第4話。美紅と月雲
「やあやあ、そこの美人のお姉さん」
自宅マンションの一階。美紅が建物の中に入ろうとしたところで、背後から声をかけられた。その声の人物を確かめる為に美紅は振り返った。
そこに立っていたのは
だけど、一目で雨音と違う人間だと美紅が気づいたのは、彼女が雨音よりも柔らかい表情をしていたから。
「……っ」
雨音の言葉を思い出して、美紅は警戒した。
この場所に彼女が居たのは偶然じゃない。
「えーと……」
彼女はあっという間に目の前まで迫ってきた。
「おぬし。わしの顔を知ってるおるな」
心を見透かされているようだった。それが怖くて美紅は彼女を突き放そうと腕を前に出した。けれども、美紅の腕は彼女に掴まれた。
「冗談じゃ。そう怯えんでもよい」
「アナタは……」
「わしの名は
雨音の言っていた姉、月雲。想像以上に雨音と似ているのは驚くべきことだった。だけど、口開けば他人であることがハッキリわかる。
癖のある話し方だけじゃない。感情の乗った声がより人間らしさを作り出している。だから、違和感はあまりなかった。
「月雲ちゃんは雨音ちゃんのことを知ってるの?」
「知らない方がおかしいじゃろ。雨音の行先なんて限られておるし、両親がわしに黙ってるのも変。つまりは、親戚の家に泊めてもらっている。そう考えるのが自然だと思うがね」
美紅は沈黙を選んだ。
それが肯定になるとしても。
「まあよい」
月雲が美紅から離れた。
「今日はわしから忠告を伝えに来たんじゃ」
「忠告?」
「ちゃんと手を掴んでおかねば、雨音はおぬしの前から消えてしまうぞ」
雨音から感じる曖昧な雰囲気。触れると壊れてしまいそうな存在感。だけど、それを留めておくなんて誰にも出来ない。
「雨音ちゃんのこと連れ戻すつもりじゃないの?」
「実のところ、母上が雨音を連れ戻したがっておる。わしが雨音を探していたのも、母上の願いを叶えてやるためじゃ。だがしかし、今のわしは今迷っておる」
「迷ってる?」
「おぬしは雨音の事情について、どこまで知ってるおるか?」
確か、雨音のお母さんが地元の神社で働いてるらしくて。その仕事を娘の二人にもやらせようとしているって話を雨音から聞いた。
「家族が神社で仕事をしてるとか」
「ああ、その通りじゃ。昔、家が世話になったとかで、母上は娘であるわしらを神社で働かせたがっておる。ただ、神社の連中も母上の行動に困っておるようでな。わしが今も遊び回っておるのは、神社で働くつもりなんて微塵もないからじゃ」
なら、どうして月雲は雨音を連れ戻そうとするのだろう。嫌なことだから、自分も逃げているのに。
「わしは一人でも生きられる。しかし、雨音はどうじゃ?今もこうして誰かの家に居るのは、あやつが弱い人間だからじゃろ?」
「そんなことは……」
「わしは雨音の姉じゃ。おぬしよりは知っておる」
美紅は胸が苦しくなった。自分のやっていることが、ただの家族ごっこで。本当の意味では雨音のことを何も知らないのだと。
「神社の連中は本当にいい奴らでな。雨音だけでもそっちで働いてほしかったのじゃが……まあ、今のあやつを説得するのは無理だとわかっておるが」
月雲が腕を組んで、悩むような顔をする。
「雨音ちゃんはまだ学生だから、そういうのは簡単に決められないと思う」
「高校生なら十分、自分で将来を決められる歳だと思うがね」
確かに、その通りかもしれない。
「高校の卒業と同時に神社で就職。別に悪くない話だと、わしは思うのだがね」
「雨音ちゃんはやりたくないんでしょ?」
「あやつが嫌がっておるのは、母上の言いなりになることじゃ。神社の話自体は否定しておらん」
月雲が深いため息を吐いた。
「まあ、わしも同じ立場じゃ。雨音に直接会って説得出来ないのも、わしの言葉が雨音を納得させられないからじゃ」
「……私に雨音ちゃんの説得をしてほしいの?」
「最初はそのつもりじゃった。しかし、こうして話してみればよくわかる。おぬしは雨音に構ってる余裕なんてないのじゃろ」
そんなことはないと美紅は思った。
「私は雨音ちゃんに幸せになってほしい」
月雲が組んでいた腕を崩して、手を差し伸べる。
「わしも同じことを願っておる。だから、わしとおぬしは仲良く出来るはずじゃ」
雨音に黙って月雲と仲良くすることに美紅は気が引けてしまった。それでも、差し出された手を美紅は握り返した。
「ねえ、月雲ちゃん」
「なんじゃ?」
「私に何かあったら、雨音ちゃんをお願い」
「……おぬし、随分と物騒な願い事を口にするんじゃな」
月雲は他人の願いに強いこだわりがある。それに美紅は気づいたからこそ、自分の願いを口にすることにした。
「わしはおぬしの神様にはなれんぞ」
「なら、友達としてお願い」
美紅は自分の未来に絶対はないと考えていた。
ただ、一人の人間として生きるなら、他人に願いを託す必要はない。けれど、美紅には未来で最悪な結末を迎える予感があった。
自分の歩いている道が他人とは違うことに気づいた時から、その先で待っているモノを恐れるようになってしまった。
「美紅よ。わしは気にせんのだが、そのやり方では自分だけでなく、他人も傷つけてしまうぞ」
「わかってる」
「いいや、何もわかっておらん」
月雲が体を動かして、美紅に抱きついた。
「おぬしにもあるのだろ。自分の命よりも大切なモノが」
それはきっと、雨音よりも大切な存在。美紅が口にしなかったのは独占欲のせいか。ただ、月雲は隠し事に気づいている。
「自分が本当に守りたいモノを見定めなければ、すべてを失うことになるぞ。そのうえでわしに何をしてほしいのか、何を願うべきなのか。よく考えるとよい」
月雲はどこまでも優しい人間だった。美紅は月雲に抱きしめられ、甘えてしまいそうになる。だけど、月雲の背中に触れなかったのは、温もりを求めてしまうのが怖かったから。
「ありがとう。月雲ちゃん」
美紅は月雲の体を押し返した。
「私は大人だから。大丈夫」
「そうか。なら、もう何も言うまい」
月雲は後ろ歩きで美紅から離れた。
「わしはしばらく、この辺に居る。何か相談したいことがあれば、声をかけてくれ」
「雨音ちゃんのことはいいの?」
「ああ。もう十分、種は撒いたからな」
その時、月雲の見せた笑顔が少し怖かった。
きっと、自分は何か失敗した。
美紅は月雲と関わったことを少しだけ後悔した。
自宅の廊下からリビングに足を踏み入れると、そこに雨音の姿を見つけた。雨音は学校の制服を着たままソファーに寝転がってケータイを操作していた。
「雨音ちゃん」
「どうした?」
美紅は雨音の上に飛び込んだ。
「おい、なんだ」
美紅は雨音に何を伝えるべきか迷っていた。
「雨音ちゃんは……どこにも行かない?」
「さあな。そんなものは私の気分次第だ」
雨音の腕が美紅の体を抱きしめる。
「重い女は昔から苦手なんだよ」
月雲と会ったことを正直に話すべきか、美紅は迷っていた。雨音からは姉と距離置くように言われていたし、友達になったなんて口が裂けても言えない。
「雨音ちゃん。ごめんね」
だから、美紅はズルをする。
真実を知られた時、雨音に嫌われたくないから。
「美紅は本当にわかりやすいな」
雨音の手が美紅の頭に触れる。
「大丈夫だ。私は黙って居なくなったりしない」
勘違いしてくれた。それとも、気づかないふりだろうか。雨音の優しさに触れるほど、美紅の感情は激しく揺れ動いてしまう。
だというのに感情に応えるように美紅の瞳からは涙が出てはこなかった。辛い時、悲しい時、流すはずの涙は美紅の心の中にはどこにも無かったかのように。
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