第10話
生まれて初めて、授業をサボった。
その事実は時間を経るごとにじわじわとボディーブローのように効いてきて、床へ就いたは良いものの、中々どうして寝付けない。結局、根が真面目なのだ。
やっぱり怒られるだろうか。皆勤賞を貰ったのだって一度や二度ではないし、授業中の居眠りだって滅多にしない。
それもこれも、すべてはアイツのせいだ。起こしてくれなかったから!だなんて思春期のようなことを言うつもりは無いが、アイツと接点ができてから、どうにも調子が狂っている。辛うじて回ってはいるけれど、どこかで歯車が噛み合っていないような違和感。
いつにも増して登校の足取りは重い。寝不足が祟り、頭蓋の底に澱のごとく溜まった疲労の重みを感じる。憂鬱だ。
チャイムが鳴り、ホームルームが始まる。教室へ入ってくるなり、担任は私に目を留めた。名を呼ばれ、肩が強張る。最後に怒られたのっていつだっけ?
「体調、大丈夫なのか?」
「はえ?」
頓狂な声が漏れ、口を噤む。
話を聞くところによれば、何故だか私は体調を崩し早退したことになっていた。
一体誰が?それを聞きそびれたことに気付いたのは、一限が始まってからの事だった。しかし改めて考えてみれば、伝言を頼んだはずの私がそれを聞くのは不自然だろう。結果オーライ。
とは言え、怒られる覚悟を決めていただけに拍子抜けである。どこぞの誰かに借りを作ってしまったのも気がかりだ。
__しかし、それとこれとは話が違う。
何はともあれ、実害があったことには変わりがない。屋上の無断使用に加えて、授業をサボるという悪行。エスカレートすれば内申点にも響くだろうし、これは離れるには十分な理由だろう。心労と寝不足気味の対価を支払い、大義名分を手に入れたわけである。
ということで、私は兼ねてより考えていた作戦を決行することにした。
元を辿れば、アイツは友達が欲しくて、たまたま都合の良いところに私が通りかかったと言うだけの話。つまり、私より良い物件が見つかれば簡単にそちらへ移るはず。
名付けて__『ヤドカリ作戦』!
という訳で、昼休み。私は良い感じの物件を探しに、カラスの属する二組へと向かった。
カラスは普段、購買や御手洗へ向かう混雑を避け、やや時間を置いてからこちらへ来る。その隙にササッと二組を覗き、目星をつけ、撤退。後で再接触し、どうにかこうにかカラスと縁を結ぶ。
かなり面倒ではあるが、未来を思えば何のその。ここさえ乗り越えれば、私はまた__。
……昼休みに、ひとり微睡むことが出来る?
昼食なんて適当に済ませて、その分余った時間を、たっぷりと……。
「……?」
何だかどうしてしっくりこない。何かもっとこう、明確な達成感と言うか、解放感と言うか。
何はともあれ、同じクラスに友達が居れば、それに越したことは無いはずだ。毎日端から端の教室へ迎えに行く必要もなし、寒い屋上へ行く必要もなし。もちろん、弁当を拵える必要も無くなる。矢印は自然と手頃な方へと向き、円満な自然消滅を迎える筈だ。
アイツにとっても良いこと尽くめ。どこを取っても隙のない、完璧な作戦である。
そんなことを考えている間に、どうにか二組へたどり着いた。
人混みはキライだ。祭りだのテーマパークだの、人の流れをかき分けすり抜け、楽しむ前に疲れてしまう。特に、花火大会は大嫌いだ。花火を見るだけで、嫌な気持ちになる……。
嫌なことを思い出した。前扉を背に、息を整える。ぼちぼち人もはけてきた。あとは、購買へ行った生徒が戻ってくる前に撤収するのみ。
さっさと済ませてしまおうと、教室を覗き込んでみる。
「……げ。」
真っ先に目に付いたのは、カラスだった。席は教室のど真ん中、周囲のグループとの間にある絶妙な距離は気のせいではないだろう。
カラスは、まったくの無表情でそこに居た。
初めて見る表情だった。その冷たく、無機質な表情は、晶の知る表情豊かな姿とはどうしたって結びつかない。元より纏っている異様な雰囲気を一層引き立て、端正に整った顔立ちは日本人形の如く映った。
もしカラスに興味を持っている生徒が居たって、これでは到底近寄れまい。
何か嫌なことでもあったのだろうか。不思議に思いつつ、視線をカラスから外し、教室をぐるり巡らせる。今日の本題は物件探しだ。
当然のことながら、すでにある程度グループは固まっているようだ。大小まばらな集団が各々コミュニティを築き、点在している。浮島もちらほら見えるけれど、突っ伏して眠っている奴、ヘッドホンで外界をシャットアウトしている奴、黙々とスマホゲームに勤しんでいる奴など様々。私が言えたことではないけれど、カラスとはあまり合わなそうだ。やはり、どこか適当なグループにねじ込んでしまうのが差し障りないだろう。
さて、どこが良いか。あまり活発すぎる所はいけない。落ち着いていて、穏やかで、包容力があって__そう、まさしくヒヨコちゃんみたいな子が見つかれば最高なのだが。
「……なにしてんの?」
「い”ッ!?」
咄嗟に悲鳴を呑み込み、顔を引っ込める。慌てて振り返れば、目の前にセーラー服のリボンがあった。鼻先に突き出されたおっぱいの圧迫感に後退り、扉に踵が触れる。
視線を上げれば、トレードマークの丸眼鏡に、時代錯誤のおさげ髪。そこに居たのは、件のブレーメンの音楽隊で言うところの牛だった。
「あああアンタこそ、何してんのさ!?」
馬鹿みたいに早鐘を打つ心臓を抑え、声が裏返る。
「何って、ケータイ取り来たんだよ。忘れた。」
「ケータイって__ケータイと二組と、何の関係があるっての?」
呼吸を整え、どうにか落ち着きを取り戻す。アンタとか言っちゃった。
「関係もなにも、ここ、アタシの教室だもの。」
アタシの教室?
「……ここ、二組だけど?」
牛はしばし私を見つめ、やがて呆れたようにため息をついた。
その口許が微かに弛んで見えたのは、気のせいだろうか。
「……ま、いいや。で、__佐伯サンは、二組に何の用なわけ。」
言葉に詰まる。カラスを体よく押し付ける物件を探していた、などとバカ正直に言えるわけが無い。答えを探し、頭の中を猛スピードでかき回す。目も回る。なんかないかなんかないか。
「__ねえ。」
「ひッ!?」
至近距離、真横から突然声を掛けられ、心臓が再び跳ねあがる。いつの間に気づいたのか、扉から顔を半分だけ覗かせたカラスは、私と牛とにじっとりと湿気た視線を巡らせた。
何故か不機嫌そうではあるが、このカラスは私の知ってるいつものカラスだ。やっぱり、さっきの無表情とは全然違う。
「……お友達?」
訝しむような問いかけに、脳裏で電球が灯る。藁をも掴む思いとはこの事。目の前を流れてゆく言葉に、一も二もなく飛び付いた。
「__そう、トモダチ!」
食い気味の返答に、椿は激しく動揺した。
軋む首を持ち上げて、震える視界に、その人を映す。
この人は、あの佐伯さんが、憚ることなく断言できるだけの、友達。
無論、今の晶に椿の非常事態を察知するだけの余裕はない。あとさきも何も考えず、咄嗟にカラスの手を取った。
「友達、迎えに来ただけだから!ほら行こ、つ__。」
引金を引き、撃鉄が降りた。この言葉はもう呑み込めない。私は、一体何を言おうとしている?致命的な失敗の予感。吐息が振動に変わるまでの時間が悠久に思える。
あとに続く言葉を予感し、椿の胸が高鳴った。そんな。まさか。どうして。
__佐伯さんの、友達って!
「__つばき!」
その色めきたるや。
華やぐカラスと、好奇の視線。そのすべてから目を逸らし、晶はその場から逃げ出した。
椿の腕を引いて。
__何か、とんでもない間違いを犯しているような。
「……ハクジョーモノめ。」
去りゆく背中に投げた言葉は、届くことなく宙に溶けた。
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