ、後ろはボクに任せて、君も戦いを経験すると良いよ」
「そ、そうだな…。と、盗賊…として行ってくる…、…って‼」
そして彼らについていくことが目的だから、レイもラジラットの群れに突入する。
すると後から行動したおかげで、レイは直ぐに気付けた。
ネズミの群れは、目で見ていたときよりもずっと多かったのだ。
だから、面舵を切って進行方向を変えた。
しかも、リラヴァティ人生の進路をも変える方向転換である。
「ひ…」
魔物がいつ現れたのかを召喚組は知らない。
少なくとも彼は説明を受けていない。
とは言え、それほど前という訳ではないと目で見て判断が出来る。
ガキンという音と共に、銀髪の顔が歪んで尻餅をついた。
「う、重い…な」
こちらはまだレベル1で、恐らくこちらの現地人と大差がない。
質量を跳ねのけるだけの力はまだない。
とは言え、向かい側の大型げっ歯類の歯が欠けて、あちらも同じように弾かれていた。
重要なのは、その後ろにいたプリーストが目を剥いていたことだ。
「レイ君‼」
そして最重要なのは、ユリが彼の名を叫んだことだ。
その声に反応して、茶色髪と赤い髪の毛、黒い髪の彼も振り返った。
即ち、三人とも気付いていなかったのだ。
一歩遅れて
「ゴート‼ゴート‼」
リーダーが炎を撒き散らしながら、皆の元に駆けつけた。
「レイ‼ナイス判断だよ‼」
これもやはり重要な声である。
即ち、誰一人として気付いていなかったのだ。
剣や魔法の訓練はしても、実戦は未経験。それが彼らだった。
レイだって偶々目に入っただけだが、これを好機と捉えてしまった。
「た、大した事ないって。ヒーラーを守るのが鉄則かなって」
これがどんな選択だったのか。
現段階で、彼には分からなかった。
「チッ。そりゃそうだよな。俺だって気付いてたらユリを守ってた。…サンキュウな、レイ」
「思ったより使えるじゃない。いいわ。認めてあげるわ」
「強い仲間なら歓迎するべき…か」
だって、彼らは素直にこんなことを言う。
今は正しい判断のように思える。今だけは。
「そ、そこまでのことじゃ…。シュウ、状況はまだ変わってないぞ」
「そうだね。レイの言う通りだ。ユリ、勝手に飛び出すのは流石に勘弁してほしいかな」
「う…、うん。分かった」
「ケンヤ、トオル、ロゼッタ。それからレイ。ボクたちを守るように四方を任せていい?」
「勿論よ」
とは言え、状況は大ピンチだった。
レベル1の段階での『パルーの祭壇』攻略は、早計と判断せざる得ない。
「く…、動きは単調だけど、一発一発が重い…」
六人いるから六体までならどうにかなる…かもしれない。
ただ、数が余りにも桁が違うから絶望的だった。
レイはちょっとどころじゃなく絶望していた。
負けた後の人間の姿が、あちこちに散乱しているし、とても臭いのだ。
そんな中で赤毛の彼女は叫ぶ。
「アタシたちはアルテナス様に英雄よ。思い切りやりなさい」
同じく黒髪の彼も。
「笑止。ラジラット程度だ。さっきの威勢はどうした?」
四方の一角を任されたから、彼らの戦いが見えない。
それでも、何となく伝わってくる。クソ!とか、何匹くるの?とか。
「ゴート‼ゴート‼皆、頑張れ‼」
「分かってるって‼クソ…。噛まれちまった。これって大丈夫なんだよな?」
それはどう考えても大丈夫じゃない。
ネズミは疫病の伝達者の代表ではないか。
レイがユリを助けたのだって、尖ったものが怖かったからだ。
他の三人のように大きな音が立てられないのは、積極的に戦えなかったからだ。
だが、そんな考えを吹き飛ばしたのは
「アクアスヒール‼」
「おお。すげぇ。水女神の癒し‼サンキュウな、ユリ」
「うん、大丈夫だよ。レイ君も…、安心して戦って…ね」
背後で起きた奇跡と、勇気づけられる言葉。
レベル1だから高が知れているかもしれないが、魔法の存在は大きい。
儀式的に行われた出発式の最後、レイの目に輝いて見えたのは「盾」という身を守る装備だ。
戦士と言ったら貰えたのかもしれないが、何も知らないレイは冒険者の服と短剣を受け取っただけだった。
だから、シュウが使う炎の攻撃魔法より、ユリが使う回復魔法はとても魅力的に映った。
「ちょっとくらい平気ってことか…」
神様の力が魔法という奇跡を起こしている。
だけど、神々は邪神になったという話。
邪に染まろうとも神々は人間を支えてくれる。
ユリの信心深さはこういう所からも来ているのだろう。
「やっぱ、ゲームみたいな世界。だったら…」
少々の傷は問題ない。
とは言え、目とか腕とか、何なら指とかは失いたくない。
盾のない片方の腕を庇う意味も含めて、短剣を両手持ちに代える。
それから単調な動きに併せて、大型げっ歯類に叩き込む。
「痛っ…」
それでも苦しい。
数というのは余りにも暴力的で、出発したばかりの若者が立ち寄るべきではない。
何より、死を恐れない魔物の突撃は足が竦むほど絶望的であった。
召喚されて早々に大ピンチ、なんて考える暇もなく短剣を振り続ける。
両手持ちに代えたところで、短剣が軽くなったり、ラジラットが軽くなったりはしない。
次第に動きが悪くなり、魔物目線でも動きが遅くなっていく。
とは言え、こんな時こそファンタジーなのだ。
「レイ‼屈んで‼」
ユリの声が聞こえて、
「ゴート‼…レイ、こっちへ。ユリに回復をしてもらって」
リーダーであるシュウが手招きをした。
炎の魔法で隙が生じ、飛び込むようにユリの足下に突っ伏すと、彼女から癒しの魔法が降り注がれる。
「う…、うっ?痛みが引いていく…。凄いもんだな。二人ともありがと」
「ううん!レイ君
レイが辺りを見回すと、出血が生々しいが血は止まっている三人が見えた。
加えて、焼け焦げた大ネズミの姿も見える。
四方の残り三つも、自分と似た戦いをしていたことに気付く。
そう言えば、この陣形を取らせたのは微笑んでいる彼だ。
「本当に凄いよ。ボクたちは当たりを引いたみたいだね」
「シュウ君…、その言い方は」
「わっ。ゴメンゴメン。流石はユリだね。レイの資質に気付いていたんだ」
攻撃魔法使いと回復魔法使いのコンビで、絶望的な状況があっという間に変わる。
まるで、ここまでが既定路線であったかのようだった。
ユリの突発的な行動があったから、他の戦い方が選べなかっただけだろう。
けれど、レイ青年は純粋に思った。
「いいや。それはこっちのセリフだよ。どうやら俺は職業ガチャはさて置き、仲間ガチャは大当たりだったらしいな」
いや、口にしていた。
すると、キューキューと劈く鳴き声の中から、仲間たちの声がする。
「ふん…」
「今頃気付いたのかよ…」
「アタシたちはとっても期待されてるのよ」
やはり重かったのだろう。盾を放りだして、両手持ちで必死に戦っている。
四方の内、三つを担当していた男と女の背中は、なんとも頼もしく見えた。
ただ実は、ケンヤたちは恥ずかしくて言えないだけ。
彼らの気持ちをリーダーは恥ずかしげもなく掬い取ってしまう。
「うーん…。そうじゃなくて。ほら、レイはちゃんと戦ってくれる。実はそれだけで大当たりなんだよ。ボクたちは」
「シュウ君‼」
「うん、分かってる。君で最後だ。ゴート‼」
タクトのように杖を振りかざし、金色髪の青年はラジラットを炎で焼いた。
魔法を使うのも大変らしく、彼の顔には疲労の色が見え隠れしていた。
とは言え、リーダーはこのくらいで弱音なんて吐かない。
「ってかさ。召喚組は戦わずに逃げるって噂があったからなんだ。だから正直、ボクは驚いてるよ」
レイの鈍色の瞳が僅かに剥かれた。
初戦が終わって初めて気付いたのだ。
「あれ…。そういえば俺って」
魔物の血に塗れた手は吐き気を催すレベルで汚いから出来ないが、 本当は頭を抱えたい。
余りにもギリギリで召喚されて、説明という説明を受けずにここまでやって来た。
その流れのまま、今に至っている。
「うん。レイ君は何か違うって思ったもん。私たちはどうしてここに来たのか…、殆ど覚えてないもん」
真ん中にいた二人は、どうやら汚れていない。
その片方、青い髪のプリエステスは呟いた。
レイにも身に覚えがあることだ。
何かの為に、記憶の一部を差し出した。っていうか、勝手に書き換えられた。
それを何となく覚えているだけ。
「ったく。大人数にしたのが、そういう理由ってバカみたいだろ?」
「ホントよね。アタシ達は英雄になるために生まれ変わったのに」
恐らくだけれど、このメンバーが一番最初に戦ったであろうと言える。
そして親切ではあったが、こっちの世界の人々の多くは戦いに参加しない。
「…なんとなく分かってきた」
ここに居る五人は、転生組の中でもやる気がある組だ。
茫洋とした記憶を紡ぎ、自らのやるべきことを定めた若人なのだ。
それ故に、最初は見知らぬ召喚組を弾こうとした。
靄がかかった魂の記憶は告げている。
——全ての邪な神々を打ち倒し、女神アルテナスを救済せよ
だがしかし、
何の為にと聞かれるとそこで思考が停止してしまう。
「えっと…。コレ…」
ゆっくりと差し出される手ぬぐいに、銀髪の青年は手を伸ばした。
戦いはひと段落を迎えたらしく、ユリ以外の四人の顔も見える。
「アンタも頑張ってたのね。やるじゃない」
リラヴァティという世界に暗雲が立ち込めているのは間違いない。
明確な目的は分からない中で、彼ら彼女らは命を賭して戦うのだ。
「あ、ありが…」
そう思った瞬間、五人の若者が輝いて見えた。
え?
レイは、「いやいや」と手ぬぐいで真っ先に目を擦る。
余りの眩さに、涙が瞼を埋めたと思ったから、
だが、 涙なんて溢れていない。
——実際に輝いている。
しかも、その光を彼は知っていた。
知っていたも何も、さっき見たばかりの光景だ。
だから、拭ったばかりの目を剥いてしまう。
『トゥルルルルルルルンッ‼』
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