其の家は娘を神子にする
第十三話 間宮に会う
大蛇に受けた傷の応急処置を済ませ、間宮家に戻った祓守師が連れてきた新しい馬に乗る。
志乃たちは芽柏の跡地を離れた。
街道に空いた大穴がすっかり背景と化したころだ。
中天に差しかかった太陽の下。関所を抜けて僅かに坂を下った先に、民家があった。奥に行くにつれて家々は増えていき、やがて村と呼べる規模に、町と呼べる規模になっていく。
「わ……」
志乃は鞍の上から思わず背を伸ばした。
連なる人家の終点に、目を見張るような大都市があった。
高々と存在感を示しているのは屋根瓦も艶やかな城だ。その立派な城を中心に据え、都は存在していた。水が並々と満たされた堀を挟んで、大小様々な建物が群がっている。全体的に茶色っぽいのは、木造家屋が多いからだろうか。
「日ノ倭国の中心、
晴時の声には得意げな色が含まれていた。
「どう? 壮観でしょ」
自慢する気持ちを全開にして、真也も笑う。
志乃は感動して首がもげそうなほど何度も縦に振った。
妖怪という危険な存在が蔓延る世界に転移してしまった現代人で、大事な異能を横取りした犯罪者で、家に帰れない迷子で、生活能力のない子供。おまけにこれから他人のお家騒動に巻き込まれようとする御神体。
昨日から鬱々とした肩書きばかり背負ってきた志乃だが、今ばかりはそれを全て忘れた。
旅行の際に乗った新幹線の車窓から、見知らぬ土地の見知らぬ景色を眺めた気持ちに似ている。これから自分は冒険に出るのだ、という期待のような。こういうのを、何というのだろう。
「ひとまず間宮家へ向かう」
あの街中を進むのだろうか、と志乃が期待で目を輝かせたときである。
「東都はあとだ」
晴時が手綱を絞り、馬首を巡らせた。ぐるりと視界が巡る。
鮮やかな都市は掻き消え、遠くにぽつんと建つ屋敷が見えた。志乃の知識でいう大名屋敷だとか武家屋敷だとかが近い外観だ。
「ええっと、あれが間宮家ですか」
広大な土地を有して贅沢に建てられているおかげでみすぼらしさはないが、場所が場所なので仲間はずれ感が否めなかった。
「間宮家には敵が多い。大半は妖怪だが……」
同胞を多く殺されている妖怪が間宮家を恨むのは当然のこと。だけでなく、人の中にも間宮家を疎んでいる者はいる。より正確にいうと、妖怪の恨みを買った間宮家を、である。傍に寄ると、どこで自分に火の粉が飛んでくるかわからないからだ。
薄情だと思うのは志乃だけだろうか。
祓守師たちは命がけで妖怪と戦っている。
神力がない今ならなおさらだ。その過程で命を落とした者も少なくはないだろう。ほかならぬ、日ノ倭国の民のために。妖怪の怨恨だって、本来であれば日ノ倭国のすべての者に降りかかって然るべきものだ。間宮家は、代わりに引き受けてくれているだけである。
感謝こそすれど、疎んで遠ざけるとはどういうことか。
口には出さなかったものの、黙り込んだ志乃の考えは駄々洩れだったようだ。
大きな手のひらが、志乃の髪をわしゃわしゃとかき回した。晴時だった。まるで犬猫に対するような乱暴さである。無駄に力が強いので、彼の手が動くたびに志乃の首が揺れた。
「……やめてください」
やめてもらえなかった。あろうことか、晴時の手は志乃の頭の上で静止する。重い。
「民草を護るために妖怪を払滅しているのに、彼らに被害が及んでは意味がない……とは、俺たちも考えていることだ」
だから東都の中には屋敷を持たなかった。あるのは祓守師の詰所だけだ。あまり大きくすると間宮家の本邸を外に構えた意味がなくなってしまうので、規模は最小限に抑えているという。
「風当たりが強いのは承知の上だ。おまえの不満は筋違い――」
「気遣ってもらえて嬉しいなら素直に言いなよ」
嬉々として鞍を並べた真也が、晴時の台詞を切って捨てた。
図星だったのか、あるいは単純に気に障ったのかはわからないが、晴時がぴたりと押し黙る。志乃の頭に置いた手に、余分な力が込められた。
「……戯言はやめろ。正門が開いている。迎えが出ているようだから私語は慎め」
わかりやすく話を逸らされた。しかし、なるほどたしかに、先ほどよりもずいぶん近くなった間宮家の、瓦屋根を被った長屋門が口を開けている。
その傍らにたたずむ人影があった。
真っ先に目についたのは、地上に取り残された空だ。否、髪だった。秋のやわらかな風にさらわれて、きらきらと眩い光を放ちながらなびいている。顔にかかった髪を背中に流す動作は、遠目に見てもたおやかだ。所作だけで美しい人だとわかる。
志乃たちの意識が自分へと向いたことに気づいたのだろうか、その人物は片手をひらりと振った。
「
晴時が馬足を速めた。断りも何もなかったので、志乃は悲鳴を上げて鞍にしがみつく。せめて心の準備をさせてほしい。おかげで馬が止まったときには、すっかり目を回していた。
ひらりと降りた晴時に続いて、志乃も鞍から引きずり降ろされる。強引ではあったが、地に足がついてようやくひと心地つけた気分だった。
もっともそれも、迎えに出ていた人物を間近で見るまでのことだったが。
「お帰りなさい、ハル。あなたの部下が血相を変えて飛び込んでくるから、何ごとかと思いましたよ」
まず、耳を撫でた声に仰天した。紡いだ言葉を問答無用で心に刻みつけていく存在感。もっと聴かせてくれとせがんでしまいそうになる触りのいい音。志乃は思わず顔を上げ、今度は凍りついた。
男だったのか。
「ご心配をおかけして申し訳ございません。このとおり、怪我もないのでご安心を」
「無事で何よりです。それに、お手柄でしたね」
「とんでもない。俺の不注意が招いた事態ですから」
「助かったのは本当ですよ。芽柏の跡地の妖怪は、これ以上被害も出ないからと後回しにしてしまっていましたから。どこかで片づけねばと思っていたんです」
遠目に視認した空色の長髪と、立ち姿、仕草。それから今のやわらかい声で、志乃は完全に女だと思い込んでいた。ところが実際はどうだ。近くで見れば、志乃よりはるかに上背があるし、肩幅はしっかりしているし、顎のラインはシャープだし、喉仏も浮き出ている。身につけているのも着流しだ。どう考えても男である。
ただ、少々顔が綺麗すぎた。
「あとで報告書をお願いしますね」
微笑んだ空色の長髪の男――詠月に、晴時が「はっ」と返事をする。傍らで見ていた志乃は思わず目元を覆った。目に毒だ。眩しすぎる。見惚れるより先に肌が粟立って、視界が拒絶した。晴時は平然と受け答えしているが、志乃にはとても耐えられない。彼がこの場にいなかったら、この詠月という男は妖怪ではないのかと疑ったくらいである。
「楸の里では傷を負ったと聞きましたが、そちらはどうしました」
「もうほとんど痛みもありません」
「たしかめても?」
晴時が頷いたところで、後続の祓守師たちが追いついてきた。彼らは詠月たちの会話に加わる気はないようで、わざわざ馬を降りて詠月に一礼をしつつ、黙って門の中へと消えていく。途中で真也が晴時に「
私も連れていってくれませんか、と志乃が切実な気持ちで祈ったことには気づいてもらえなかった。
「傷はもう塞がっているんですね?」
ぺたぺたと晴時の肩を触っていた詠月が、満足したように手を離す。
「さすがハル、治りが早いですね。しかし無理はしないように」
「肝に銘じておきます」
晴時が深く頭を下げる。
彼に怪我を負わせたのが自分だということもあり、志乃はふたりのやりとりを、若干の気まずさをもって眺めていた。
詠月の視線が動く。ようやく、というべきだろうか。彼は志乃を見た。
黄水晶を閉じ込めた瞳に射貫かれて、志乃は息を止めた。
詠月の薄い唇が弧を描く。背筋がぞっとした。志乃は無意識に手を伸ばし、助けを求めるように晴時の羽織をつまむ。
志乃の緊張は極限に達しようとしていた。詠月の口が開くのに合わせて心臓が嫌な音を立て――。
「それで、そのちんちくりんが御神体ですか?」
――……ん?
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