最終話。雨雲の姉妹
「おーい。飯はまだかのー?」
「文句があるなら、お前が作れよ!」
こんなクソ暑い日に焼飯を作らされている私の気を知らないのか。
「
「触んな。お前が作ったら塩辛いんだよ」
私の隣に立っている男。私の父親とよく似た顔を持つ男。父親の弟であり、
この家に私と月雲が来て一年程が経った。
あの家に住み続けることが出来なくなり、私と月雲は紅津の家に行くことになった。
「雨音よ。父親に対する口の利き方がなっておらんのじゃないか?」
「どこに父親がいるんだよ」
紅津の顔を見るが、いつも通りの顔だ。
「すまない。何かあれば呼んでくれ」
近くの席に紅津が座り直した。
「アンタも食いたかったのか?」
「俺の分は必要ない」
この男と一緒に暮らすようになってわかった。とにかく紅津は不器用で、何を考えてるかわからない。美紅が頭お花畑になったのは、父親にも原因があると思っていた。
「私達はアンタらの娘じゃないぞ」
「何を当たり前のこと言っている?」
「最近、馴れ馴れしくないか?」
最初はよそよそしかった紅津も最近は気軽に話しかけてくるようになった。それを父親とは思わないが、距離感がおかしい。
「……同じことを繰り返すような気がしてな」
やっぱり、紅津は美紅と同じ失敗を恐れてる。
「だから、私達は……っ!」
私の肩に月雲が触れてきた。
「なんだよ!」
「落ち着け。オヤジ殿に八つ当たりするな」
「コイツは父親じゃないって言ってるだろ!」
このイライラがずっと消えない。
私は大切に思っていたモノを失った。その原因が紅津にあると考えるほど、余計に感情的になってしまう。
「わしらとオヤジ殿は血が繋がっておるじゃろ」
「気持ちの悪い話だな」
「飯。焦げるぞ」
フライパンから皿に焼飯を移した。
こんな口喧嘩なら何度も繰り返してきた。
「やれやれ。くだらない姉妹喧嘩の何が楽しいのやら」
「楽しい?誰に言ってる?」
「オヤジ殿。笑っておるぞ」
紅津に顔を向けたが、特に笑ってない。
「お前には何が見えてる?」
「寂しい男の姿じゃ」
私は自分と月雲の分の皿をテーブルに並べた。
向かい合って席に座るが、顔を横に向ければ紅津が既に座っており。コーヒーを飲んでいた。
「いただきます」
目の前の席に座っている月雲。いつも口うるさい月雲が食事中は黙る。食べているものは料理と呼んでいいのか悩むものだが、食事の姿は様になっている。
月雲が偽りの人間を演じていることくらい誰でも気づく。小さい頃から、月雲は礼儀作法を親から叩き込まれていたが、私は親の教育を受け入れられなかった。
だからこそ、月雲は簡単に爆発した。
私の分まで教育を受けた月雲は耐えきれられなくなって、大暴れをした。家中のモノをバットで叩き割り、破壊した。そのまま月雲は飛び出すように家を出て行った。
もし、月雲が何もせず、家を出て行ったら。私にすべて押し付けられていた可能性もあった。月雲の行動はまるで、残される人間を想っての行動に見えて。私は不快な気分になった。
「おぬしの焼飯は本当に美味いの」
気づけば、月雲が食べ終わっていた。
「作り方は美紅から教わった」
父親の焼飯が塩辛いから、自分なりの作り方を覚えたと美紅は言っていた。ただ、美紅は他にも色々と作ることが出来たが、私はろくに覚えていない。
手元に視線を落とせば、私の焼飯はまだ半分以上残っている。昔のことを思い出して、食欲が失せてしまった。
私は皿を紅津の方に押し出した。
「もういらない」
「雨音よ、行儀が悪いぞ」
「うるさい」
私の思考を読むように月雲がにやけていた。
紅津は一度立ち上がり、新しいスプーンを取り出していた。そのまま使えばいいものの、余計な気を使っている。
「雨音。バスケの試合はもうすぐじゃったかな」
「ああ。そうだな」
停学処分が終わった後も色々と問題があった。私は学校に居場所が無くなり、結局バスケは知り合いのところで遊びとして参加するようになった。
それでちょっとした試合にも出るようになったが、部活の感覚とは違っている。それに月雲も時々参加している。
プロと比べれば私達のやっていることなんて本当にお遊びだ。試合中は全力でやっているが、本気にはなれていない。
「おぬし。バスケを辞める気じゃろ?」
「だったら、なんだ?」
「その先はどうする気じゃ」
バスケ選手になれるなんて思っていない。時々手伝っている月雲の店で適当に仕事を続けることも考えていたが、それを将来を考えているとは言わないだろう。
「ずっと私達がここにいると紅津に迷惑がかかるだろ」
「迷惑ではない」
黙っていた紅津が口を開いた。
既に紅津は焼飯を食べきっている。
「月雲と雨音。俺はお前達を本当の娘とは思わないが、家族だとは思っている。お前達が望むなら、ずっとここに居ても構わない」
「よく私達みたいな馬鹿娘の世話が嫌にならないな」
「ハッキリ言ってくれた方が俺も助かる」
私と月雲は加減なんて言葉を知らない。
だけど、この言葉だけは胸に秘めいた。本当の家族になる為には必要な会話だとわかっている。
「……アンタは美紅に失望したのか?」
私と月雲は美紅の話題を出来るかぎり避け続けていた。
あれから、美紅は病院に入った。人を自らの手で殺したこと。愛したはずの人間を失ったこと。様々なショックが重なり、美紅の心はどこかに行ってしまった。
誰にも美紅の心は取り戻せない。
あの教え子も、美紅のことを忘れて元の生活に戻っていた。大人になるほど、美紅の存在は過去ではなく、忘れるべき記憶として失っていくのだろう。
「失望するほど、俺は娘のことを知らなかった」
「アンタがそんなだから、美紅が治らないんだろ」
「かもしれん」
紅津が立ち上がり、皿を片付ける。
そして、私と月雲の前で紅津が頭を下げた。
「すまなかった」
これで何度目の謝罪だろうか。
この男は謝ってばかりだ。
「雨音よ。そろそろ素直になったらどうじゃ」
「は?なんのことだ?」
「オヤジ殿が嫌いなら、この家に一年も居着いておらん。それは美紅と共に暮らしていた時と同じはずじゃ」
紅津が嫌いというわけではない。ただ、美紅のことで紅津とは距離を感じていた。
「……紅津」
名前を呼ぶと紅津が顔を上げた。
「私と月雲は……今は、お前の家族だ」
悲劇を繰り返すことを恐れているのは紅津だけではない。何も言わなければ、紅津との関係も悪化する可能性がある。
「だから、私達に遠慮しなくていい」
「いいのか?」
「ああ。だから、いちいち謝るな」
やっと、言いたいことが言えた。
紅津は私の言葉を受け入れて、リビングから出て行った。月雲と二人きりになったのは、月雲が紅津が指示したからだ。
「いい子じゃな」
「気持ち悪いこと言うな」
紅津との関係はあれでいい。
だが、月雲との関係は何も変わらない。
「ここに美紅がおれば、万事解決じゃったのにな」
「言っても仕方ないだろ」
私も月雲も美紅のやったことをすべて受け入れられるわけじゃない。病院に顔を出さなくなったのも自分達の気持ちがわからなくなったからだ。
薄情な人間だと思われても構わない。
初めから、私達は他人を利用して生きてきた人間だ。今さら生き方を変えるつもりもない。
「雨音……」
月雲が腕を伸ばしてきた。月雲は私の頭を抱きかかえるようにして、抱き寄せてくる。
「わしらは姉妹じゃ。おぬしの考えくらいわかる」
「黙れ……」
涙は流さない。
美紅を失ったことを悲しんだことはない。
ただ、私は少しだけ羨ましかった。
狂気に飲まれるくらい、底なしの愛情。他の誰かではなく、私に向けてほしいと思ってしまった。
「まだまだ子供じゃな。本当に……」
これはきっと、愛ではなく欲望なのだろう。
私も美紅と同じ欲望を持っている。
でも、こうして姉に抱きしめられていると、自分のことを少しだけ許せる気がした。私の心はちゃんとここに残っている。
だから、今だけは目を閉じて、受け入れる。
私の世界はこれだけでよかった。
今日も安心して、眠ることが出来るのだから。
背徳症状-結衣の教師- アトナナクマ @77km
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