第3話 まずいな、まずい

そもそもの話。私が見る限りずっと、羽畑さんが誰かしらと一緒にいるのが悪い。そういう風に責任転嫁せずにはいられないほど、私は今手詰まりの状態にいる。


結衣と一緒に、ああでもないこうでもないと不毛だけれど、だからこそ楽しい会話をしているうち、昼休みが終わった。五限は化学。またこの前と同じように、さりげなく羽畑さんの隣の席を狙ってみようかと思ったけれど、勇気がでなくて結局は彼女の席からは二つ後ろの席を陣取った。

そうして、今は羽畑さんと彼女といつも一緒に過ごしている子達とが、楽し気に笑みを交わし合っているのを茫然と眺めている。羨ましい。さも当然という風に、羽畑さんとのお喋りに興じることのできる彼、彼女らが、ひたすらに羨ましかった。

羽畑さんの男女問わずの人気というのは、一年生の頃からのファン?というか取り巻き?というか。呼び方を優しくするならと、そして二年生になって私と同じように羽畑さんの魅力に素直に惹かれて、になった人とがいた。

その大半がいわゆる陽の人で、そのことがまた私が羽畑さんに話しかけることを気後れさせる障害になっていた。今だって、彼女の席の周りを壁を築こうとでもするみたいに取り囲むから、邪魔で仕方がない。羽畑さんのことを好きな気持ちはよく分かるけれど、独善的な寡占はよくないと思う。


「おーい、梶本かじもとさん。聞いてるの?」


そのとき、ぽんと肩に手を置かれて、私はようやっと呼びかけられていたのに気づいた。羽畑さんを眺めているときの私の集中力というのは、自分でも恐ろしいくらいに凄まじいらしい。


「今日提出の化学のプリント、集めてるから出して」


置かれた手の根本を辿っていくと、針金みたいにひょろ長い腕の先には、針金みたいにひょろ長い体躯の男の子がいた。確か都出とでくんといって、彼もまた羽畑さんとは仲良しのグループの一人だったはずだ。


「あ、ごめん。ちょっと待って」


言って、がさごそと持参したファイルからプリントを探り出す。管理能力の低い私は、特にプリントなんかは失くしたり、家に忘れたりすることが多い。だからもういっそのこと、全ての授業のものをまとめたファイルというのを作っていた。

結衣の考案したこの方法を取り始めてからというもの、課題を出せないで怒られたり、恥ずかしい思いをするのは回避できるようになった。唯一の欠点を挙げるとすれば、探すのが面倒ということくらい。今だって、中のものをひっくり返す勢いで懸命に捜索に当たっているのだけれど、一向に見つかる気配はない。


「ごめんね。すぐに見つけるから」


「いや、いいよぜんぜん。ゆっくり探して」


都出くんはそういう風に優しい言葉をかけてくれた。でも今の私にとって彼の親切極まりない言葉は逆効果で、焦る気持ちは倍加して、なんだかまたさらに見つかりにくくなってしまったような気さえした。ごめんね、ごめんね…と謝りながら、プリントを出せども出せども、目当ての化学のプリントは出てこない。


「あ」


焦ってプリントを引っ張り出しているうち、ファイルごと手で吹っ飛ばしてしまった。透明のファイルは年季の入った特別教室の白い机の上を滑って、勢いもそのままに飛び出していく。クジャクが色彩豊かな羽を広げるのとは好対照に、何の感慨も与えやしない白色のプリントの束が、床の上にぶちまけられて散らばった。


「おお…大丈夫?」 


言って、都出くんを含めた周りにいた数人の子達が駆け寄って、プリントを拾ってくれた。


「ああ、ごめんね、ありがとう」


慌てて席を立って、一番遠くの方に飛んで行ったのを拾っていくうち、新品そのものの状態をそのまま保っているみたいに、きれいに漂白されたソックスの覗く足元に辿り着いた。私の高校は全生徒、安っぽい濃い緑色をしたサンダルに名前を書いて履くのが通例とされているから、その抜かりのない清潔さをまざまざと観察することができた。名前のところには、細いけどかすれてはいないくらいの、ほどよい力強さの筆致で、羽畑千代と逆さ向きに書いてある。


はばたちよ?


「これじゃない?」


頭の上から呼びかけられて、おずおずと仰ぎ見れば、そこには私の不格好な字で計算式の書かれたプリントを手に、にこりと微笑を浮かべた羽畑さんがいた。


「ああ…ありがとう」


こわごわと、彼女からプリントを受け取る。まずいな。表情筋が自然と持ち上がってしまう。羽畑さんから見れば、妙ににやにやしているヤツという不審な印象を持たれてしまうに違いない。深呼吸しよう、深呼吸。すーはーすー。


「梶本さんかぁ。やっと名前わかった」


「え?」


「いやね、理系って女子少ないじゃん。それで梶本さんとはずっと仲良くなりたいなって思ってたんだけど、なんとなーく、きっかけがなくって困ってたの。とりあえず名前知れてよかった。第一歩だ」


ふふふと無邪気に笑みを零してみせる羽畑さん。まずいなこれは、ほんとうに。急速に顔の方へと熱が集まっていくのを感じる。


『わたしもおんなじこと思ってた』


その一言がどうしても言いたくて、伝えたかったけれど、喉の奥がきゅっと縮こまってしまって、口はぱくぱくと意味のない開閉を繰り返すだけだった。


「あ、私は羽畑千代っていいます。化学とかあんまり得意じゃないから、困ってたら助けてほしいな」


それだけ言って、彼女はぱたぱたと元いた席に駆けていった。揺れる黒髪を見つめて、それがただの一色でしかないのに、色鮮やかなステンドグラスみたいな羽をした、蝶のひらひら飛んでいる姿を思った。


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