第36話 ファースト

「へっへっへ、待ってたぜ?」


 やせ細った男だった。

 病院の敷地内にあったマンホールから出たところで悠花は敵吸血鬼に発見された。

 言葉からすればここで待ち構えていたということらしい。


「せい!」


 概ね、外に何かが待ち構えていることは梯子を上がっている最中の音夢の反応で大方察していた悠花はマンホールを空けた瞬間に即座に飛び出した。

 口を開けて向上を述べている間に接近、吸血鬼特有の油断と慢心も手伝ってその口の中にセラフィーナの血がべったりついた拳を叩き込んでやることに成功した。


「ぐべぇげえええええ」

「ほんと、よく効きますね、この人の血。抜き取ってスプリンクラーとかで散布したら効果覿面なんじゃないでしょうか」

「非人道的すぎるわ!?」

「吸血鬼に言われたくないですね」


 そう言いながらセラフィーナは手際よくセラフィーナの血を吸血鬼に再び飲ませて悶絶させる。

 毒飲んで動けなくなったところで吸血鬼の首を落とし、心臓を抉りだし、胸部の骨を潰すように体重かけてトランポリンのようにジャンプ連打。

 音夢はその光景を見て吐いていた。そんなにグロテスクなことをしただろうか。

 袋に詰め込み終えたら、血は瓶詰しておく。


「マズイ血ですけど、同族相手にならたぶん聞きますよね」


 セラフィーナの血ほどではないだろうが、たぶん効くだろうという直感を信じて、悠花は病院を見上げて。

「ともあれ、これだけじゃないですよね」

「さ、さあね? あたしはついてきてるだけだわ!」


 病院の診察室の方を見ながらいわれても説得力がない。そちらの方にいるのだろう。

 そもそも吸血鬼だ、隠れるという手段をとるわけもない。

 待ち伏せはするが、よほどのことがない限り隠れて奇襲、などという手を人間相手には取らない。

 いるとなればそこで待ち構えているに決まっている。


 で、あれば正面から言ってやることもない。


「とりあえず、屋上に連れて行ってくれます?」

「嫌だわ」


 にっこりと笑みを浮かべてセラフィーナの口に左腕を近づけていく。


「わ、わかったわよ!」

「最初から運んでくれればいいんですよ。文句なんて言わずに」

「ぅぅ……あたし吸血鬼なのにぃ……」

「この人に血を吸われたことを恨んでください。この人のものはわたしが自由に使える道具なので」

「酷い話なのだわ!」


 屋上の貯水タンクに殺した吸血鬼を投げ込んで処理。

 これで病院にいる吸血鬼が水でも飲もうとすれば、大変なことになるだろう。


「まあ、望み薄ですけど嫌がらせにはちょうど良いでしょうし」

「意味ないわよ、人間用の病院なんだから」

「嫌がらせですよ、嫌がらせ」

「性格悪すぎるわ」

「あなたたちに言われたくないです、邪悪な吸血鬼の分際で性格の悪さとか語らないでくれませんか?」

「ぬぅぅぅう!」

「さて、あとは」


 左腕の包帯を解いて血をべったりと屋上に流しておく。


「ふぅ……」

「たらー……」

「涎垂れてますよ」

「はっ!」

「別にわたしの血なんて美味しそうでもなんでもないでしょうに」

「はあ!? あんた気が付いてませんの!? 美味しそうな匂いですわ!」

「ふぅん。じゃあ、囮として良い感じってことですね」


 何が原因かは知らないが、美味しそうな匂いがするというのなら好都合と悠花はふっと笑う。


「じゃあ、薬の倉庫に転移させてください」

「じゃ、じゃあ後で血を吸わせてくれたら」

「嫌です。殺されそうですし、わたしがあなたみたいな吸血鬼の下につくことになるとか反吐がでるので」

「酷いわ!」


 ともあれ薬品倉庫に転移した。


「さて、アレルギーに効く薬は……っとそうだ。あなた」

「なによ」

「ご褒美上げます」

「え、いいの!?」

「ええ、ここで変なことされても困りますので」


 たらりと血が瓶から垂れる。

 芳醇な香りの血。

 阿蘇で一度、出会った時には一瞬だったからわからなかったがこんなにも芳醇な香りのする血は音夢にも初めてだった。

 音夢ですら思わず理性が飛ぶくらいの血の香りに、はしたなく涎を垂らしながら口の中へと流し込んで。


「うぅぐげぇぇぇ」


 エグみに味覚を破壊させられた。


「わたしがご褒美なんてあげるわけないでしょう。単純なんですね」


 自分の血と混ぜたセラフィーナの血である。


「最後の一本です、どうぞ、味わってください」

「か、ひゅ、ひっっあ、っひ」


 どうやら本格的に飲まされた場合、セラフィーナの血は毒のような反応をするらしい。

 のたうち回って喉を抑えてひゅーひゅー言っている。

 悠花は動かれても困るのでナイフで心臓を一突きにして音夢を縛り付ける。


「よし」


 そのあと薬品棚を動かして壁と窓をふさいで籠城の構えをとり、セラフィーナに効く薬を探す。


「あった、これだ」


 見つけた薬を手に取ったところで、声が響いた。


「やれやれ。まったく人間一人に何をやられているんだい、だらしがない」


 ぞくりとした。

 どこまでも軽く、どこまでも中身がなく、どこまでも不確かな声色に恐怖を感じないことが恐怖だった。


 はっと振り返れば、エーヴェルトがいつの間にか、そこに立っていた。


 咄嗟に折れた左腕を盾にする。

 担いだセラフィーナごと壁をぶちやぶって待合室へと吹っ飛ばされた。リノリウムの床に赤い線が走る。


「がふっ……」

「やあ。まさか、此処に来るだなんて思いもしなかったよ。流石はボクの可愛い仔猫が選んだ子なのかな」

「っ……」


 まだ生きていることが不思議なくらいの重症だ。

 だましだましやってきた左腕が完全に動かなくなったし、内臓のいくつかが壊れた感じがしている。

 足も吹き飛ばされた時に抉られた。走れない。


 目も霞んでいる。血が根本から足りない。

 ここでセラフィーナとほぼ同格の吸血鬼。悠花では手が出ない。


「っ……」


 それでもまだ右手には薬がある。

 注射器型。さっさと突き刺してしまえば、後は何とかなるはず。


「どうにかなるはず――そんなことを考えているんだろう?」

「っ」


 咄嗟に横に転がれば右腕があった位置が螺旋に抉れた。


「させないよ。ボクの可愛い仔猫には動かれると困るんだ。じゃじゃ馬でね。だから、一緒に住んでいた頃はいつも足の腱を切ってやってたんだ。ゆーっくり目の前でね」

「…………」

「良い顔してたよ。あれは本当に興奮したものさ。もう一度やってみたいんだけど、どうだろうなぁ。ボクの可愛い仔猫もすっかり大きくなってしまったし。同じ手は美しくないよねぇ」


 不可視の攻撃が来る。

 かろうじて躱せているのは本気で狙っていないからだろう。セラフィーナを抱えている以上、下手をすれば彼女にもダメージが行く。

 今の状態の彼女にそれは致命傷になりかねない。


 だとしたら、こうするべきだと悠花は地面を転がりながらセラフィーナの影に隠れる。


「盾にするつもりかい?」


 もちろん盾にするつもりだ。

 あとは少しの時間稼ぎ。薬をうつだけの暇を稼ぐ。


「ぐっ……」


 完全に隠れたと思っていたが、悠花の腹に穴が空いた。

 がくんと糸が切れたように倒れる。

 右腕が捻じれて骨と薬が砕けて床に散って目の前に広がった。


「あぁっっ――」

「さて、これで終わりだね。後はキミを処理してボクの可愛い仔猫を持ち帰るだけだ」


 ゆっくりとエーヴェルトがやってくる。


「……まだ……これでダメだったら、ぶち殺しますからね……」


 悠花は、まだ諦めず床に散った薬の液体を啜ると、彼女が倒れるとともに支えを失って倒れていたセラフィーナへと口づけた。


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