27話 討伐
顔中青痣だらけでもなお、鵜野剛士は拳を握りしめ走り出した。狙いは井頭重斗。
「精励恪勤ッ! 日々の鍛錬で鍛え上げられた俺を、倒せるもんなら倒してみろ!」
「ヒッヒッヒ、馬鹿めそれはこっちのセリフだ! 俺を一発でも殴ってみろ、攻撃してみろ! 俺っちとお前の評判が入れ替わるんだぞ。想像してみろ妄想してみろ空想してみろ馬鹿ちゃんがッ! それはすなわちお前の敗北、俺っちの勝利ってことだ! 俺っちはお前の評判を持ってこの施設から脱走させてもらう! お前は俺っちが溜めに溜め込んだネガティブ評判を受け取って代わりに死ね! 自覚しているんだよ。今の俺っちは死を望まれていることぐらい。いいや、死相応の罰を望まれていることくらいさぁ。だってそうだろう、みんなを騙して背伸びして、挙句の果てには妖まで連れ込んだんだからなァ。ヒッヒッヒ、それがどうした何も怖くなぁい。俺っちは俺っちの信じる、俺っちが幸せになるための道を選んだに過ぎない。この選択に恥じなんか無い! ただただお前が妬ましかっただけだァァァァァ!」
「うむ、やっと俺に本心を打ち明けてくれたな。嬉しいよ剛士」
井頭先輩は鵜野の拳を薙刀で軽く受け流しつつ微笑む。
「俺はお前を攻撃しない。俺の特技を教えてやろう、剛士。俺の特技は、防御だ。あの鬼の小林との戦闘訓練で、俺は三分間攻撃を耐えきったという逸話を持つ男だからな」
「ちぃ、ならば、ならば作戦変更。俺っちは全力で逃げる。後は頼んだぞ無懼面影ェ!」
「残念だがそうはさせない!」
井頭先輩は鵜野の逃走を見るや否や、薙刀の振り方を改めた。まるで叩き切るかのように、刃を勢いよく叩きつける。その姿を見て、慌てて白石が止めに入る。
「井頭先輩! 攻撃はダメです!」
「精励恪勤ッ! 案ずるより産むが易し!」
白石の言葉を無視して、井頭先輩は刃を鵜野へ振り下ろす。
タンタァァン――。
音は二度鳴った。
「痛ってぇぇぇぇえぇ!」
「見ろ、これで問題ないはずだ。一度に二撃。これでお前の戒律は発動していないのと同じ」
紙剣の持つ攻撃力は大したことないはずだ。でも、一度に同じ個所を二度も攻撃されれば流石に痛みもすさまじいことだろう。
「馬鹿ちゃんが……、何をやってるんだ無懼面影の馬鹿ちゃんがッ! さっさとそいつらを殺して引き上げるぞ! 契約しただろう!」
なんて言ってるが、無懼面影を自由にしてやるほど俺も甘くない。俺の鉤爪と、小林教官の直刀で、妖の動きを制限し続ける。殴って殴って殴り続けるのだ。紙剣の特性上相手を斬ることは叶わない。それでも、連続攻撃を浴びせている間は妖も防御に注力せざるを得ない。また、碧斗の援護射撃も完璧だ。妖が戒律を使おうとお面を取りだした瞬間、的確にそこを狙撃する。もう二度と俺たちの警戒心を解かせたりなんかしない!
倒せる、このまま押し切れば、風見さんが駆けつけて、戦闘用の形代でこいつを殺せる。
「ウァァァァァァァァァァァッ!」
突然、無懼面影が叫んだ。四つある顔が同時に叫び声を上げ、耳をつんざく。唐突の咆哮に、俺は思わず両手で耳を塞いだ。
「うろたえるなクソ素人が!」
小林教官の声に、俺はハッとする。耳を塞いでいる場合じゃない。まだ風見さんが到着していないんだ。
「やぁ、待たせて悪いねぇ」
突然、無懼面影の声がピタリと止まった。いや、動きから察するに、まだ叫び続けている様子だ。しかし、声は聞こえない。
「静寂の封印、私の持つ青き形代は、任意の音を奪うことができる。さて、騒がしい子が二人いるようだが、モヒカン君とはまだお話しするかね?」
相変わらず、白髪交じりの髪をポマードで整えているにもかかわらず、忙しいのか乱れている。優しげに笑う瞳には皴が刻まれていて、薄い瞳が隙間から覗いている。その男こそ、秘匿学校学生寮舎監、風見和久であった。
「無懼面影かぁ、久しぶりに見たなぁ。いじめから生まれる妖で、いじめられっ子と契約を迫る。契約すればお面を一つ貰え、そのお面を装着している間、周囲の人間から警戒心を奪うことができるようになる代物。これのお陰でいじめから解放されるが、代償としてお面を外した生活ができなくなる。それはお面が外せなくなるという意味ではなく、お面を外した時にまたいじめられるのが怖いから。しかし、勇気を出してお面を外せば、契約が解除。外したお面から無懼面影が現れ、周囲にいる人間を皆殺しにする。そういう妖だ」
風見さんは腰から白銀に輝く直刀を抜くと、それを小林亜夜に投げてよこした。そうして自分も、短刀を抜く。
「牧志時光くん、後は大人に任せなさい」
そこからは一瞬だった。小林教官が直刀で二撃。無懼面影から両腕を切り落とす。その背後に無音で迫った風見さんが、喉元をナイフで掻き切った。そんな様子に一切脇目も振らず、井頭先輩は薙刀を振るう。
「さて、剛士。これからどうするつもりだ。お前の契約していた妖はじきに死ぬ!」
「どうするもこうするもねぇよ! 俺は、俺はお前が羨ましかった!」
「話を聞いてやろう」
腹部に二撃。タタァンッと軽快な音が鳴り、鵜野がその場に膝をついた。そんな彼に薙刀の刃先を向けながら、井頭先輩は微笑んだ。
「どうしてお前は、俺を恨んだんだ?」
「そんなの決まってるだろう! 成績優秀スポーツ万能。それがお前、井頭重斗だった。学校の先生どころか、クラスメイト、近隣住民、挙句の果てには俺の両親でさえお前を褒めた。俺っちのことを貶しながらだぞ! うちの息子に比べて、お宅の重斗君は凄いねぇ……、そんなことを言われながら育った俺っちの気持が、お前には分かるか?」
「すまん、分からん」
「だろうな。だから俺っちはお前が憎かった。お前の評判を落としてやろうと必死だったのに、お前は周りの評判なんか気にも留めず平々凡々自由気ままに人生を謳歌しやがる。それが俺っちは許せなかった。俺っちばっかり苦しんで、お前は何も傷つかない。そんなの理不尽だろう」
「馬鹿野郎!」
再び二撃、鵜野の両頬に紙剣が叩きつけられ音が鳴った。
「そんなのお前の考え方の問題だ。人のせいにするな!」
「そういう正論ぶったところがムカつくって言ってんだ! なんなんだお前は、正論星人か!」
「地球人だ」
「正論マシーンか!」
「生きた人間だ!」
「セイロンティーか!」
「緑茶の方が好きだ!」
「だから人の話もちゃんと聞かずに真面目ぶって返事する、そういうところがムカつくって言ってんだよ! ウワアアアアアアアアアアアア! この馬鹿ちゃんがァァァァァァァァ!」
鵜野は泣き叫ぶようにそう言い放った。
彼が叫び終えると、一瞬の静寂が訪れる。肩で息をする鵜野に、井頭はそっと歩み寄って、隣に座った。
「お前が俺のことを恨む気持ちは分かった。それで、お前は妖と契約して、人を殺したのか」
「……」
鵜野は答えない。だが、首を小さく横に振った。
「騙されたんだろう、無懼面影に」
「……俺っちのこと、知ったかぶりするなよ」
鵜野の両目からは大粒の涙が零れ落ちる。もう、彼に抵抗する意思は無い様子だった。しばらくそのまま、時間だけが流れる。少しして、鵜野が薄く口を開いた。
「俺っちは、ただ助かるならって思ったんだ。あの日、俺っちに無懼面影を紹介してくださった方が仰ったんだ。こいつと契約すれば、もういじめられなくて済むって。だから俺っちは、中学生、高校生とお面を被って過ごしてきた。友達もできた。毎日が楽しかった。両親ですら、俺っちのことを認めてくれるようになった。嬉しかった、幸せだった、最高だった。でも、俺っち馬鹿だからさ。願っちまったんだよな。お面を外しても優しくしてほしいって……」
「それで、あの事件か」
「そ、授業参観当日に、俺っちは初めてお面を外した。まさか、俺っちの両親や、クラスメイトが殺されるだなんて、思いもしていなかった……」
「それから俺たちは風見さんに拾われただろう。どうしてまた契約なんかしようと思ったんだ」
「あの日、俺っちは怖くなったんだ。また俺っちのせいにされる、また批判される、また惨めな思いをする。それが嫌だった。だから、血だらけだった無懼面影と、再契約したんだ……」
そこまで話を聞いてから、初めて風見さんが口を開いた。
「なるほど、校内で無懼面影が発生した理由がようやく分かったよ。君は入学当初からすでに契約済みだったというわけか。つまり、君を入学させた時点で妖も校内に侵入できると。なるほどねぇ。さて。とりあえず、事情はおおよそ分かった。校内で生徒に対し戒律を使ったこと、並びに妖の侵入を手引きしたこと、これは立派な校則違反だ。君を厳罰に処す必要があるねぇ……」
「待ってください風見さん。彼は悪気があったわけではありません。どうか温情を」
「この世界に温情などない! あるのは生か死か、それだけだ。死人が出たかもしれないんだぞ!」
目をカッと見開き、怒りをあらわにする風見さんに、俺たちは思わずギョッとした。
「ほら見ろ、俺っちのことを殺す気だ。結局俺っちは死ぬしかないんだ。ならばお前ら全員巻き添えだ。重斗、こうなったのも全部お前のせいだ。お前が俺っちを不幸にしたツケがこれだ。悔いて死ね! 俺っちのために死ね! 誰もお前らの懺悔は聞かないけどなァ!」
「何を言っているんだ剛士、俺はお前のことを想って」
「うるさいうるさいうるさい。俺っちはお前に温情なんかかけてほしくないんだよ! 俺っちはただお前を超えたかった。それだけだ。それができないと分かったから、いや、俺っちの目標を易々と超えた男が現れやがったから、だから俺っちはもう、どうでもよくなったんだ!」
鵜野剛士は俺のことをギロリ睨んだ。
「牧志時光、俺っちはお前に対して別に恨みがあるわけじゃねぇよ。ただ、ムカつくんだ、俺っちに興味すら向かないお前のことが、お前らのことが、みんなみんな、ムカつくんだ!」
彼は手を上げて叫ぶ。
「無懼面影、俺っちを殴れ! そして俺っちにお前の評判を寄こせ! ってか早くお面付けろやボンクラァ! 俺っちはここを脱出して一からやり直すんだからよォ! 早くしろや!」
聞くに堪えない鵜野の言葉にかぶせる形で、風見さんが声を張り上げた。
「罪を犯した咎人は死刑。それがこの国の法律だ。人を死に至らしめるだけのことをやった鵜野君には、ここで死んでもらう必要があ――」
「風見さん危ない!」
白石の声で、俺たちはハッとした、慌てて風見さんが回避する。その背後から、両腕を失い喉を切り裂かれたはずの無懼面影が現れた。
前と左右の顔にはお面がされていて、ちょうど右側のお面と目が合う。なんだ、それだけのことじゃないか。何をびっくりしているんだか。無懼面影の背後に立つ白石が、震える手で俺を指さしている。
「時光くん、今すぐ逃げて!」
いやいや、逃げる必要もないだろう。ただ無懼面影が俺を蹴ろうとしているだけじゃないか――。
ブシャァァァァァァッ――。
目の前で、鮮血が飛び散った。無懼面影が鋭い爪を生やす右足で、胴体を蹴り破ったからだ。俺のではない。俺と無懼面影のちょうど間に、鵜野剛士が割って入ったのだ。
「クソッタレが、俺っちを殴れって言っただろうが。でもこれで、これでようやく俺っちの評判は入れ替わったよなぁ。もうこれで、誰からも不当な評価受けずに済むかな……、どう思うよ、井頭重斗」
目の前で、瞳孔が開き、口から血を吐く鵜野剛士。邪魔だなぁ。そんなことより、俺の評判を奪った上に暴れまわっているこの妖、許せねぇ。
「死ねやバケモノがァァァ!」
俺は鵜野の体を除けると、全力で無懼面影めがけて蹴りを入れた。今までに感じたことのない手ごたえ。まるで発泡スチロールをけ破ったかのような感触。それと同時に、無懼面影の喉にある切り傷が裂け、頭だけが吹き飛んでいった。
その日、俺は人生で二体目となる、妖の討伐に成功したのだった。
遠く離れた場所で俺たちのことを見ていた白石だけが、小さくつぶやいた。
「鵜野先輩、その傷はもう……治せません」
誰のことを話しているんだろう。傷を負った人間なんて、どこにもいないのに。
最後に足元から、小さく声が聞こえた気がした。
「畜生、誰も俺っちを、正しく見ちゃくれねぇじゃんかよ……」
辺りを見渡してみたが、気になる人物は特に見当たらなかった。ただ眼前に転がる妖の死体が、やけに注目を引くだけだ。
咎人狩のお仕事です。 野々村鴉蚣 @akou_nonomura
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