第34話 籠島の子

 悠花はそれから数度吸血鬼と鉢合わせしながらも、木佐木から得ていたいくらかのお守りとセラフィーナからもらっていた非常食でどうにか乗り切ることに成功した。

 ただし無傷とはいかない。特に砕けた左腕を何度も盾として使ったため、千切れかけている。かろうじて皮膚一枚で繋がっているようような状態で、今にも落ちそうだった。

 そのおかげか足だけは残している。


「これならもう落としちゃった方が楽かな?」


 いいや、それだと持ち物が増えてしまうから邪魔になると思い直し、包帯でガチガチに縛ってなんとか千切れないように応急処置を行う。

 それを終えると身体中が痛いと少しだけ重い息が出た。


「はぁ……」

「ぁ……」


 その時、セラフィーナが動いた。


「! 大丈夫ですか!?」

「……ぅ」

「待っててください。すぐに病院を探しますから」

「…………」


 セラフィーナは懸命に震える身体を動かしてスマホを悠花の前に落とした。


「スマホ?」


 悠花はスマホを拾う。


「これで、どうすれば?」


 セラフィーナは答えなかった。意識を失ったようだ。


「……考えないと」


 セラフィーナとはいえこの状況で、無駄なことはしないはずだとスマホのロックを外す。

 福岡に到着する前に何かあった時のためとパスワードを聞いていた。

 見たことないアプリや、見たことある地図などのアプリが所狭しと乱雑に配置されている。少しは整理しろよと思ったところで地図アプリに目が行った。


「あっ、もしかして地図? そうだ、吸血鬼のスマホならここでも使えるんじゃ?」


 急いで地図アプリを起動する。予想通り地図アプリは起動できた。

 病院の位置を検索すれば、二ブロックほど行ったところだとわかる。


「こっちか」


 方角さえわかれば後はこちらのものだ。

 悠花はマンホールをあけて迷いなく下水道へと飛び込んだ。 


 本当はもっと早くにここに隠れて進みたかったがあいにくと病院の場所がわからず、匂いを頼りに探すしかなかったからだ。

 しかし、方向が分かった今、遠慮することはない。


 吸血鬼はこの下水道という奴が心底苦手である、とはセラフィーナの言葉である。身体能力、感覚が鋭敏すぎる吸血鬼は、人間でも鼻が曲がりそうな場所など吸血鬼は行きたがらない。


「ふぅ……なんだか落ち着きますね。ここ。実家に帰ってきたみたいな安心感。やはり世界は広すぎるんですよ。これくらい狭い方がやりやすいです」


 このように狭い通路は籠島ではあり触れていたものだ。壁と天井のある狭い通路は悠花にとって庭も同義だ。

 吸血鬼を殺すために、狭苦しい通路を駆けまわっていたおかげでこういう狭い場所でのやり方は熟知していた。


「……敵は入り込んでいないと思いたかったですけど、流石に甘くありませんね」


 悠花は下水道を反響する音だけで進行方向に数人の追手がいることを確認した。

 足音の感じからして吸血鬼ではない。人間だ。不安定でふらついたゾンビのような足音。魅了されている証拠だ。

 目視でも確認したが、瞳が赤く輝くほど魅了されている。おかげでわかりやすく、もはや吸血鬼が魅了を解いたとしても魅了が解けない状態であることが一目瞭然だ。


 吸血鬼博愛教団の連中がこういう目を自力で作っているとかそんな風の噂を聞いたことがある。

 何が言いたいかと言えば、教団でなくともああなってしまえば狂信者だということ。話などできるはずもなく、自分たちのことを吸血鬼側だと心底から思っている。

 唾棄すべき存在。排除対象だ。こんなものがいれば、吸血鬼を駆除するのに邪魔になる。ならば殺してしまうのが良い。

 どの道、前をふさがれているのだから排除は必須だ。


「良かった。三人。人間ならやれますね。少しだけ待っていてください」


 セラフィーナを降ろして右手でナイフを取り出す。


「……閉暗所での狩りは、籠島の必修科目です」


 そんなことはないと地獄のベネディクトが聞いたら首を全力で横にぶんぶんと振りそうなことを呟きながら、悠花はスマホをオンにして三人の魅了者たちへに受けて投擲した。

 もちろん、これで倒そうなどと思っていない。


 魅了者たちは、緩慢な動作で向こう側に飛んで行った光を放つスマホに釘付けになる。

 その隙に背後から近づき、悠花はその首にナイフを走らせた。


「いつもより身体が動く……」


 ボロボロだというのに悠花の身体は不思議と動く。

 大分から調子がいい。

 思いつくところはセラフィーナの血を飲んだことだ。


「……じゅる」


 思い出したらまた飲みたくなった。

 ただすぐにあられもない自分を思い出して、首を振って集中し直す。まだ敵はいる。


「残り二人……」


 流石に仲間を倒されれば嫌でも襲撃されたことには気が付く。

 魅了者が受けている命令が何かは知らないがどうせ悠花たちを探せだとか、逃亡者がいたら探せとかであろうと悠花は雑に切って捨てて動く。

 迷いはない。

 満身創痍の自分にできることは静かに迅速に動くことだけだ。臆せば死ぬ。惑えば死ぬ。躊躇えば死ぬ。

 即断即決、果断に動け。


 籠島の最も深く、最も治安の悪い場所での鉄則だ。親が死んだ子供が悪党に捕まった末に行きつく地獄の孤児院である。

 悠花は、そこから吸血鬼を殺して仇を討つという一心のみで這い上がった女だ。


 倒れた仲間の下へ緩慢な動作で向かってくるのを赤い目の動きだけで確認し、横道へと入る。

 道の繋がりは反響している音で把握している。

 少し聞けば、どの通路がどこへ繋がっているのかわかる。この能力がなければ日々路地の行先が変化する違法増築都市籠島で生きていくことなどできない。


 ぐるりと一周するように下水道を移動し、時には汚水の中に潜ることすら厭わずに敵の背後へ移動する。

 二人は並んでいない。縦列で移動している。

 投げ落としたスマホを回収し、再び投擲する。


 今度は手前側に落とす。

 音に反応して振り返るのと同時に手前の魅了者に突撃を乗せた蹴りを放って倒す。

 縦列で並んでいたため二人の魅了者はお互いを巻き込んで倒れた。


 そこへ体重と共にナイフを振り下ろす。

 しっかりと頭蓋へと突き入れるとナイフを引き抜くことはせず、ポケットの中に残っていたビンの欠片を握りもう一人の喉笛へと滑らせた。

 血が噴き出し、苦悶の中で絶命する。


「ふぅ……終わり」


 血をできる限り落として、ナイフも回収し悠花はセラフィーナを背負い下水道を再び歩き出した。

 

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