第35話 吸血鬼が殺せれば、どうでも良い

 下水道を進んでいると、そこには大断絶が生じていた。

 悠花の目の前に横たわる汚水の谷は、飛び越えるには到底足りず、泳ぐには巨大なワニのような適応生物が邪魔だ。

 それ以外にも近づくだけで襲ってくる魚のような生き物がいたのを確認している。


「あともう一歩なのに」


 この大断絶を越えれば、病院の真下に出る。

 一か八かで泳いで渡るか。


「無理ですね、これは」


 否だ。

 自分の身を犠牲にして渡りきったところでセラフィーナは動くことができずに治療ができない。

 ここは身を犠牲にする場面ではない。

 やるとしても腕をちぎって適応生物らへのエサとしてそちらに集中させている間に、どうにか渡りきるかくらいだ。


「…………」


 流石にそれはやめて別の道を探した方がいいと考え直したところで、背後に立つ気配に気が付いた。

 即座に臨戦態勢をとるが、影の中から出て来た少女は両手を上げていた。


「戦う気はないですわ」

「あなたは……この人に血を吸われてあられもないことになってた人」

「あたしは椛田音夢よ! 不名誉なこと言わないで!」

「で、吸血鬼が何をしに来たの?」

「もちろん、あなたたちの捕縛が目的よ」


 悠花は目を細める。

 吸血鬼を相手にして悠花が勝てる見込みはないが、それは彼女の中で抵抗しない理由にはならない。

 最悪でも嫌がらせができればいい。


「やる気はないわ」

「……」

「信じられなそうですわね」

「そりゃそう。吸血鬼なんて信用できない」

「セラフィーナ様のことは信用してるじゃない」

「この人は別。人の血を吸えないから」


 そうでなかったら、そもそもこんなところまで来てはいない。

 それもこれもセラフィーナが人の血を飲めない吸血鬼だからだ。


「というか、様?」

「あっ、いや。これは」


 赤くなってしどろもどろになる音夢の姿を見て悠花はセラフィーナを一瞥してから視線を戻す。


「そうですか。じゃあ、これからわたしの血を彼女に飲ませますね」

「は?」


 音夢は何を言われたのかわからないようで、ぽかんと間抜け面を晒していた。なんで突然、そんなことになるのか本当にわからない。

 少しだけ悠花はいい気分になった。吸血鬼のアホ面を見られるのは気分が良い。


「じょ、冗談でしょう? そんなことしたらここまで来た意味がないわ!?」

「わたしたちの捕縛が目的の相手にここまで近づかれてはどうにもできませんので」

「やらないって言ってるでしょう!?」

「信用できないので。だから、嫌がらせです。死ぬのが避けられないのなら最大効果の嫌がらせをしてあげます。ここでこの人を殺せば、この人のお兄さんは相当嫌がると思うので」

「は、はったりだわ! そんなことするわけない」

「しますよ」


 ぶすりと、ナイフで左腕を刺す。

 もうボロボロだから何をしても良いのが良い。躊躇う必要も感じないから問題ない。

 痛いが、これも勝つだめだ。


「わたし、本気ですけど?」

「っ……!」


 吸血鬼は意外とビビリだ、と悠花は遠く思う。

 セラフィーナもそうだが、音夢もこんな人間に恐れを感じる。なんだか可愛いものだと悠花は思いながら言う。


「やってほしくなかったらわたしたちを向こうに連れて行ってくれませんか?」

「は? そんなことするわけないじゃない!」

「そうですか、ではこの人殺して、わたしも死にますね」

「だからなんでそうなるの!?」

「だって、あなたが本気で嫌がりそうだから」


 悠花はセラフィーナから聞いていた。

 吸血鬼は吸血の快楽に弱い。

 セラフィーナ曰く『吸血鬼って自分の血を吸われることがないから、この吸血の快楽に対策がない。一度吸われた相手は、その快楽の虜になってしまって従順になるんだよ』

 つまり、この女は今、セラフィーナの虜になっている。そのセラフィーナに吸血されることがなくなるという事態に対して彼女は動けなくなるし、従えることが可能だ。

 もしもの時は、自分を盾に脅せば従えられるよと、セラフィーナが言っていた。


「その前にあんたを殺せばいいわ!」

「そうだね、でも、わたしはしぶといですよ?」


 敵の種は割れている。何をしてくるかわかっている有利は大きい、ワンアクションなら挟める。

 転移してきた瞬間にセラフィーナの口に血塗れての手を叩き込むなど造作もない。

 例え失敗したとしても、慌てて防ごうとしたという事実だけで悦に入ることができる。


「さあ、どうします? 正確に首を狙わないと、わたしはこの人を殺しますよ。嫌ならわたしたちを向こう側に送って見逃してください」

「っっっっ~~~~!!!!」


 吸血鬼が顔を赤くして悩んでいるところを見るとボロボロで死にかけだった気分がすーっと良くなっていくのを感じる。 

 これからもこれを続けるためにも頑張りたいものだ。

 そんなことを思いながら悠花は警戒を維持したまま待つ。


「あああああ、もう! わかったわ!! 連れて行くわ!」

「じゃあ行ってください」


 身体が浮いたかと思えば、一瞬にして大断層の向こう側にいる。


「便利ですね。この人が治ったら吸いつくされて死んでくれません?」

「なんてこというのよ!?」

「じゃあ、わたしは病院で薬とってくるのでもう消えていいですよ」

「ぐっ……あんま舐めないで。あたしが吸血鬼だって――って聞きなさいよ!」


 悠花は話の途中で目の前にあった梯子を上り始めていた。


「舐めてませんけど、この人が血を吸って上下関係ができているというのでそれを信じてるだけです。あなたはこの人を害するようなことしたくないですよね?」


 殺すという脅しも勝算があったからこそだ。

 そうでなければ即座に大断絶に二人で身を投げていたところだ。その方がまだ逃げ切って生き残る芽がある。


「ぐぅ……」

「そんなにいいものですか、血を吸われることは」

「はれんちなこと聞かないでよ!?」

「生憎、血を吸われたことはないのでわかりませんね」


 吸ったことならばあるが、あれは確かに破廉恥だ。


「って、待ちなさいよ!」

「別についてこなくてもいいですけど」

「あたしが病院に行くついでにあんたたちもいた。それだけよ」

「まあ、よくわかりませんけど。ついてきたいのならご自由に。邪魔したらこの人を殺しますので」

「あんた本当にイカれてるわ」

「イカれてなくて吸血鬼を使って吸血鬼を殺そうとするやつはいないと思うので、良いんじゃないですか?」


 吸血鬼が殺せれば、どうでも良いと悠花はマンホールをこじ開けて病院内へと侵入した。

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