第7話

 昼休みに視線を感じると、大抵外から私を見ているひとがいる。二組の字平さんだ。カホちゃんに怒られたのがよほど堪えたのか、前のように直接声をかけてくることは無くなった。

「ちょっと、佐伯さん起こしてくるね。」

 カホちゃんは眉をひそめ、黙ったまま廊下を睨みつける。すでに字平さんの姿はない。

 追いかけようと立ち上がるカホちゃんの首を、キタちゃんが手馴れた調子で抱え込む。藻掻くカホちゃんも何のその、携帯を弄りながら片腕で難なく御してしまう。文字通りの片手間だ。

 キタちゃんは「行け」とばかり、佐伯さんの方へ顎をしゃくった。今のうちにと急いで向かう。

 近頃、佐伯さんは昼休みに眠らなくなった。相変わらず眠たそうにしているけれど、本を読んだり音楽を聴いたりして過ごしている。とは言え、字平さんが顔を覗かせれば寝たふりをしてしまうので、呼びに行くことに変わりはないのだけれど。

「佐伯さん、お昼の時間みたいだよ。」

 顔を背けるので、肩をゆすってみる。少し間を置いて、佐伯さんはようやく観念したように顔を上げた。

「ほら、突っ伏すから前髪くちゃくちゃ……。」

 弟に接するときの癖で、つい手を伸ばしてしまう。特に嫌がる様子もないので、ええいままよと髪に触れた。

 ぺたぺたする感触は整髪料のものだろうか。固くて、やや癖のある髪。猫っ毛の私としては羨ましいけれど、これがなかなか言うことを聞かない。佐伯さんが男の子のような髪型にしている理由がわかった気がする。

 四苦八苦してどうにか直ったことを伝えると、佐伯さんは小さくお礼を言って、眠たそうに席を立った。

 その背中を見送りながら、指をすり合わせ、指先に残った整髪料の感触を確かめる。

 難攻不落の二大巨頭、二組のカラスと五組の王子。男女問わず、これまでどれだけのひとが果敢にもぶつかり、玉砕してきたことか。

 かくいう私もそのひとりで、席が隣だった頃はまめに話し掛けてみたものだ。結局、名前すら覚えて貰えなかったけれど。

 そんな私からすれば、彼女が字平さんの名前に反応すること自体が衝撃だった。

 しかし仲がいいのかと言えば、一概にはそうとも言えないようで。

 楽しげな字平さんとは対照的に、佐伯さんはいかにも嫌です面倒ですという顔をしてのろのろと教室を出てゆく。

 __ので。

 今日は、そんなふたりを尾行してみることにした。

 伝者役を務めているのだから、ちょっと見るくらい許されるだろう。お手洗いと断って、ひとり教室を抜け出す。

 左右に首を巡らせ、ふたりの背中を見つけた。横並びにして初めてわかる。同じくらいの身長ではあるが、若干、佐伯さんのほうが小さい。

 華奢な字平さんは小柄に見えるし、佐伯さんには勝手に背が高い印象を受けていた。スタイルの良さもあるけれど、髪を短くしているから、小さな顔も相まってことさら頭身が高く映るのかもしれない。

 どちらにせよ、小さな私からしたら二人とも大きいことに変わりはない。少しでいいから、キタちゃんの身長を分けてもらいたい。

 離れて後を追っていると、廊下の向こうにふたりが消えた。そちらには階段しかないはずだ。昇ったか降りたか、慌てて後を追い、耳をそばだてる。足音は上に向かっているようだった。

 忍び足で階段を登ってゆく。二年の階を素通りし、三年の階を素通りし、まだ昇る。これより上は屋上だ。

 屋上は閉鎖されているはずだから、覗いたらバレてしまう。足を止め、息を殺す。

「__よくやるわ。バレたら停学とかなっちゃうかもよ。」

「平気よ。案外、ひとは自分を見ていないものよ。」

「どうだか。案外、アンタみたいのが紛れてるかもよ。後はほら、アンタ、目立つじゃん。尾行されたりとかさ。」

 見透かしたような発言に、どきっとする。バレているのだろうか?見つかったら__どうなるのだろう。

 いつもぬぼーっと眠たそうにして、植物のような佐伯さん。入学から半年が経った今でも、感情らしい感情を見せたことはほとんど無い。

 ただ__怒っているのを見たのは、先日の件で二度目だった。とは言え、いずれも怒りを露わにしてというよりは、静かに説き伏せるような調子だったけれど。

 むしろ、そっちの方が怖いかもしれない。カホちゃんは怒りっぽいけれど、近頃はそれも可愛く見えてきた。

 ……そう言えば、あの時の佐伯さんは、どうして怒ったのだったか。

「__私が、目立つ?」

 逸れかけていた意識を引き戻し、再び耳をそばだてる。

「そうそう。二組のカラス。私でも知ってるんだから大したもんよ。」

「カラス……。」

「何、本人なのに知らないの?」

「知らないわ。そういう五組の王子様こそ、ファンに尾けられてもおかしくないんじゃない?」

「王子ぃ?何それ。」

「ほら、佐伯さんだって知らないじゃない。噂っていうのは、本人には届かないところでされるものなのよ、きっと。」

「王子ねえ……。」

 それきりふたりは黙り込み、何やら金属の擦れる音だけが響く。ややして、字平さんは「開いた」と小さく呟いた。

 当然のごとく扉が開く音がして、二人の声が遠くなる。

 __とんでもないものを見てしまった。大スキャンダルもいい所だ。

 今日見たものは墓場まで持ってゆくことにして、音を立てぬよう踵を返す。

 目の前に、顔があった。思わず声を上げそうになり、口を塞がれる。唇に指を当て、静かにしろのジェスチャー。

「……面白えもん、見ちゃったなぁ。」

 そこに居たのは、教室に置いてきたはずのふたりだった。

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