第3話

 クリスマスの翌日、アヴェリエもアヴィモアもどちらも昼前の郵便配達の声で目を覚ました。


「アヴェリエさーん、書留なんでお願いしまーす」


 どすどすと重い体を揺らしながら扉を勢いよく開ける。別に彼女がいら立ってそういった風に開けているのではなく、ただ単純に周りに遮るものが一切合切ないので風が彼女らの家を強く吹き付けてしまうのである。家の周りには生垣があるが、気休め程度にしかならない。


「はいはい、書留だね。またずいぶん重いものを持ってきてくれたんだねえ」

「おーい!アヴィー!!ちょっと下に来てくれ!荷物が重くてとてもじゃないけど

 リビングまで運べやしないんだ!」


 アヴィモア久しぶりの我が家での睡眠が思いのほか気持ちがよく、とてもぐっすりと眠ってしまった。まだ彼は起きていない。


「アヴィー!」

「アヴィーったら、久しぶりに帰ってきたのに、ずっと寝てばっかだよ―――にいちゃん、この荷物悪いけどもリビングまで運んでくれないかね?」


「ええ、もちろん」


 配達員の男はその荷物を快くリビングまで運んでくれた。


「どうだい?もうすぐ昼前だけど何か飲んでいくかい?あ、でもそんなに期待しないでおくれよ。この家はレストランじゃないからねえ」


 豪快なジョークなのかジョークじゃなのかわからない冗談に配達員も思もわず苦笑いをしてしまう。


「んで、何飲むんだい?紅茶でいいかい?」


「ええ、じゃあそれで」


 アヴェリエは男に一杯の紅茶を出す。


「ありがとうございます」


「最近は仕事の方はどうなんだい?」


「下り坂ですね…郵便物の取扱量は軒並み減っていますね。まあ私としては仕事量が減るのでありがたいんですけどね」


 微妙な沈黙が二人の間に流れる。


「…そういえばあんたのところのお父さんは元気かい?」


「ええ、おかげさまで。今はイラクの方に進駐しているようで」


「ああ、そういえば、あたしのところも確かそっちの方面に行ってた記憶があるなぁ…名前はもう覚えとらんけどな」


 窓の外では強い風が吹き、庭の木が勢いよく揺さぶられている。

 白い雲が勢いよく流れているのがわかる。

 アヴェリエは窓の外に広がるはるか遠くの景色を見る。


「―――いつ戦争は終わるんだろうねえ…」


「……さあ?――どんなことでも、国が絡むと先行きが全く持って不透明になってしまいますからねぇ」


「むこうにはクリスマスがあるんだろうかねえ…」


「どうなんでしょうねえ…あるのかな?いや、でもイスラームの国だからさすがにないかな—―」


「フフッ」

「まぁこんな風にしんみりしていてもしょうがないさ。あたしたちも向こうからいつ帰ってきてもいいように準備しとかなきゃならんからねえ」


 そういうとまた彼女は外の景色を見る。その目は決して虚ろなものではなかったが、どこか何か心の奥底にあるつらさを少しだけ出しているようにも見えた。いつもはしまって隠しているはずのその感情を。


「そういえばアヴェリエさんの息子さんはいま家にいるんですか?」


「ええ、いまはインヴァネスの高校に寮生活してるよ。まあ今は冬休みだからここの一時的に家に戻ってきているんだけどね」

「せっかくのクリスマスなんだから、やっぱり家族で一緒に過ごせて良かったよ」

「まあ、またすぐに年が明けたら戻っちゃうんだけどねぇ…」


「いいなあアヴェリエさんは」


 配達員の男は頬杖を突きながらそう言った、まるで悩める乙女のように。


「何言ってんだい、あんただって性格が良いし顔だって整ってるんだから、積極的になればあんただって嫁さんの一人や二人だってできるもんさ」


「できますかねえ…僕なんかのヘタレに」


 アヴェリエの得体のしれない強気の発言に配達員も思わず苦笑いをしてしまう。


「できないもんか!あんたができないんだったら私なんてもっとできなかったはずだよ!」


「あはは…」


「さて、じゃあアヴェリエさん、紅茶どうもありがとうございました。また荷物の配達の時にお伺いしますね」


「ああ、荷物の配達がなくても来て構わんからね。ガハハッ」


 そう言い残すと配達員は小型のバイクにまたがってボトボトと言わせながら去っていった。数々の低い丘が覆いかぶさるようにして、配達員は見えなくなったり、また見えたりを繰り返して、とうとう本当に見えなくなるところまでアヴェリエはずっと見続けていた。


 〇


「アヴィー!もう起きな!」


 力強い声が階下から響き渡る。昨晩はよく寝ていたようだ。書きかけのA4の一枚のスケッチに鉛筆が無造作に投げ出されている。

 外の景色はもう十分に明るく、一階から見える景色とは十分に違うということをもう一度認識しながら、窓の外に目をやる。

 寝ながら見る外の景色は、9:1の比率で空と地面だが、その限られた風景から見える地面がなぜかアヴィモアの気持ちを高揚させる。もう何回もこの景色を見たのにもかかわらず、今日初めてそれを見たかのような感覚に陥っている。

 外には黄色に輝く草木が激しく波打っており、たった一本の庭に生えている木は枝たちを戦うようにしてこすり合わせている。


「お早う、アヴィー。今さっき配達員の人が来たよ。荷物を届けてくれたそうだ。まあ誰からの荷物かは見当がついているだろう?」


「おじさんからだろ?どうせこの時期なんだし」


 おじさんの小包の中身はいくつかの物が入っていた。丁重な梱包に包まれていた3つの鮮やかで白色の小さなマグカップ、10枚近くあるであろう平皿、幾つかの絵葉書と、楽し気な同僚と一緒に過ごしている彼の写真たち…。いろいろなものが入っていた。


「ったく…なんで国際郵便でこんな割れやすい食器たちを持ってこようとするんだかねえ」


 ため息をつきながら、アヴェリエは包みから出した出した食器たちを指先でなでる。食器たちはどこまでも綺麗で、その下地の色である乳白色は何もかもを飲み込んでしまいそうなほどの美しさがあった。食器のふちに彩られているシンプルな花々はまるで皿が皿であるために正気を保っているような儚さと美しさが両立しているようにも感じられた。


「まあ、何も使い物にならないブロマイドとかばっかり送られてきても困るだろ?」

「彼なりの配慮なのさ。多分それなりに考えた結果の者たちなんだろううよ」

「まあそれでも、国際郵便で割れ物をもってくるなんて面白いけどね」


 アヴィモアはいつの間にか自分で作った紅茶を飲みながら、ソファーに深く座ってたくさんある写真を一枚ずつ懇切丁寧にじっくりと眺めている。

 彼が送ったすべての写真は全部笑っている写真だった。場所はまちまちで、車の中でとられていたり、現地の人々と肩を組みながら笑い合っている写真すらもあった。それらすべての彼の笑顔はアヴィモアを安心させるどころかむしろ不安にさせた。


 なぜ戦場にいながら笑顔で入れるのだろうか。それを理解しようとするには到底若すぎる年齢だった。



「写真、見る?」


 一通りその写真群を見終えた彼はそれらを彼女に渡す。アヴェリエに何も悟られないように、静かに、そして平然とした態度で椅子に座って皿を眺めている彼女に渡した。


「いい笑顔だね」

「なんだかんだで楽しそうにやってるじゃない、てっきりもっと男らしいというか…もっと勇敢な姿を私たちに見せてくれるのかと思ったら」


 アヴェリエは文句こそ言っていたものの、その顔からは久しぶりに見る夫の屈託のない笑顔と入るすきもないような楽しそうな雰囲気で、彼女自身も思わず笑ってしまっていた。


「……」


 アヴィモアはアヴェリエの喜びを隠しきれない顔を見る。


「本当に…」

「いつ帰ってくるんだろうね」


「ああ、」


 写真に夢中な彼女は空返事でその疑問に答える。


 〇


 その日夕方は二人で家の近くを散歩した。

 真冬の刃のような冷たい西風が二人の体に強く打ち付ける。

 ひざ下くらいまである草はもう生きるための気力を十分に使い果たし、葉の先はその重さに耐えきれずに頭を垂れている。

 風は二人の間を強く流れていく。その風はまるでこれからの待ち受ける二人の運命を表しているかのようであった。すぐ近くにいるはずなのに、その得体のしれない、根拠のない、証拠のない人的なぬくもりは徐々に二人いの間を気付かないうちにかき消していってしまう。

 もはや落ちかかっている太陽に向かってアヴェリエは力強く歩を進めている。

 もう日没間近なのにもかかわらず、きょう一日の最後の抵抗とも言わんばかりの太陽光でアヴィモアは思わず目を細める。

 まるでアヴェリエの体から光が放たれているように見えた。その姿はどこまでも勇ましく、何かの不安に立ち向かっていくような姿にも見えたが同時に、放たれる光そのものに吸い込まれて行っていくような、強い焦燥と、絶望にも見えた。


(ああ、アヴェリエ)


 アヴィモアは理由もわからずに、その足を止めてしまう。


(ああ、アヴェリエ、戻ってきてくれ—――)


 走れば一分もたたずに埋めることのできる距離だ。

 でもその距離は今どんどん離れていこうとしている。


(アヴェリエ…貴方がいなくなったら僕は押しつぶされてしまいそうだ。社会に、個人に、絶望に、希望に、愛情に、憎悪に、時間に、その一瞬に、すべての僕が持つ複雑に絡み合っている感情に。僕は押しつぶされてしまう—―)


 呼吸が浅くなる。

 風景はさっきより白さを増している。

 嗚呼。

 ぼくを置いていかないでおくれ。

 主よ。

 何故僕は孤独になってしまうのですか?

 何故誰もが僕を見捨てていってしまうの?

 右手を大きく差し出してせめてもの抗いとして彼女の残像だけでも手に取ろうとする。



(嗚呼、また独りぼっちだ…)



 その日は二人で、ハギスを作った。今まで彼女と過ごした夕食の中で一番豪華だった。


「なに、たまにはこういう手の込んだ料理くらい作らんとねえ」

「腕がなまっちまうよ。もし彼が返ってきたときにオートミールしか作れない女房になんてなっていたら目も当てられないからねぇ、ガハハハッ!」


 次の日の朝、アヴィモアは高校の学生寮へ戻っていった。

 それが彼女との最後の会話だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

遠い呼び声 蜜蜂計画 @jyoukai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ