駅
雛形 絢尊
第1話
よそよそしい格好で今日も辿々しく歩く。
定期券を所持しているため、
円滑に駅のホームへと
駆け降りることができた。
そう、私は彼女を待つ。
07:08に到着する上りの沿線で。
とはいえ何故そのように私が彼女を
『待つ』ことになったのか。
その経緯を説明していこう。
私は冴えない男だ。
人には色んな種類がいるとは思う、
喩えていうならそうだ、表に立つもの、
裏で支えるもの、表に立つものを目指すもの、
裏で支えるものを目指すもの。
そんな風に言い換えれば
肩の荷は意外と軽くなる、
かくいう私は裏で支えるものを
目指すものを目指す。
日雇い暮らしで、
案件を掴まなければ収入がない。
そんな私が絵を捨て、社会に繰り出した。
営業担当だ。とある会社の面接で、
私は見事に正社員という
立ち位置に立つことができた。
生まれて初めてである。
そう、そんなことを考えていた時のことだ。
私はBluetooth対応のイヤフォンを片方、
ホームに落としてしまった。
AirPodsと言われるものだ。
ああいう時は焦りながら
地面に目を向けるものだ。
そう、私はその通り、焦っていた。
するとどうだ、近くにいた紺色のコートが
似合う女性がそれを拾ってくれたのだ。
はっと、それに目を向ける。
彼女の目が麗しく映った。
覚束ない声を発する。
「ありがとうございます」
会釈をする彼女から、
予想だにしない言葉が聞こえてきた。
私の片耳から流れるメロディに
彼女は感心したようだ。
「私もよく聴くんです」
そんな話をしていると列車がホームに近づく
合図が聞こえた。彼女がこんなことを言う。
「また明日もいらっしゃいますか?」
私はええ、と声を出すと、
彼女は笑みを浮かべて、
到着した列車に飛び込んだ。
生憎、向かう先が違うため、
私は窓越しにいる彼女に会釈をした。
私は翌日も彼女に会いたいと願った。
まだ名前のない、
名もなき通りすがりの人間だ。
そんな彼女を私は一目惚れのような
衝動を覚えた。
そう、彼女にただ会いたい。
普段のように私はそれを耳につけた。
リズムを刻むと同時に列車が来る。
私の視界に車体が映った。
彼女は私の目の前には映らなかったのだ。
翌日も彼女に会いたいと思った。
その翌日も、またその翌日も。
そう、またその翌日も、翌日も。
翌日も、また翌日も。
そのまた翌日も、またその翌日も。
そしてまた翌日も、翌日も。
目線が彼女を追いかけた。
ホームが満員になりかける。
到着した列車へ急足で飛び乗った。
あの長い髪、
彼女だ、きっと彼女だ。
もう少し、もう少し。
彼女、ではなかった。
時間とともに忘れていくだろう、
と正当化する。
そのまま彼女のことを忘れて仕舞えばいい。
忘れて仕舞えばそれで。
きっと忘れられる。忘れることができる。
そう、忘れよう。忘れてしまおう。
私はその翌日に転勤が決まった。
今とは全く違う場所で働いている。
不意にその時刻が目に入った。
07:08 なんだ、身の覚えがあるような、
ないような。
あ、何か思い出したような。
私は何故かホームにいる。
思い出せないが、いや、思い出せる。
思い出せる、思い出せる。
いや、思い出せない。
「私もよく聴くんです」
その声を横に聞いた。
「絵を描いてらっしゃるんですね」
きっと、彼は僕だ。彼女はきっと。
駅 雛形 絢尊 @kensonhina
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