第4話 ちょうは、おやすみ
羽畑さんは不思議な人だ。明るくて、人当たりがよくってというのが、私の今ままで持っていた彼女に対する印象だった。
でも、以前のようにただ傍から彼女のことを眺めているだけじゃ分からなかったことが、プリントを拾ってもらったあの日から、幾分か距離を縮めて、彼女と直に接するようになって分かった多くのことがあった。
今日の羽畑さんは、なぜだかいつもより元気がなさそうだった。
ほの暗い影を落とす庇の下で、灰色のコンクリートの段に腰を落ち着けて、ぼんやりと少しばかり眠たそうにしている。長い髪をくるくると指でもてあそんでは解いてをして、手持ち無沙汰そうだ。お団子にすらしないでいるのは、今日はもう授業に参加するつもりはないからなのだろうか。
そうなのだとしたら、少し残念だ。
プールの授業が始まってからずっと、彼女の泳ぐ姿を、さらに言えば彼女の水に浸かる姿を、私はいまだに見たことがなかったから。
そうやって隠れるように影の中で佇んでいる羽畑さんを眺めていると、急に彼女が私の視線に気づいてこちらの方を向いた。きょとんと一瞬不思議そうな表情を覗かせたあと、羽畑さんはたおやかな微笑を湛えて、ひらひらと小さく手を振った。
花弁の開くようなその穏やかな薄い笑みに、なんとなはなしに、引き込まれていくような気持ちがした。もちろん、彼女にはまるでそのつもりはないのだろうけれど。
でも、私の方は抗いがたい不思議な力に、じわじわと心を惹きつけれられて、誘われるような思いでいた。
でもすぐさま、無遠慮に彼女のことを眺めていた自分が無性に恥ずかしくなって、居たたまれない気持ちに襲われて、急いで前を向いた。
頭上で燦燦と照る太陽の光を照り返して、きらきらと光る水面は慌ただしく揺れ動いている。プールの水の上をかすめるようにして吹き付ける風は、ちょっぴり生暖かい。
ピッとホイッスルの甲高い合図の音が響いて、私の両隣に並んでいた子たちが、臆する様子もなく水の中へと次から次に飛び込んでいく。
きゃっきゃっと童心に帰ったみたいに楽しそうな笑い声を上げる彼女たちに続いて、私も慌てて水に足をつけて、慎重に冷たい水の中へと身を沈めていった。
水中の世界へと入っていく寸前のところで、視界の端で、羽畑さんがにこりといたずらっぽく唇をゆがめたような気がした。
途端に私の心臓は落ち着きをなくしてしまって、危うく塩素の匂いのつんと鼻を刺す、得体の知れないプールの水をがぶがぶと飲んでしまいそうになった。
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