第3話 君と祝福を
人を雇いたい。
率直にいえば、僕は仲間がほしいのだ。お金で雇った関係を仲間と呼べるかはわからないが、それは上下の関係を生み出すかもしれないが、僕は社会的なつながりを求めている。
しかし、そのためにはこの世界この国のルールや法を知る必要がある。もちろん、大金を使ってそれを省略したいのだが、法律家と契約して雇うためにも法律の知識は要るわけだ。結局は僕自身が学び知っておかなければならないことはあるだろう。
僕がこの世界のことを知ること。これは大切な目標になる。
さあ、考えはまとまったようだ。
あれから数週間が過ぎた。僕は自宅のリビングに座り、目の前を行き来してぱたぱたと掃除をするエリンを眺めている。
そうだ。信頼関係があるかはわからないが、僕には尽くしてくれる人はいる。
数週間をエリンとともに過ごし、甲斐甲斐しく僕の世話をしてくれる姿を見て、それは事実であると僕は思う。
新しい人材を求めるにせよ、ちゃんと考えないといけないな。エリンのことも忘れないように。
「エリン、今日の夕食は一緒に食べないか」
エリンは掃除の手を止めると、嬉しそうな顔をして僕に答えた。
「それはよい考えと思います。では買い出しからご一緒願えますか。もう少しできりがつきますので」
僕は承諾してエリンを待つ。
それから2人で買物に出かけた。帰ってきて、エリンが手の込んだ料理を始めたので、僕も手伝おうとしては断られ、やがて食卓に全ての料理が並んだ。
「いただきます」
「それでは、わたしもいただきますね」
2人で食事をしながら、会話する。
僕とこの異世界の接点において、今のところこの子が重要な役割を果たしていることは間違いない。
「エリンが仕えてくれて、もう3年も経つのか。あれ、君はどうやって僕のもとで働くことになったんだっけ?」
とぼけた振りをして、情報を引き出そうとしてみる。
「今さら何をおっしゃいますの。わたしの母は長く先代にお仕えしておりました。わたしは小さな頃から『あなたはお継ぎのサイト様に仕えるのよ』と言い聞かされて育ったのですよ」
なるほどね。そういうからくりもあったわけか。
僕はお酒を出してきて晩酌といき、気分がよくなったという振りをして、実際お酒の力で気を大きくしてこう言った。
「君に特別ボーナスを出したい。資産なんて使え切れないほどあるんだから、君にも使ってほしいなって」
エリンは、僕が演出した楽しい雰囲気を遮り、真顔になって言った。
「それは、お断りします」
「ん?どうしてさ」
「わたしのつまらない誇りと言いましょうか……もちろん生活していくだけのお給金はいただきますが、それ以上の金銭はお断りいたします」
凛とした表情でエリンは続けた。
「わたしの母は、先代のリウィウス様に恋慕の情を持っていたと思います。だからこそ自分は生涯をかけて尽くし、わたしにも尽くすことを望んだのだと」
初めて見る顔だった。
「わたしは、サイト様に全てを委ね寄りかかってしまいたくありません。主従であるとはいえ、対等な関係でいたいのです」
僕は、彼女の答えを受け取った。
夜は更けてゆく。
「新しく人を雇おうと思う」
僕のその言葉を聞いて、エリンの笑顔が曇るのを僕は見逃さなかった。
「わたしの働きが足りなかったでしょうか。それとも他の不満でも」
「違うんだ。せっかく自由になるお金があるんだから、それを生かすために法律に詳しい人を雇いたいなって。僕の身の回りのことは、これからも君にお願いするよ」
「はい……」
僕がいきなり考えを話したから、エリンはまだ判断がつかないというような顔をする。
「だから今日は街に出て情報を集めたい」
「はい……それならお供いたしますが」
あまり乗り気でないエリンを連れて、2人で街へ出る。
最初のときと同じように、目の前に立ち並ぶ建物群と人々の活気を眺めながら僕は考えていた。
僕が調べた限りでは、この世界の技術水準は元いた現代日本と同じくらいのようだ。法を定める倫理観も僕が元の世界で培ったものとそう変わらない。もちろん、基本的にどんなときでも相手を下の名前で呼ぶとか細かな文化の違いはあるようだけど。
やはり僕のこの世界での活動を動きやすくするためにはまず法律の専門家を雇いサポートをもらうのが第一歩だと僕は考えた。
できるだけ良い人材を雇うため、街で情報収集を行う。すると、この街にも法律家にあたる職業の人はいるが、より専門的で良い人材を求めるならもっと大きな街に行く必要があることがわかった。
それならと、僕とエリンはタクシーに乗り込む。
大きな街は山を越えた先にあるらしい。
「エリン、これから行く街はどんな所かな?」
隣りに座るエリンに質問するが、答えは返ってこない。無視したというよりは聞き逃したという風だった。エリンはいつものにこやかな表情を顔に張り付けてはいなくて、難しい顔をしている。珍しい。
僕も気にすることなくスマホをいじることにした。
奥深い山道を車が走っているとき、それは起こった。
対向車がものすごいスピードで車線をはみ出してこちらにぶつかってきたのだ。運転手がとっさにハンドルを切る。結果として僕たちの車はガードレールを押し切り道から転落した。対向車は走り過ぎてしまったようだ。
状況を確認して落ち着こうとしていたが、車内は、僕は大混乱だ。
スマホは放り出され、変な姿勢で僕の身体も投げ出されていた。
大丈夫か、とエリンと運転手の無事を確認しようとする。
隣りにエリンはいない。運転手は気を失っているみたいだった。
そのとき、右足に痛みがあることに気づいた。血が滲み、歩けるかはかなり怪しい。
それでも僕は車から這い出し、運転手を寝かせ自分も座り込んだ。平らな草の上だった。
救急車を呼ばなければ。と、スマホを探した。
周りを見回すと、僕のスマホを手にエリンが立っていた。
よかった無事だったんだ、と思うが早いか、エリンは走り去っていく。
僕は、足の痛みでここから動けない。
というよりも、エリンが逃げた、見捨てられたというショックで立ち上がれないのかもしれない。
運転手のスマホを、という考えもよぎったが、痛みをこらえて探し出す気力は見つけられなかった。
じっと座り込んで、どれくらいの時が過ぎたろうか。
僕はまたこの異世界で途方に暮れる。
あのときは、エリンが来てくれた。
僕の心が悲しみに包まれたとき、エリンが戻ってきた。「救急車を呼びました」と言って僕の隣りに座る。
怒る気にも、責める気にも、問いただす気にもなれなかった。ただ僕たちは黙って、座っていた。
やがて、エリンが気持ちを語り始めた。
「わたし、本当に逃げ出したんです」
エリンは僕のほうは見ずに下を向いている。
「ここが、わたしの人生を変えるときだと思いました。小さな頃からお母さんは延々と自分のストーリーをわたしに語り、それを押しつけてわたしの将来を塞ぎました。わたしはその方に仕えて一生を終えるのだと。それはわたしにとって呪いでした」
エリンのストーリー。
「でも、わたしは、わたしの中にある本当の気持ちを見つけました」
エリンがこちらを見た。
「サイト様に仕えるのが好き。サイト様のお世話をするのが好き。サイト様と一緒に過ごすのが好き」
エリンの目から涙がこぼれていた。
「だから、わたしは気づきました。わたしにとってこれは、呪いであるとともに、祝福でもあったのだと」
僕も泣いていた。僕とエリンは、一緒に泣いた。
救急車がやってきて僕たちは病院へ運ばれた。運転手は無事だった。僕の右足のケガも全治2週間の軽傷だった。
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