第十六話 関心はどこにもない
親和性の高さが重要だ、と晴時は言った。
「しんわせい……」
「融和、馴染み、言葉は何でもいい。とにかく、神力がその器にきちんと納まってくれればよいのだ」
たとえば、歴代の間宮家当主――神力の保持者が愛用していたもの。同じく、彼らの思い入れが強いもの。そういった品は、彼らの神気が染みついているのだという。
「だから神力も馴染みやすい……理屈の上ではな」
「何しろ今までに試した例がありませんので、こればかりはやってみるしかありません」
「あまりに次々と壊されても困る。選定は慎重に行わねばなるまいが」
「……失敗したら壊れるんですか?」
試したことがないのにそれはわかるのか。純粋に疑問に思っただけだったのだが、晴時はなぜか説教する前のような顔になっていた。
「胸に手を当てて考えてみろ。壊さずにいられると思うか?」
「いや、だって。今までのは危険な目にあったから……で……」
志乃は口をつぐんだ。わかってしまったからである。
今までは志乃という宿主に危険が迫ったことで暴発していた神力だが、たとえば。
たとえば
……外部の者が不当に神力を手に入れようとしている、ということになるのではないか。
少なくとも、何かしら反発があることは間違いないはずだ。それが器を壊す、つまり暴発と同じような発現の仕方をしても何ら不思議はない。
「……そうですね」
ほれみろ、と晴時が眉根を寄せた。
詠月が口元に手を当て、肩を震わせて笑っている。どこに笑う要素があったのか、気になるところである。
「さほど悲観する必要もないでしょう。
「あまり代をさかのぼると、神気も薄れそうですが……」
そっと進言した晴時に、詠月は目をぱちくりさせた。
「ああ、たしかに」
蔵を開けても意味はないかもしれない、と詠月はしばし考え込む様子を見せた。悲観しなくてもよい、と言った矢先に雲行きが怪しい。晴時も難しい顔で押し黙った。先代の息子でも思い当たるものがないのだろうか。
しばし、それぞれが居直る衣擦れの音だけが響いた。
(やっぱり詰み……)
今度こそ志乃が肩を落としかけたときである。
詠月が、ぽんと手を打った。
「ハル、先代があなたのお母上に贈った簪があったでしょう。先代自らが意匠を考えて腕の立つ職人に作らせた……」
「勘弁してください」
「駄目ですか」
ひじ掛けから身を起こして前のめりになった詠月に、晴時がゆるゆると首を振る。
「あれは今、母が持っています。簪だけじゃない。先代が気に入っていたものの大半は母の下にある。俺にはどうにもできません」
「お願いしに行くことはできませんか。あなたなら居場所を知っているのでしょう」
「それは……」
珍しく、というべきか。晴時がうろたえた。
妙な沈黙があたりを支配する。志乃は蚊帳の外から、場の空気に合わせて神妙な顔をしていた。話の先行きが読めない。そもそも、居場所を知っているとは何だ。晴時の母親なら、同じこの間宮家本邸に住んでいるのではないのか。それとも、神出鬼没で所在がわからない場合が多いということだろうか。
「……ほかにも方法はあると思いますが」
たっぷり時間をかけた晴時の答えである。可能と受け取ることができるが、彼は見るからに乗り気ではなさそうだった。明後日の方向を見ているし、声も小さい。まるで拗ねた子供だ。
困ったように眉を傾ける詠月は、さながらわがままを言う弟を見守る兄である。
「仕方がありませんね。やはり蔵を開けましょう。先々代の時分の品で有用なものがあるかもしれない」
「俺が行きます」
「ええ、お願いします。どうしても駄目だったら、今度こそあなたのお母上に頼んでもらいますからね」
詠月が、これは当主代理としての命令です、と結ぶと、晴時は黙って頭を下げた。是とも否とも言わない。顔はやっぱり、不満げだった。
思い立ったが吉日ということで、彼はそのあとすぐに席を立った。
(ハルさん、根詰めすぎないといいけど)
彼自身、昨晩は志乃の見張りで一睡もしていない。大蛇の巣穴では大立ち回りを演じている。休息が必要だろう。ほかに、誰かの手があったほうがいい気がする。
自分に関わることだし、あとで志乃も行ってみようか。
「申し出はありがたいですが、さすがに外部の者は立ち入り禁止です」
「……ですよね」
なんとなく予想はできていた。先ほど宝物という言葉が飛び出していたし、蔵には貴重なものもたくさん収められているようだ。間宮の関係者でもなく、身元すら定かではない志乃が入っていい場所ではないということだろう。
「ハルなら無理はしないでしょう。お母上のところに行くのが嫌だからと、確実な方法を取るはずです。自分から間宮の誰かを手伝いに呼びつけますよ……心配せずとも」
「いえ、心配はしていないです。私の身のことなのに、私が何もしないのはどうかと思っただけで」
「そうですか?」
詠月はひょいと片眉を上げる。嫌な仕草である。
こういうときは話を逸らすに限る。
「さっきから話に出てきてますけど、ハルさんのお母様って何者? なんですか。なんか、言い回しが変というか」
「うーん……そうですねぇ」
詠月がゆっくりと体を倒して、ひじ掛けにしなだれかかる。肘を置いていないほうの手の指先で、ひじ掛けの端を叩いた。言葉を選んでいる。
「彼女は多くの間宮の者と折り合いが悪く……夫である先代が亡くなった直後、こちらの屋敷を飛び出していきました。今どこにいるのかは、私も知りません。知っているのは、彼女の実の息子である晴時だけです」
「先代の持ちものの大半はその人のもとにあるって」
「そうですね。ごっそり持っていかれました」
詠月は苦笑した。
「よくもまあ、あれだけの量を気づかれずに運んだものです。おかげで、逆に彼女の私物のいくつかはこちらに残されたままですが」
「この着物とか……?」
志乃が己を飾って有り余る魅力を発する着物を指すと、詠月が頷いた。
なるほど、晴時の母。着物の色柄からもなんとなく人となりがわかるようだ。なかなかにパワフルな女性らしい。
「気になりますか、ハルの母が」
ハルの、をずいぶん強調された。だから志乃もきっぱり言った。
「全然まったく、これっぽっちも」
「なんだ、そうですか」
なんだとは何だ。が、これ以上志乃からいろいろ言うと余計に詠月を楽しませてしまいそうである。志乃はぎゅっと口を引き結んだ。
「話を戻しますが、蔵は無理でも、書庫なら出入りの許可を出せますよ」
もうからかう気はないらしい。志乃は結んだ口を解いた。
「……書庫、ですか」
「ただ器が用意されるのを待っているだけ、というのも暇でしょう。神力や、日ノ倭国の歴史を学んでみるのも一興だと思いますよ」
「はあ……」
間の抜けた返事をする志乃に、詠月はさらに畳みかけた。
「理解を深めることで、神力に対するあなたの恐怖心も多少は和らぐやもしれませんし」
それに、と彼は今日一番の楽し気な笑みを浮かべた。
あ、嫌な感じ。
「晴時のことも、わかるかも」
「結構です」
「……おや」
おや、ではない。意外そうな顔をされても困る。再三言われても困る。志乃は別に、晴時に特別な興味を抱いているわけではないのだ。
これ以上付き合っていられるか。志乃は勝手に話を締めくくりにかかった。
「あの、お話ってこれで終わりですか」
「そうですね……いや、ひとつだけ」
腰を浮かしかけた志乃だったが、詠月の静止で膝立ちのまま止まった。またくだらない話だったらすぐ立ち上がる、という意思表示である。
「せっかちですね、もう」
誰のせいだ、誰の。しばしの睨み合いの末、志乃は渋々腰を下ろす。
詠月の顔から、すでに嫌な含みは消えていた。
「明日ですが、家の者を集めてあなたの話をします。さすがに間宮家の者に何の説明もしないというのはまずいので」
「その集まりって……」
「あなたにも出席してもらいます」
もしや、と思ったが案の定である。志乃の頭から、ここまでの気の抜けたやり取りがすべて追い出された。顔色が一気に沈む。
志乃がこの家で歓迎されることは、まずあり得ないだろう。大勢の前に出てどんな罵詈雑言を浴びることになるか、わかったものではない。
「そこまで気負わずとも、顔見せは一瞬です。紹介は私がします。あなたは口を開かずともいい。済んだらすぐに自室へ戻って結構です。最初から最後まで出席させるつもりはありませんから」
「いいんですか?」
「構いません。こう言ってはなんですが、間宮には少々思想の偏った気性の方々もおりまして」
詠月は歯にものが詰まったようなもの言いをしているが、つまりはこういうことだ。
志乃を見るなり、恥も外聞も捨てて殴りかかる輩が出るかもしれない、と。
「忠に厚いのは結構なことですが……いえ、そうとも限らないのか。嫉妬に駆られるのは……ううん、全然結構なことではありませんね」
とにかく、志乃に危害を加えれば彼女の中にある神力を刺激する。
そうなったら、巻き込まれるのは間違いなくその場にいる全員だ。
「己らが信仰する力に一家まるごと滅亡させられる、なんて笑い話もいいところですからね」
まあ、それはそれで煩わしい当主争いがなくなって悪くない。
最後にそっとつけ足された言葉に、志乃は青ざめた。
内容も怖かったが、何よりも恐ろしかったのは詠月の顔だ。
黄水晶のきらめきを放つ瞳から一切の光が失われ、完璧に整った
「私もハルも、最初は当主になるのはどちらでもよいと思っていたんです。周囲が騒ぎ立てるから争いということになっているだけで」
志乃を見ているのに、見ていない。
どこに向けられているのかわからない詠月の目は、しかし、一度瞬きをするともとに戻った。見た者を惹きつける金の輝き。魔性の瞳である。
やっぱり人間とは思えないが、能面よりははるかにマシだった。
「さて、そろそろ部屋に戻って休みなさい。思えば、道中で大変な目に遭ったのに無理をさせました」
気遣いの台詞は志乃の耳には届かなかった。その頃には、跳ねるように立ち上がって襖に手をかけ、廊下に飛び出していたからである。
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