第24話
──ああ。俺はまた、悲願を果たせないのか
冷たい閑寂な海の底。
声も音も、匂いも、陽光も届かぬ場所で、男は長きに渡り眠りについていた。
千年もの眠りの中で記憶は混濁し朧気だ。大半のことは今でも思い出せていない。
ただ残ったもの。それは痛烈な敗北の記憶だった。
人類への総攻撃を開始した折だ。
ある者と出くわした。
妖精の如く羽を持った、剣士。
その者の顔は、靄が掛ったように思い出せない。
だが、宿願を前にして惨敗を期した記憶は長い歳月を経ても消えなかった。
悔しかった。何も敗れたことが悔しいわけじゃない。
あの者は横たわる馬頭丸など目もくれず、その場を立ち去った。
気紛れか、はたまた路傍の石か。
どれにせよ、その時、馬頭丸の
だから、恥と共に肉体を捨て、不死の少女に寄生し生き永らえた。
全ては人類を滅ぼすという誓いのもと。
だがそれも、ここまでか。
百道の渾身の一撃を受け、射手座という星座は完全に消滅しつつあった。このままでは一片すら残ることはないだろう。
途切れ途切れの意識の中で馬頭丸は思う。
──なぁ、王よ。俺はどこで間違えた。
助けられなかったからか?戦うと誓ったからか?滅ぼすと決めたからか?
いいや、全ての狂いはあの時あの場所で、あの長髪の剣士と出会ったからだ。
そうだ。
あの者は木刀を持っていた。丁度、あの黒髪の少年と同じような。
そして、浜で感じたあの時感じた不思議な気配。
──もしや、そういうことなのか?
木刀の少年と、坊主頭の少年。
あの二人からはあの剣士と同じ匂いがする。
彼らはいずれ、同胞と、王の宿敵となるだろう。
ならばせめて。
馬頭丸は眼前の少年に言い放つ。
「その面、いい加減、ムカつくんだよ‥‥!」
最期、星霊は随分と人間臭い台詞を吐いた。
「だから壊した。理由なんて、それで十分なんだ。なにせ、俺たちは獣だから、なっ!!」
怨嗟する渦中。
その魂は悠久の眠りにつくのだった。
※
騒然とした笛の音に、百道は目を覚ました。
遠方から響く、調子の良い祭り囃子。和気藹々とした祭り客の声。
周囲を取り巻く蝉時雨。生暖かい潮風。
何より蒸し暑い。
朧気だった意識が、瞬間的に醒める。
百道はガバッと起き上がって、しかし壁に額を打つけたような衝撃に崩れ折れた。
「そうだっ、恋歌はっ!?──っ痛ぅ!?」
悶絶する百道だが、しかしその隣に同じ様子の少年がいる事に気がついた。
「テンメェッ、起き上がるにせよやりようってもんがあんだろうが!」
「し、時雨っ!?」
時雨は怒り心頭の面持ちで額を摩り、「チっ」と柳眉を逆立てる。
しかし次の時には「クソ猿が」と呟き、百道の隣の浜辺に腰を落とした。
「ここは、例の‥‥」
百道は周囲に目を遣った。
そこは砂浜で、眼前には深い夜色の水面が広がっている。
背面からは賑やかな太鼓の音が響いている。
陰と陽の狭間の仄暗い場所。
間違いない。恋歌と初めて会ったあの入江だ。
「なぜ‥‥もしや、今までの全てが夢だというのか?」
今日は時雨と決闘したあの日で、百道はずっと気絶していた。これまでの出来事は全て壮大な夢で、今ようやく目覚めた。そういう事なのか。
百道は首を振り、己の呟きを否定する。
いい加減理解している。この世界はそんなに甘くない。
百道は透徹な眼差しで時雨に向き直った。
「奴は、倒せたのか?」
時雨はその後を聞かせた。
百道の一撃は、旧朱雀神社の跡地を跡形もなく吹き飛ばしたそうだ。
そこに残留する星禍の気配はなく、射手座も、その周囲の星禍も、全て無に帰した。
その後の始末を誠司らに丸投げ、今に至るという。
戦いは終わった。
セイサイは発生してしまったが、最小の被害で済んだ。
星祓隊はその体裁を守れたと言えよう。
百道は己を戒めるように拳を握る。
「俺はまた守れなかったな。だが、セイサイを食い止めれたことは誇りに思うよ」
時雨が呟いた。
「テメェは類人猿の癖に、大事なモンはちゃんと取り返しやがって」
時雨は百道を真っ向から見据え、
「ただ、まあ、紛いなりによくやったんじゃねぇの」
とどこか歯切れが悪い口調で告げた。
百道は呆気にとられた。
あの絵に描いた様な無礼傲慢男が、百道を認めようとしているのである。
「‥‥明日は雪か?」
「チッ。クソ猿が」
そう悪態づく時雨からは、普段の刺々しさが感じられない。
周囲を突き刺すような毒気が、形を潜めているようだ。
百道が愛を知り変われたように、この男も変化の最中なのかも知れない。
「ふっ、貴様もようやく俺を認めたか」
「煩せぇよ。あんま調子乗んなよ、雑魚が」
ふと、後遠からひゅーと、夜気を斬り裂く長い音。
次いで、ドンっと大気を震わせながら、パッと天空に巨大な光彩の花が咲く。
振り返れば夜の闇を背景に、赤や緑、黄色や青の、艶やかな色彩が浮かんでいる。
恋歌に似合う、夏夜の大輪。
遅れて遠くから聞こえる、拍手と喝采の音。
目頭が熱くなって、喉が渇いて仕方が無かった。
それこそが、彼女に見せたかったものだ。そして、叶えられなかった。
百道は時雨を強く見据えた。
「時雨。俺は強くなる。お前よりも、誰よりも強くなってやる」
百道はそれしか知らないのだ。
取りこぼさない術を。
「だから首を洗って待っていろ」
「はんっ。寝言は寝て言え類人猿」
花火の明かりが大地を照らし、儚くも美しい陰影が少年らを彩った。
※
各々が思惑を抱き、夜空の大輪を仰ぐ中、一人旧友を悼む天使がいた。
そこは天ノ御柱結界の外側の、黒化エリア最奥部にある四方を海に囲われた離島の、異様に白い場所だ。
足場も岩も森も、川さえも、その全てが無機質な純白で包まれている。
そしてその者も例にあぶず純白だった。
いいや、まるでその者が白を伝播させているかのようだ。
「馬頭、逝ったか」
その者が何者なのか、定かではない。
顔も、性別も、全てが白に覆い隠され不明瞭だ。
ただ。人類に仇なす者であることは確かだった。
「其方の狼煙はしかり受け取った」
その者は、虚空へ杯を酌み交わし、夜気に告げる。
「人類殲滅を始めようか」
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キニキス、その序章──空を見上げる猿 板打つ鬼気 @itabutsukiki
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