第十四話 家督の行方わからず
とびきり綺麗な顔からぽんと転がり出た失礼な言葉に、志乃は口を開けて固まった。
「異界から来たという点を覗いては取り立てて特徴もない平凡な娘です。こちらの事情はよく理解しているので不安はないのですが、神力の影響か感情が安定しておらず」
対する晴時もまったく遠慮がない。彼のもの言いにはずいぶん慣れてきたので気にならないといえば気にならないが、それにしても好き勝手言ってくれる。
「危険が迫ると神力を暴走させるのでしたね。さすがに間宮家内部で命の危機に陥ることはないでしょうが……」
詠月の顔がぐっと近づいた。志乃は思いきりのけ反る。恐ろしく整った人形の頭を突然目の前に差し出されたようで、心臓に悪いからやめてほしい。
「それはそれとして、妖怪を前にみっともなく取り乱すのは、あまり好ましくありませんね」
「……み?」
「みっともない、です」
言い直さなくとも聞こえている。しかもこの男、傍から見たらなごやかに談笑しているとしか思えない柔和な表情のままでの先の発言である。志乃は頭がおかしくなりそうだった。
何とか言ってくれよ、という気持ちで晴時に抗議の目を向けたのだが、志乃の視線は届かなかった。気まずそうな顔で逸らされてしまったのである。
晴時のこの態度……いや、祓守師一同の態度といい、詠月という男は相当に高い身分にあるようだ。まさか人外じみた美しさだけが由来ではないだろう。
ここで噛みつくのは悪手だ。それくらいは志乃にもわかる。
「……松井志乃といいます」
だから、先の言動は一旦聞かなかったことにして、小さく頭を下げた。意外なことに、これには素直な返事があった。ただの見目麗しい嫌な奴ではないらしい。
「間宮詠月です。当主代理を務めています」
志乃は頭を下げた格好のままで硬直した。詠月と対峙してからもう何度目かわからない。素っとん狂な声を上げて驚くよりはマシなのかもしれないが。
「当主、代理?」
それはつまり、次期当主が決まっていないという間宮家の、実質的な最高権力者ということではないか。当主候補の人間というのも、何人いるのかは知らないが、うちのひとりは詠月だろう。ほぼ間違いない。
フラットな気持ちで敬うには、少々胸中で嫌なことを考えすぎた。怖いとか妖怪だとか嫌な男だとか……顔を上げるに上げられない。
ところが、白魚のような手が伸びてきて志乃の顎を掴んだ。そっと持ち上げられて、志乃の目が黄水晶とかち合う。
「そう怯えずとも取って食いやしませんよ。私だって間宮の中では余所者です。身分と血筋それ自体は大したものではありません」
「余所者、ですか?」
駄目だ。触られたところが気になりすぎて、言われたことを繰り返すことしかできなくなっている。もう名前をオウムと改めたほうがいいかもしれない。
志乃が背を伸ばすと、詠月の手は離れていった。ほっと胸を撫でおろす。
「本来ならハルが私にへりくだるのもおかしいんです。逆なんですよ」
「逆……」
志乃はまた晴時を仰いだ。今度の彼は心底参ったというふうに、片手で顔を覆っていた。
彼の様子を見、詠月が首を傾げる。絹のような光沢を放つ空色の髪が、さらり、と肩を流れて揺れた。
「志乃、あなたは何も聞いていないんですか」
「えっ、はい……ハルさんが祓守頭? だってことしか」
まさかそれではないだろう。祓守師は間宮家当主の下についている組織で、となればそのリーダーも当主のことは
詠月は志乃の様子をたしかめると、本人の意思を気にするように目くばせした。
「いいですよね」
違った。否と言われても関係ない断定口調だった。晴時も断れないのか、渋々、本当に嫌そうに首を縦に振る。
志乃も聞くのが嫌になってきた。
だって、当主代理よりも偉い立場って。
「ハルは……間宮晴時は、先代のたったひとりの跡取り息子なんです」
一瞬、言語を忘れた。
志乃は詠月と晴時の顔を見比べる。何度か往復したのち、苦々しげな晴時の苗色の瞳の上で視線を留めた。
「……一応、本家筋の直系の男児は、俺だけ、ということになる」
否定してほしかったのに、晴時は首肯した。非常に不本意そうではあったが、たしかに頷いたのである。
「えェ――――っ!?」
志乃の絶叫が秋の晴天を貫いた。
「うるさい、騒ぐな」
今までの数々の無礼を思い返すと、すでに志乃の首は飛んでいてもおかしくない。それも一度や二度で足りるかどうか。晴時に抱え運んでもらったり、背もたれ扱いしたり、余罪はごろごろあるが、最たるものはもちろん魍魎の一件である。
一歩間違えば人を殺していた――とはすでに青ざめたが、ただの人殺しでは済まない。一歩間違えば志乃は、国守の要を担う替えのきかない一家の唯一の跡取りを殺すところだったのである。この世界の文化水準を考えると、相手の身分の上下で課される罰の軽重も変わってくるだろう。
導き出される答えはひとつ。
「し、死刑とかになりますか……?」
「ならん。落ち着け愚か者。気にするなと何度言えばわかる」
ごん、と重い衝撃が脳天を突き抜けた。晴時の拳である。視界に火花が散って、志乃は頭を抱えてうずくまった。
「おとなしいだけの娘かと思いましたが、なかなか愉快ですね」
「鬱陶しいだけですよ」
晴時の声は本当に鬱陶しそうだった。詠月が声を立てて笑う。笑い声まで麗しいのは結構だが、今ばかりは腹立たしい。痛みの余韻で涙を浮かべた志乃は、ふたりまとめて睨みつけた。もう不敬罪とか知るもんか。
「さて、外で長話もなんですし、そろそろ入りましょう。志乃も、着物を替えたほうがいいでしょう?」
言われて、志乃は自分の格好を見下ろした。大蛇の巣を出たっきりそのままの状態だ。一度土に埋もれたこともあり、すっかり汚れてしまっている。今さらながらこの服装で人前に立っていたことが恥ずかしくなる。
というわけで、志乃はようやく間宮家に足を踏み入れた。
「そんななりでも、一応大事なお客様ですからね」
相変わらず言葉選びには悪意がある詠月に連れられて入った門の内側。間宮家の敷地は、目を見張るほど広大なものだった。
乗り物が直接玄関に乗りつけられるようにしてあるのか、前庭の中央は広々と空けられていた。正面の式台玄関までは控えめに飛び石が設置されているばかりである。代わりに、通行の邪魔にならない場所は見事なものだった。
とりどりの鯉が悠々と泳ぐ池は、学校のプールくらいの大きさがあった。それを囲む低木もよく手入れが行き届いており、大半が更地の前庭に彩りを与えている。
(広すぎ……迷子になりそう)
正面に見えているのが本邸だろうが、屋根の形からすると大きな建物がどんとひとつだけあるようには思えない。奥にはまた別の色合いの屋根瓦が突き出ているし、いったいいくつの棟があるのやら。
現代でもこんな豪邸に訪れたことはない。志乃はすっかり萎縮してしまって、所在なさげに晴時のほうへ身を寄せた。こういうときは知り合いにくっついているに限る。出会って二日でも知り合いは知り合いだ。たとえ相手に好ましく思われていなくても、知り合いは知り合いである。
客人らしく、志乃は正面の玄関から招かれた。
「すず、こちらへ」
詠月が中に向かって呼びかけると、山吹色のお仕着せを身につけた女が音もなく出てくる。彼女がすずらしい。
「この娘を着替えさせてやってください」
「以前おっしゃっておられた部屋にお通しすればよろしいですか」
「ええ、それで大丈夫です。お願いします」
「かしこまりました」
ぴくりとも表情が動かない女中だ。すずは顔と同じく無感情な目で志乃に向き直った。
「ご案内させていただきます」
志乃は目をぱちくりさせて、晴時と詠月を見る。ふたりとも頷いたので、履き物を脱いでどぎまぎしながらすずのあとに続いた。
連れ立って奥へ消えていく背に、晴時が声をかけた。
「すず。母の着物がいくつか残っていたはずだ」
振り返ったすずが、驚いたように肩を揺らす。それでもやっぱり、顔は無表情のままだった。
「よろしいのですか、坊ちゃま」
「構わん。仕舞い込むよりはいい」
「……かしこまりました」
志乃にはよくわからないやり取りだった。
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