第十五話 着物に着られる
姿見に映る自分を頭のてっぺんからつま先まで眺め、志乃はううむと唸った。なんだか顔がかすんで見える。対して、鮮やかな着物の目立つこと目立つこと。
「どう、思いますか、すずさん」
髪に櫛を通してくれているすずに尋ねた。この着物を持ってきたのも、着付けてくれたのも彼女なのだ。
ついでに、応急処置だけだった肩の傷もきちんと手当てしてもらった。おかげで動かしても傷まない。すずは包帯の巻き方が上手かった。
「あの」
志乃の声に、すずは一瞥をくれただけだ。答えがないのが答えということか。
「すずさん……?」
「呼び捨てで結構でございます。それから、私めのような使用人に丁寧な言葉遣いも過分にございます」
「は、はい……わかりまし」
「志乃様」
「わ、わかったっ」
この女中、怖い。志乃は口をきゅっと引き結んだ。
志乃が着替えをしていたのは、これから彼女が寝泊まりをすることになる客間である。隅に置かれた文机と衣装箱。それから姿見に、押し入れに仕舞われた布団。それだけの六畳間だ。
ただ、客間というだけあって場所はよかった。
庭園に面しているのである。
前庭よりもずっと手が込んでいて、志乃の部屋からは赤い橋が見えた。ひょうたん型の池を跨ぐように作り置かれている。小さいながらも意匠が凝らされた橋は、それだけで十分に目を楽しませた。
そこから続くように伸びた、飛び石の置かれた小道には真っ白い砂利が敷かれ、紅葉の木から落ちる木漏れ日を映している。紅葉は小道に大きく張り出すように傾いているので、さながら天然のトンネルである。赤く色づいた葉がところどころに落ちているのですら、景観の一部としてよく映えた。
志乃には名もわからぬさまざまな庭木は、品を損ねないながらも隙間を埋めるようにいたるところに配置されていて、外からでは庭園の全容を見通すことはできなくなっている。下りて散策をすれば、箱庭に入り込んだかのような高揚感を味わえることは間違いない。
もちろん、今は散歩する時間などない。
志乃は晴時たちが待つ部屋へ向かうことになった。すずに連れられて、庭園を囲む回廊を抜け、本邸の奥へと潜る。何度も角を曲がるうちに、道がわからなくなっていく。
「すずさ……じゃなかった、すず。このお屋敷、見取り図とかない? 私、ひとりじゃ部屋に戻れないかもしれない」
「帰りもお迎えにあがります」
「ほんと? ありがとうっ」
それなら話は早い。志乃は屋敷の構造を覚えることを諦めた。
志乃が連れてこられたのは、間宮家の最奥といってもおかしくない一室だった。詠月の私室らしい。すずのお供は部屋の前までだ。
「おや、見事に着物に着られていますね」
志乃をひと目見た詠月の感想はいたってシンプルだった。
「よい着物なのにもったいない」
そしてちゃんと失礼だった。頬を引きつらせた志乃に対する興味はすぐに尽きたようで、彼は晴時に笑いかける。
「お母上はよいご趣味をお持ちですね」
こちらは心からの賛辞がこもっている。
志乃はつい、まぶたを半分落としてじとっとした視線を送ってしまった。
「派手好きなだけです。志乃、おまえも早く座れ」
(こっちはノーコメントですか……)
似合っていないのは自覚している。下手に言及されるよりはいいか、と志乃は諦めた。ひじ掛けに持たれて座る詠月が無駄にまき散らす色気から意識を逸らしつつ、彼と向かい合うかたちで、晴時の隣に腰を下ろす。
「あの、お母様の着物……? 貸してくれてありがとうございます」
「ああ」
一応お礼をと思ったのだが、返答は実に素っ気ないものだった。名前を呼ばれることを厭うところや、身分と名字を隠していたことを考えると、彼は実家や家族に触れられるのが嫌なのかもしれない。
だから志乃は黙っておいた。
現在間宮家を騒がせている当主候補のうち、大蛇の巣穴で晴時から聞いた「当主が決めていた後継ぎ」って、どう考えても晴時自身のことだよな、と思いながら。
当主代理の詠月。先代の唯一の子供である晴時。
次期当主の座を取り合う彼らなら、当然、対立しているものである気がするが。
(仲は悪くなさそうだよね……っていやいやいや)
志乃が気にしてどうする。
志乃はあくまでも神力を返すだけ。たしかに間宮家というお家騒動の渦中に身を置くことにはなるが、関与するつもりは毛頭ない。
滞在だって一時的なもので、神力がなくなれば志乃は、間宮家どころかこの世界から立ち去ることになる。こちらの人間と仲を深めようとも思わないし、志乃が晴時たちを気にかければいけないいわれはない。
何より、派閥争いとは厄介なものだ。志乃も学校という場で、子供だましの小さなものではあるが、経験したことがある。触らぬ神に祟りなし。知らぬ存ぜぬを貫くのが一番いい。
「――だ、そうだが。聞いているのか、志乃?」
はっと顔を上げると、片や美丈夫、片や傾国美人が揃って志乃を見つめていた。
――やってしまった。
「すみません……」
晴時がこれ見よがしに嘆息した。
「まったく、おまえの話なのだぞ」
「ちゃんと聞きます。ごめんなさい」
申し開きのしようもない。志乃はひたすら縮こまるばかりである。
「では、もう一度説明しますね」
詠月が口の端を持ち上げた。馬鹿にされているような……気のせいだろうか。
「
新たな当主へと神力を継承する際も、儀式のときはあくまで本殿の扉を開け放つのみ。直接手を触れる、あるいは御神体を移動させることはない。
それが壊れるなど、もってのほかである。
「神の力を宿す道具ですから、劣化することもない。先日まで楸の地で祀られていた神鏡も、初代が没して以降、何代にも渡って神力を護り続けてくれていました」
ここまでおわかりですか、と詠月が首を傾ける。
志乃は黙って頷いた。口が奇妙なかたちにひしゃげるのを抑えるので精いっぱいだった。
「それを、私が壊しちゃったんですね」
「そのとおりです。ですので、代わりの御神体なども用意はありません」
スペアはちゃんと準備しておけ、とは志乃が言えたことではない。志乃が壊してしまった御神体の歴史と、間宮家の歴史がほぼイコールで繋がっているとなればなおさらだ。それだけ、間宮家にとって御神体が失われることはあり得ない事態だったのだろう。
代わりの御神体を用意して
(話が順調すぎるとは思ったけど……)
道中で妖怪という物理的な障害はあったが、神力を返す計画そのものについては、晴時も協力的で何ら問題がなかった。少々楽観しすぎていたのかもしれない。
目に見えて落胆した志乃を、晴時が小突いた。
「本当に何も聞いていなかったんだな、おまえ」
「えっ?」
「たしかに御神体としてあらかじめ用意された品は存在しない。しかし、相応しいものを御神体としてこれから改めて準備することはできる」
「つまり……」
「神力を移せる器をこれから探す、ということだ」
おまえに聞かせていたのはその話だぞ、と晴時がふたたびため息をついた。
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