第1話(その7)

 アレクシアの身体はみるみるうちに下方へと滑り落ちていき、剣士の心配顔も、男たちに引っ張り上げられる勇者の姿も、あっという間に遠ざかって見えなくなっていく。

 地面に出来た裂け目を、急角度ではあったが斜めにだだ滑っていく形だった。アレクシアは猛然とした速度で砂礫の上を滑り落ちていくと、やがてその身体が支えを失ってぽいと放り出される形となって、次の瞬間には土を踏み固めた地面に叩きつけられてしまった。


 そこまで無様ではないが、以前にもそうやって地面の深みに滑落した事があった――したたかに背中を打ち据えた一瞬、そんな過去の記憶がわずかによみがえった。


「……アレクシア! 無事か!」


 痛む背中をさすりながら、どうにか立ち上がる。頭上で呼びかけているのはクリストフだろうか。声が随分と遠い。

 地割れが急坂のようになっていて、そこを滑ってきたからまだよかった。この高さをただ自由落下していれば、地面に叩きつけられたところで一貫の終わりだったかもしれない。打ち身に耐えるさまは無様の一言だったが、これでも運がよかった方なのかも知れなかった。


「アレクシア! アレクシア、返事をしてくれ!」

「そんなに喚き散らさずとも、聞こえている!」


 少し苛立たしげにそのように返答すると、頭上から少し大げさな歓声が聞こえてきた。


「そこで待っていろ! すぐに引き上げてやる!」


 クリストフはそういうが……暗がりの中で目を凝らしてみるが、地割れを通って誰かが下りてくるのも難儀そうではあった。周囲を見回せば、下層にあるどこかの坑道に出たようで、左右に通路が伸びているのが分かる。すぐ足元に、彼女がいましがた取り落とした剣が所在なさげに転がっているのが分かった。


「どこかの坑道に出たようだ。どちらかへ行けば、見知った所に出るかも知れぬ」

「そこで待っていてくれ。すぐに助けに行く!」

「いや……続けて崩落があるかも知れぬ。私はここからどうにかして上を目指すから、皆はそのまま地上へ向かってくれ」

「いや、しかし」


 クリストフが二の句を継ごうとして、そこで言葉が途切れる。下からは様子がよく分からないが、上で何事か相談し合うような声がかすかに漏れ聞こえてきた。


「アレクシアさん、無事ですか。……こんな時に申し訳ないけど、神器は無事ですか?」


 ややあって、聞こえてきたのは勇者ハルトの声だった。

 確かに、彼の立場からすればそこは気になるところだろう。何はなくとも彼はこの腕輪を探しにこの迷宮へとやってきたのだ。それが手元を離れたとあれば、それは確かに一大事と言えた。

 剣はすぐ見つかった。では腕輪は? アレクシアはあらためて周囲を見回すが、腕輪のようなものは影も形も見当たらなかった。

 ……だが。


「……安心してくれ。ここにある。私が上に届けよう」


 ふと魔がさして、女騎士アレクシアはそのように答えたのだった。

 そのような台詞がすらすらと口をついて出てきたのが、彼女自身意外ではあった。言ってしまったあとで、しまった、と思ったがもはや手遅れだった。


 彼女の言葉に上の一行も納得したようだった。ではよろしくお願いします、とハルトが念押しする。あとはクリストフが、本当にどこも怪我などしていないかとしつこいくらいに何度も確認を求めてくるだけだった。

 そのように追及されて、彼女もあらためておのが身辺を確かめる。多少の打ち身と擦り傷は仕方がないところだが、少なくとも大きな裂傷や止まらぬ出血もなく、骨を折ったりなど一人で歩くのに不具合があるわけでもなさそうなので、アレクシア自身安堵した。


 とはいえ、パーティから放逐しようなどという話をさっきまでしていた相手をやけに親身になって気遣うのは、あの朴念仁にも何かしら罪悪感のようなものはあったという事だろうか。彼女が本当は腕輪の安否を知りもしないとなればあの勇者ハルトもさすがに機嫌を損ねたかも知れないが、そのような叱責はあとでリーダーであるクリストフに受けてもらおう。

 彼女にしてみても、そんなちょっとした悪戯心のつもりだったのだ。



(次話へつづく)

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