第2話
「武宏君、東京の仕事は忙しいん? こないだ来た時は、すぐ帰ったけど」
「美紗子叔母さん、実は……」
ここ最近の円安や海外情勢の影響で、俺の働く小さな輸入商社が倒産の憂き目にあっている。就職一年目で、まだなにも成果を出せていない俺は、会社から早くもリストラ宣告を受けた。
俺がどうしてもやりたい仕事ではなかったが、内定をもらった会社がここだけだったこともあり、おなざりで働いていた。
「三年前に亡くなった父さん達には悪いけど、家を引き払おうと思ってるんです。楽しかった思い出がないわけじゃないけど……」
ひとりで住むには東京の家は広すぎる。いや、思い出がありすぎて、寂しすぎるのだ。
「それでどうするん? 向こうでまた就職して、マンションでも探すん? しばらくここで生活してもええんよ?」
母の妹の美紗子叔母さんは、結婚してこの近くに住んでいる。旦那さんはもともと地元の農家だが、ばあちゃんが体を壊してからも叔母さんが掃除や家事をしてくれていたおかげで、この家は綺麗に保たれていた。だが今のところ誰も住む予定はない。
「ほら、うちの旦那の田んぼを手伝ってくれてもええし、なんやったら私のカフェで働いてもええねんで。もちろん、やりたい仕事が決まるまでの少しの間だけでもええんやけど」
「ありがとうございます。少し考えさせてください」
◇
四十九日の法要を終え、戸棚に飾ってある白黒の写真に目を向けると、前回ここに来た時の思い出が甦ってきた。
――よく似てる。この写真、バス停で会ったあの女性とそっくりだ。いったいどういうことなんだ?
不可解な状況に混乱していると、戸棚の横の襖がすっと開いた。
「武宏君ここにおったん? お弁当が届いてるから、あっちでみんなと一緒に食べへん? 今日は帰れへんでしょ?」
「はい、ありがとうございます。今日は泊まっていくつもりです。ところで美紗子叔母さん、その写真……」
「ああこれ? 母さんの寝室の押し入れを整理してたら出てきたねん。母さんでも若い時代があったんやね」
ばあちゃんの昔の写真。それにしてもあの時の女性にそっくりだ。
「叔母さん、俺こないだの葬式の帰り、バス停でその写真の若いばあちゃんにそっくりな人に会ったんですけど」
「そうなん? バス停って、卯月の遅梅のバス停で? う〜ん、もしかしたらそれ、真子ちゃんかもしれん」
「マサコちゃん?」
「そう。二ヶ月ほど前から私のカフェを手伝ってくれてる、大阪から来た女の子よ。田舎暮らしがしたかったって。前から誰かに似てるなあって思ってたんやけど、そうか、真子ちゃんは母さんに似てたんか」
疑問は晴れた。俺がバス停で出会った女性は、美紗子叔母さんのカフェのバイト店員の真子さんらしい。
それにしてもよく似ている。写真を手にとりまじまじと見ていると、美紗子叔母さんがそれを取り上げた。
「ほんとによく似てるわぁ。せや、なんやったら、彼女今日お店に出てるから、あとで行ってみよか? 一緒に働くかもしれんしね」
「はい……」
◇
叔母夫婦やばあちゃんと親しかった近所の人達とお弁当を食べたあと、美紗子叔母さんと二人でカフェに向かった。
俺の隣を歩く美紗子叔母さんは、妹だから当たり前だが、横顔が母によく似ている。その美紗子叔母さんは、俺が心を許せる唯一の存在になった。
いくつもの田植え待ちの田んぼを抜けた丘の上に、古い蔵をリフォームした美紗子叔母さんのカフェがある。もうひと月もすれば、美しい水田を眼下に眺めながらお茶することが出来るだろう。
そのカフェの白い漆喰の壁が近づいて来るに連れ、真子さんに会う緊張感が高まってくる。
〝カランッ〟
扉を開けるベルが、俺の心臓を爆発させるほど大きな音で鳴った。
「いらっしゃ…… あれ、美紗子さん? 思ったより早かったんですね」
「どう真子ちゃん? 今日は気候も良かったから、ハイカーも多かったと思うけど?」
「イマイチですね。だってもう梅園の梅はずいぶん前に散っちゃいましたし、この辺りでまだ咲いてるのはバス停の卯月の遅梅だけですから。で、そちらの方は? 美紗子さんのお知り合いですか?」
美紗子叔母さんと話す真子さんを見た瞬間、あの日の出来事が本当に現実だったのかわからなくなってきた。似ているけれども真子さんとあの女性は、完全に別人だったのだ。
どちらかと言えば、真子さんよりばあちゃんの昔の写真の方が、あの女性に似ている。昔のばあちゃんの方が。
「叔母さん、俺、ちょっと行って来ます!」
「武宏君? ねぇちょっと、どこ行くん?」
〝カラァンッ〟
勢いよく開けた扉のベルが、さっきより大きな音で鳴った。
登ってきたばかりの丘を駆け降りて、あの時と同じ黒い服でバス停に向かう。一つ違いがあるとすれば、今の俺は手ぶらだということだけだ。
すでに赤い花弁をこぼした梅達は、もう俺のことを応援をしてくれないが、そんなことは気にも止めずに走っていく。
すると勢いの落ちてきた俺を、後ろから来たバスが追い抜いて行った。それでも――
「またおうたね」
季節はずれの梅が咲き誇るバス停。
その白い腰掛けの奥から俺に声をかけたのは、あの時の女性だ。
「ふぅ、間にあった」
「んん? 間にあった? バス、今さっき行ってもうたよ?」
あの時彼女が呟いたセリフを今俺が言って、あの時俺が聞けなかったことを、今彼女がはっきり口にしている。
初めて会ったあの時の感覚が、まるでデジャヴのように甦ってきた。
「はぁはぁ…… 今日はどちらにお出掛けですか? 確か次が最終バスですよね?」
「私、行き先はいつも決めてへんねん。そう言う君はどこ行くん? 今日は手ぶらみたいやけど?」
「帰る途中なんです。バスには乗りません」
「ふうん」
「本当はあなたに会いに来たんです」と言いたかったが、二人の距離はそこまで近くない。それでも内容の薄い会話なのになぜか心が軽く、他に会話のネタはないかと考えを巡らせていると、前回と同じ風呂敷包が目に止まった。
「今日の風呂敷包には、なにが入ってるんですか? またおにぎりですか?」
「今日は大切な服が数枚。先週は思い出の写真、先々週は誰かに貰った手紙やハガキ、やったかな?」
理由はよくわからないが、どうやら彼女はこのバス停に毎週来ているようだ。
そんなことより聞きたいことがある。そして全ての謎が解けるだろう、その質問を彼女に投げ掛けた。
「あの、あなたの名前を聞いても、いいですか?」
「うん、ええよ。私の名前は……」
〝キッ〟
その時タイミングよく、いや、タイミング悪く、夕陽に照らされ真っ赤に染まった最終バスが、二人の目の前に停まった。
それに気付いた彼女は俺の質問に最後まで答えることなく、静かに立ち上がった。
「ごめんね、バス来てしもたから」
「え、ええ……」
紺色の風呂敷包を小脇に抱え、扉横の手すりをつかむと同時に、ステップに細い足を滑らせる。
それらスムーズな彼女の動きが、二人の別れを確定させた。
「今度は君が見送る番やね」
そう言ったあと窓際の席に座り、閉じた窓越しに満面の笑みで何かを呟いた。
『ほなね、タケ坊』
彼女の口元がそう言ったように見える。バスに乗り込んで彼女の言葉を確かめたかったが、すぐに扉が閉まってしまった。
最終のバスが、笑顔で手を振る彼女を乗せてバス停を離れていく。
さっきの彼女の呟きで真実を悟った俺は、その場に立ち尽くし、笑顔を返すことが出来なかった。
今日はばあちゃんの四十九日法要。
故人の極楽浄土に向かう道が、決まると言われている日。
どうやらばあちゃんは、卯月の遅梅が咲き誇るこのバス停を出発し、今からそこに行くらしい。
夕陽に向かって溶けていく、あの最終バスに乗って。
Seven weeks 〜卯月の遅梅があるバス停にて〜 KOYUKI @fuuyuukii
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