第十七話 愚痴をこぼす
これは駄目だ、と晴時は眉間を揉んだ。
手元には間宮家の蔵に収められている品物の目録がある。やたら分厚いし、一冊や二冊では済まない。
(いや、この際目録はいい。問題は……)
目の前に広がる混沌とした光景である。ちらりと見ただけでも、目録の先頭にあるものと、頁をめくってめくってめくった先にあるものが隣り合わせに置いてあった。無法地帯だ。年代も種類も見事なまでに混ざり合っている。
晴時は思わずこぼした。
「誰だ、ここの管理をしているのは」
「私も把握していませんね。たしかめさせますか」
足音を立てて振り返ってしまった。まさか返事があるとは思わなかった。
蔵の重い扉をわずかに押し開けて体をすべり込ませたのは、詠月である。
「どうです、進みそうですか」
「……すでに難航しています」
母が持ち去った品々のうちのひとつを借り受ける、という確実な方法を突っぱねた以上、晴時としても不可とは言いたくない。言いたくないのだが、現状を見ると芳しくないと答えるしかなかった。
「先に目録だけ見て、目星をつけてから取りかかろうかと」
あまり大きすぎたり、複数でひとつとみなされたりするもの――たとえば茶器など――は、御神体として成り立たない。あらかじめ選択肢から外しておく必要がある。
「それがいい。ここも少し手を加える必要がありそうですね」
晴時と同じように、詠月の目にも散見されるがらくたが映っているようだった。
ここにあるのは、何も間宮家にとって価値のあるものばかりではない。他家から入ってきた姫たちが持ち寄った嫁入り道具もある。不祥事で取り潰しになったり、妖怪に滅ぼされたり、あるいは間宮を離れて野に下った分家の邸宅に収められていたものも、すべて取りまとめてこの本邸の蔵に収まっていた。
あるいは、妖怪退治の依頼を持ってきた者の住む土地にあったもの。曰くがついた道具や、呪いの類がかけられた危険物も決して少なくない。それらはさすがにほかの無害な品とともに放り込んでおくわけにもいかないので、地下に造った別室に収容してある。
「使えそうなものは出して分家に配りますか」
「俺が印をつけておきましょうか」
「いえ、急ぐことはありません。今は御神体に集中してください。蔵の本格的な整理は、それこそ当主が決まってからでもいい」
「わかりました。しかし、当主のほうもそろそろ片付く頃合いでは。頭の硬い連中も、これだけかかればいい加減諦めるはずです」
「ふ……頭が硬いで片づけられては、彼らもたまったものじゃありませんね」
くすくすと笑いを漏らす詠月を横目に、晴時はめくった頁を戻した。何ひとつ頭に入ってこない。思えば昨晩から働き詰めだ。自覚はないが、疲れが溜まっているのかもしれなかった。
それか、今自分で口に出した問題が頭を引っかき回しているか。
「……俺を認められないというなら、あなたしかいない。考えなくとも答えは出ているのにいつまでも文句を言っているのだから、頭が硬いとしか言いようがありません」
次期当主として候補に立っているのは、晴時と詠月、ふたりのみである。
権利を持つ者だけなら傍系含めてごまんといるが、間宮家には神力がある。神力を受け継ぐことができるのは、初代間宮の血が最も濃い直系の子孫に限られた。だから今代の場合は晴時が該当する。
では詠月は、というと。
「血の卑しさでいえば私のほうが受け入れられないのでしょう」
晴時はいつにも増して難しい顔で詠月を見た。晴時としては詠月に当主の座を譲る気満々で、先代のひとり息子という立場にも関わらず、すでに詠月を主と定め、そのように接している。その彼をもってしても、今の詠月の発言に「そんなことはない」とは、口が裂けても言えなかった。
詠月は、もとは間宮の姓すら持たない末端の家の出だった。そこに生まれたひとりの娘が、婿を取り、詠月を産んだ――わけではなく。
外出先で暴漢に襲われて身ごもったのが、詠月なのである。
間宮の血がほんの一滴流れているかどうかの家で、父親は名も知らぬ暴漢。母は詠月を産んだあと、この世を儚んで自ら命を絶った。
因縁も厄もつきまくりの身の上なのだ。
それでも彼が晴時と並び立って当主候補などという立場に置かれ、あまつさえ当主代理としてその腕を振るっている理由は、ただひとつ。
「……しかし、詠月様は初代間宮にうり二つでいらっしゃる」
そういうわけである。
天を表す髪色に、誰もがひれ伏す月も顔負けの美貌。脈々と語り継がれ、絵姿にも残されている初代間宮の姿だった。人はこれを初代の生まれ変わり、あるいは先祖返りと呼ぶ。
晴時の言葉に、詠月はただ薄く色づいた唇を歪めて笑みを深めただけだった。
「無論、容姿が同じだから何だ、とあなたはおっしゃるでしょうが」
「よくわかっていますね、ハル」
晴時は咄嗟に謝罪を口にしようとして、やめた。以前似たような会話の流れで謝って止められたからだ。真に謝るべきは、彼らの地位に媚びへつらい、担ぎ上げ、勝手に「当主争い」などというありもしない諍いを生み出しておいて、裏ではふたりの親や血筋や身の上に言及して貶める。そういう連中なのだから、と。
晴時もまた厄介な問題を抱えている。
父が亡くなり、母が出ていき、周囲の態度もがらりと変わった。彼らを押さえつける存在がなくなってしまったのだ。晴時ひとりになった瞬間、間宮家の者たちはずいぶん好き勝手なことを言うようになった。姓を捨て、母のように姿をくらましてしまいたいところだが、それでは後継に据えるつもりで育ててくれた父に申し訳が立たない。気持ちに踏ん切りがつかないまま、実務をすべて詠月に押しつけるかたちで、自分は祓守頭として方々を駆け回って目を逸らし続けている。
「一旦引き上げます。ひとまず目録に目を通さねば」
「ええ、出ましょうか」
晴時は束になった目録を抱え、懐に突っ込んであった蔵の鍵を取り出した。詠月と揃って、冷え冷えする建物から外へ出る。
「そういえば、御神体の娘はどうしました?」
「ちょっと愚痴をこぼしたら真っ青になって逃げていきましたよ」
晴時は絶句した。逃げる……逃げる? たしかに詠月の並外れて整った顔立ちは、人の身には過ぎたものかもしれない。晴時だって初めて出会ったときにはぞっとして父の背に隠れたくらいだ。しかし背を向けて逃げ出したことはない。
門前で詠月と対面したときから逃げ腰だとは思っていたが、まさか人の顔を見て逃げるとは。言語道断、失礼にもほどがある。
「あの娘……何という無礼を。あとできつく言って――」
おかなければ、と拳を握った。
◇ ◇ ◇
どうしてこんなに長い説教を受けなければいけないのだ。
迎えに来たすずを急かすように自室に戻ったあと、志乃は久方ぶりにひとりの時間を手に入れた。すずはすぐに下がってしまったし、訪ねてくる人もいない。正真正銘、部屋にいるのは志乃だけだ。志乃が動く音意外に聞こえるのは、外の庭園にときおりやってくる鳥の鳴き声くらいだろうか。
やることもないし、では足りない睡眠を補おうかと畳にひっくり返ってぼうっとしていたときである。
すぱぁんと勢いよく障子が開け放たれ、鬼の形相の晴時が現れたのは。
「そこに直れ」
驚いて畳から数センチほど浮いた志乃をものともせず、彼は指を差した。
なんだかわからないが、志乃の体は半ば自動的に晴時の言うことを聞き、静かに膝を畳んで座る。開け放たれた障子がふたたびぴたりと閉じられ、晴時が志乃の向かいに座り――こんこんとお説教が始まったのである。
(長い……長すぎる……)
詠月が怖くて、逃げるように部屋を出たことは認める。しかし退出の許可はきちんともらっていたし、悲鳴を上げたわけでもない。失礼だろうと注意を受けるなら志乃も殊勝に「はい、ごめんなさい」と縮こまったのだが、日が傾いても叱られ続けるとはこれいかに。正座に慣れていない志乃の足はすっかり感覚を失っている。
「聞いているのか?」
思考を外に逃がしていると、晴時が歯を剥き出した。志乃は唇を噛みながら何度か頷く。もちろん聞いている。一応、あとで詠月に改めて謝罪しようとも考えている。
しかし、そろそろ限界だった。
「はい……あの、足がしびれて」
――当たり前だが、さらに怒られた。
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