第7話 おねがい、オネーチャー
「ああーおうじさまー。わたししんじてましたよ。かならず来てくれるって」
濃い飴色をした木目調の縁側の床板をぎしぎし言わせながら、
肩まで伸びたつやつやと煌めく黒髪が踊るように揺れて、我が妹ながらついつい羨望の気持ちに駆られる。蒸し暑いのはごめんだけれど、私もあれぐらいまで伸ばそうかしら。
「おうじ、ん?なんだこれ、な、なんとかいのきすを」
読めない漢字にまごつきながらも、光はそのまま読み進めて、虚空に向かって唇を尖らせた。むーとタコの吸盤みたいに突きだされたその薄いピンクの唇と、存外に神妙な様子で伏せられた瞳とが、子供と大人のちぐはぐさを感じさせて、それがたまらなくおかしくって、思わず吹き出す。
「な、おねーちゃん!わらわないでよ!練習してるんだからぁ!」
しっかりと台本を手に握りしめたままの状態で、光が私の胸に向かって突進してくる。姉妹の間で行われるこのじゃれつきは、もうかれこれ五年は続く伝統あるものだ。だからこそ、光のことをどういうタイミングと体勢とで受け止めれば一番に衝撃を殺すことができるかというのは、もうすっかり心得ていた。
「ねぇ、ここなんて書いてあるの?はねばたけ?」
水中から顔を出すみたいにして私の腕の中からひょっこりと出てきた光が、台本の王子の隣に小さく書き込まれた文字を指差して聞いてきた。
「ああ、それはね、はばただよ」
「なんでここだけ?」
問われて初めて、その不自然さに気づいた。他はプリントされたものをそのままの状態を保って何も書き込みがされていないのに、王子の隣にだけ、羽畑とある。これは不思議がられて当然だ。
「大事なことはメモしとくもんなんだよ。光も、落書きばっかしてないで、ちゃんと授業のノートを取る!」
光のちっこい頭を両方の手でぐりぐりしてやりながら、そうやって言い含めようとした。光は私の腕の中できゃーきゃーはしゃいでいたけれど、納得のいっていないような曖昧な顔を崩すことはなく。力業でまるめこむことを諦めた私が腕の包囲から解放してやると、光は、
「お姉ちゃんだって、もうこうこーせいなのにお絵描きばっかしてるじゃん!」
と、光の突進から退避させるために私が放り出していたスケッチブックの方を指さしながら、抗議の声を上げた。それはまぁ、たしかに。思わず同意しそうになる気持ちをぐっとこらえて、
「これだって大事なことなんだから」
と、描きかけのものを見直してみる。縁側から覗ける眼前の見慣れた庭を、簡単にデッサンしたものだ。我ながら、枝葉の陰影はよく描けていると思う。あと、木の幹の節くれだった皮の部分も。でも、何かいまひとつ足りない感じがする。青々とした生命力というものが欠けているような気がする。
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