第8話 チョロイン気質
時刻は午後の六時半。
その時間に社長デスクの隅にある置時計が『ピピピ』と音を鳴らす。
最初は何の音だろうと部室のあたりを見渡していたが、熊野が席を立って置時計に触れたことで、それが時計のアラーム機能であることに気付いた。
「幻創学園の部活は七時までだからね。それ以降に活動していたらペナルティに繋がっちゃうみたいなんだよ」
「そうそう、だから六時半から撤収準備だよ~。と言っても、活動日誌はもう狐坂くんが書いてくれたし、今日は片付いてるからやることないね~」
そういうことらしい。綿樫はパイプ椅子に背を預けて、ウェーブのかかった髪を人差し指で弄りながらだらけていた。
綿樫が先ほど言った通り、活動日誌は書いたし、本日の活動で使ったものはその都度片付けていたから、部室内は入ってきた時とさほど変わりはない。せいぜいテーブルの上にペットボトルがあったり、椅子やテーブルの位置が少しだけズレたりしている程度だろう。
ということは、あと三十分近くはのんびりする時間ということか。
フリートークタイムってやつ?
「そういえば、熊野は元からこういうの興味があったの? 一年の時は、あまり漫画とか見るようなタイプじゃないと勝手に思ってたけど」
というわけで、話を振ってみる。
熊野とは休日に遊んだりすることもあったし(熊野が女装や中性的な格好をしたりするのでカップルに間違われることもよくあった)、クラスでも良く話す。だからといって彼の趣味嗜好を一から百まで知っていることもなければ、逆に俺の全てを開示しているわけでもない。
「え? 布路先生が『狐坂くんも入る予定だから』って言って誘ってきたから入ったんだよ。狐坂くんも一緒なら、楽しそうかなって思ったんだよね」
「なにそれ。初耳なんですけど」
創作実践研究部の顧問は、熊野が言ったように布路先生である。とにかくちっこい先生だ。街で見かけたらランドセルを背負っていても不思議はないぐらいの童顔だし、声も高くて幼い雰囲気。
それでいて二年三年の武道を教えているというのだから、なんとも幻創学園らしいというか、個性の強い先生である。ちなみに、本日熊野が遅れる原因となった武道の先生というのは、一年を担当する新任の先生らしい。成績優秀な熊野に組み手をお願いしたそうだ。
「だから狐坂くんの入部テストって、本当に形だけのものなんだよね~。岼ちゃんを納得させるためだけにやってるって感じかな~」
「あいつどこまで俺のことが嫌いなんだ……」
ハーレムみたいだなって言っちゃっただけじゃないか……まぁ口は災いの元ってやつだよな。
うーん……それだけで俺のことを毛嫌いするってのは納得いくようないかないような……第一岼自身だって、この研究会には参加したばかりどころか、熊野や綿樫とも初対面だろうし――いや、そうとは限らないのか?
「わからん」
これ以上考えることは良しとしないので、ひとまずの結論を口から出す。
「あはは、まぁ岼ちゃんに関しては、私もよくわかってないんだよね~。私のことなんて最初『様』付けで呼んでたぐらいだし」
綿樫が言うには、初対面で『綿樫様、お会いできて光栄です』と言われたらしい。現在は綿樫が拒否したおかげで、普通の扱いになっているようだが。
「そういえばそうだったね。でも、僕に対しては普通だったかな。なんだか綿樫さんのこと、すごく気に入っているというか、ものすごく目上の人として扱ってるというか……ともかく、大切な人って感じ?」
「え? それは恋なのでは? つまりあれか、俺は綿樫のことが好きな岼からしたら、恋敵みたいに思われてるってこと? おいおい待ってくれよ、俺は綿樫のことを可愛いと思うことはあっても、付き合いたいと思ったことはないぞ。俺は慎重派なんだ」
「その発言が慎重どころかかなり攻めた発言であることには気づいてるのかな~? 本当に狐坂くんは面白いね~」
と、ニヤニヤした表情で綿樫が笑う。よくわからないが、好感度が上がったなら良しとしよう。
ともかく、先ほどの俺の予想は案外間違ってないんじゃないだろうか?
名前だって岼だし、百合展開になってもおかしくはない。名は体を表すってやつか。
「まぁでも、先生も入部を認めてくれてるって言うなら、岼があとからワーワーと文句を言うことはないだろう。たぶん」
部室で岼と顔を合わせたのは一度だけだが、登下校中に睨まれたり、絡まれたり、暴力的展開に発展することもちょこちょこあった。びっくりだろう? 俺と岼、初めて顔を合わせてからまだ一週間も経ってないんだぜ? 学年も違うというのに複数回エンカウントって……あいつこっそり俺のことストーキングでもしてんじゃないか。
「まぁ奴のことは忘れよう。とりあえず、あいつが迷子猫を発見して部活に参加するまでの間に、創研の活動をして、活動日誌を書いて、実績を残しておけばいいか」
「うんうん、そんな感じでいいと思うよ~。私としては、去年の文化祭の謎解きを狐坂くんが『まぐれじゃない』って言ってくれたら、それで入部テストを破棄できるんだけどな~」
「あれはまぐれだよ。だ、だけど、いまさら図書券を返せって言われても返さないからな! 謎を解こうが運だろうが、手に入れた人の物って言ったからな!」
「あはは、大丈夫大丈夫。返せなんて言わないよ~」
なにしろ一万円分である。もうとっくに使ってしまいましたよ。
「あれって創研の人たちで考えた謎解きなんだよね? 綿樫さんも一緒になって考えてたの?」
「そうそう~。みんなで一生懸命考えたし、前準備もかなり頑張ったから、運で解かれたら悲しいんだよね~」
「それはすんません」
「本当は文化祭の二日目でヒントが出そろう予定だったんだけどね~。初日で見つけちゃうんだもん。私は納得できなかったけど、当時の部長は『よっぽど頭が回るやつなら、予想できなくはない』って言ってたからね~」
「狐坂くん、模擬店の休憩時間にゲットしてたよね」
「も~、やっぱり納得いかないよ~」
「だからごめんってば!」
不満そうに綿樫は唇を尖らせているが、半分は俺をからかって楽しんでいるような雰囲気だ。熊野にいたっては普通に笑っている。
「まぁそれは置いておくとして、そろそろ帰らないとまずいんじゃないか?」
「そだね~、帰ろ帰ろ~。みんなで戸締りと電気のチェックよろしく~」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
部室の戸締りを完了して、三人で一緒に帰宅する。綿樫が先頭で、俺が右斜め後ろ、そして左斜め後ろに熊野という配置である。学校から駅に向かうまでの歩道はそこまで広くないから、三人並ぶと少々窮屈なのだ。
「あ、そうだ。忘れてた」
歩きながら、綿樫がポンと手のひらに拳を落とす。そしてバッグからスマートフォンを取り出すと、俺に向けて「チャットアプリのID交換しよ~」と言ってきた。
「私が研究会のグループチャット作ってるから、そこに招待しなきゃいけなかった」
「そんなものがあるのか――って、仮入部の俺を入れてもいいわけ?」
「もう決まったようなものだからいいんじゃない? というか、僕は狐坂くんが入部できなかったら辞める予定だからね?」
「あはは、私と岼ちゃんの二人になっちゃうから、それは困るな~。やっぱりなんとしても狐坂くんには入部してもらわないと」
「それは綿樫の入部テスト次第だろうに……」
いや、岼次第なのか? しかし、それはそれでおかしな話だよなぁ。
なんで入部したばかりの岼が、一週間遅れで入部する俺に口出しできるのだろう? 意見を言うぐらいはできるだろうが、入部を拒絶するぐらいの発言権はないんじゃないか?
あ……もしかして、綿樫が岼の話に流されたとかだったりする? それはそれでありえそうだなぁ。
そんな浅い結論で自分を納得させている間に、綿樫と連絡先を交換。彼女はすぐさま俺をグループチャットに招待した。
ページを開くと、ちょうどそのタイミングでメッセージが追加された。
『申し訳ありません。一匹は見つけて飼い主に届けたのですが、知人の猫も探して欲しいと頼まれましたので、明日も部室には行けそうにありません』
俺の『ハクトがチャットに参加しました』の直後に、そのメッセージが並んでいる。
ということは、今岼もこの画面を見ていそうだな……と思っていたら、さっそく新規のメッセージが。
『は? まだ入部テストは終わっていないはずですが、なぜ狐坂先輩がチャットに参加しているのでしょうか? 何かのミスですか? それとも同名の別の方でしょうか?』
ん? まだ入部テストは終わっていないはず?
彼女の言葉に一瞬違和感を覚えたが、すぐに綿樫がスマホを操作してメッセージを追加したので、疑問は霧散する。
『まぁまぁ、岼ちゃん、私に免じて許してよ~。それとも、私と個人で狐坂くんとやりとりしたほうがいいかな~?』
『なっ!? それはいけません! あのケダモノはきっと綿樫先輩の優しさに付け込んであんなことやこんなことを要求してきますよ! このグループチャットを使用して、熊野先輩と共に私が監視します!』
『じゃあそういうことで~』
『よろしくね白斗くん』
『ちっ。先輩方のご厚意に感謝してくださいよ、狐坂先輩』
メッセージでわざわざ舌打ちを書かなくてもいいだろうに。
というか、なんか岼ってチョロいよな。
綿樫の言い方が上手かったのもあるだろうが、チョロさがにじみ出ている気がする。綿樫、あのチョロさは見習って、というか、流されてくれてもいいぞ。俺が綿樫を攻略する時に楽になる。それに加えて、チョロインってフィクションあるあるだしな。
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