第8話
空気が澄んで、抜けるような青空。風の冷たさもだいぶん冬めいてきて、風が吹けば思わず身が縮こまる。それでも今日のように日差しのある日はまだ暖かく、お尻の冷たさを除けば、屋上で過ごすのもそれなりに快適だった。
どうぞ、と弁当箱を手渡される。カラスのものより一回り大きなそれは、今日も色鮮やかな風呂敷に包まれていた。手触りにしろ色味にしろ、おそらく安いものではない。本来であれば、弁当包みに使って良いような代物ではないのだろう。
しかし、以前それを指摘したところ、よくわからない返答で煙に巻かれてしまった。
曰く、モノにとっては使われるのが一番の喜びで、その上褒められて有頂天になってる、とか何とか。
カラスに倣って膝にのせ、包みを解く。滑るように解けた風呂敷から現れたのは、艶やかな黒に透ける、鈍く深い紅。弁当箱までこれなのだからたまらない。
先日の一件から、一週間ほどが経っただろうか。カラスはあの日から一日も欠かすことなく、せっせと弁当を拵えてくる。
食べなくていいのよ。捨てるだけだから__私が終わりを仄めかすたび、カラスはそう言って意地の悪い笑みをするようになった。コイツも大概性格が悪い。手のひらの上に転がされていることを知りながら、まんまと平らげてしまう私も私だが。
「おいしい?」
お決まりの問いかけに、黙って頷く。カラスは「よかった」と微笑む。まことに不本意ながら、私たちの間で築かれつつある、”お決まり”のやり取り。
別段盛り上がるような会話があるわけでもなし、カラスはずっとご機嫌だ。横目に私の食べる様子を伺いながら、時折、思いついたように他愛もない質問を投げかけてくる。
Q.兄弟姉妹はいるのか。
A.居ない。
Q.趣味は何か。
A.特になし。
Q.好きな食べ物は?
A.……特になし。
「だし巻き卵は?」
「……。」
「あと、切り干し大根の時もちょっと嬉しそう。当たってる?」
「……。」
カラスも多くを語る質ではないようだけれど、私に聞いた分だけ、ぽつぽつと自分の事を話す。妹が二人いて、手芸が好き。好きな食べ物は漬物全般。たまにお弁当に入っている梅干しも、毎年家で作っているものだとかナントカ。
「__ごちそうさま。」
弁当箱の蓋を閉じ、包みなおしてカラスに返す。カラスは口許を隠し、急いで呑み込んでから「お粗末さま」と言った。
「んじゃ、良い時間に起こして。」
欠伸をひとつ、壁に背をもたせる。
飯の切れ目は縁の切れ目。ご飯を貰っておきながら、食べ終えるなり寝てしまう。いつもの事とは言え、我ながら酷いことをしているなあと思う。
とは言え、私が無理してふるまったって、そんなもの長くは続かないだろう。
何より、コイツは私を知りたいと言ったのだ。それを思えば、自由気ままにふるまう事こそが正解なのではなかろうか__などと考えつつ、ついカラスの様子を伺ってしまう。
カラスは相変わらず、小さなひと口をちまちま口に運んでいる。弁当はまだ半分ほど残っており、食べ終えるにはしばらく掛かりそうだ。
ひとりで食べて、黙って過ごし、私を起こせばすぐ解散。それでも明日になれば、コイツはまた弁当を拵えてくるのだろう。何が楽しくてやっているのか、私にはとんと見当がつかない。飢えていれば何でも美味い、みたいなノリなのだろうか。
突然カラスがこちらへ目を向け、慌てて目を瞑る。
「佐伯さん?」
ふたつにひとつだ。バレているとすれば、この狸寝入りは滑稽極まりないだろう。逆にバレていない場合、返事をすれば墓穴を掘る。
「……寝ちゃった?」
「……なに?」
どうやらバレては居なかったらしい。さも「起こされました」と言わんばかり、渋々目を開ける。
「ごめんなさい。起こしちゃった?」
「……いいよ、別に。まだ起きてたし__で、何?」
起こしたからには、それなりの用があっての事だろう。話を促す。眠気はもうすぐそこまで来ているのだ。もたもたしていると逃げてしまう。
「そのね、壁にもたれて寝るの、辛いんじゃないかと思って。たまに眉間に皺寄せて、寝苦しそうに唸ってるから……。」
気恥ずかしさに言葉が詰まる。無断で人の寝顔を眺めやがって。狸寝入りで様子を伺っていた自分をすっかり棚に上げ、内心悪態をつく。
「……別に、慣れ。そりゃまあ、机の方が寝やすいけどさ。」
「だからね、その__どうかしらと思って。」
皮肉は当然の如くスルー。カラスは膝にのせていた弁当を降ろし、スカートを手で払った。
何を言っているのかわからず、腿に置かれたカラスの手を見、再びカラスの顔を見る。
「い、妹たちからの評判は良いのよ。きっと、壁よりはマシなはず……。」
沈黙に耐えかねてか、カラスは言葉を重ねた。
つまり、コイツは膝枕を提案しているらしい。
「え、やだ……。」
考えるより早く、本音が口をついて出た。
表情が強張り、カラスの瞳が揺らいで歪む。
__やってしまった。公衆の面前で泣かれた場面がフラッシュバックし、背筋が凍る。
「い、嫌って言うか!」
リカバリーを試みるべく、なんかないかと言葉を探す。気分は某国民的猫型ロボットだ。なんかないかなんかないか!
「ええと、なんだ。つまり、その__そもそも私たち、そういう仲じゃないし?」
大失敗である。
リカバリーどころか、これでは追い打ちも良いところだ。何も、ポンコツまで某作準拠でなくていいのに。
とは言え、嫌なものは仕方ない。前提として、親友だろうが恋人だろうが、私はそういうあからさまなスキンシップは好きでない。親しき中にも礼儀あり。あくまで他人である以上、一定の距離感は保つべきだ。
と、思う。
そんな相手が過去にいたかは別として。
「……じゃ、おやすみ……。」
慣れつつある固く冷たい壁に背をもたせ、晶は逃げるように目を瞑った。
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