21話 初恋の自覚

 結局俺は、彼女に言われるがまま服を脱ぎ、ベッドの上に横たわった。仰向けの状態で、天井をまじまじと眺める。呼吸が荒くなるのを自覚し、意識的に小さく息を吸っては吐くを繰り返してみる。脳に酸素が行き渡らないせいか、くらくらしてきた。


 そっと隣を見ると、白石さんが微笑んでいる姿が見える。その向こう側では、両目を自分の手で押さえながらベッドに正座する青柳碧斗の姿が。いや、よく見れば指の隙間からこちらの様子を伺っているではないか。チラ見するくらいなら出て行けよ。とはもちろん言えず、俺はガチガチに緊張したのを隠すように深呼吸した。


「うん、リラックスしてね? 鼻でゆっくり呼吸して」


 白石さんは、そう言うとそっと俺の上半身に触れる。ひんやりとした彼女の指先が、俺の胸をそっと撫でる。


「……ッ」


 思わず声が出そうになるが我慢。くすぐったい。それでいて、滅茶苦茶恥ずかしい。彼女はそんな俺の気持なんかまったく気にしない様子で、そっと右の胸板に五本の指先を押し付けた。柔らかい指先の感触が、皮膚から伝わり脳を刺激する。なんだか背中がむずがゆくなって、俺はギュッと目を閉じた。


「大丈夫大丈夫、緊張しないで。私に全部任せてくれたらそれでいいから」


 白石さんの甘い声が耳元から聞こえる。息がかかり、首筋がゾクっとした。心臓の音が強くなるのを感じる。きっと、指先越しに俺の鼓動が聞かれているかもしれない。


「やっぱり、今日たくさん戦ったから、胸筋がパンパンだよ」


 耳元で囁く彼女の声は、優しく吐息交じり。それがますます俺の内なる時光くんを欲情させる。


 いいや、落ち着け。冷静になれ……。って無理無理、冷静にはなれない。だってこれ、実質誘われてるようなもんじゃん。え、俺どうしたらいいの? ってかこういうのってまずキスからじゃないんすか……? お、俺はえっと、どうしたら……。


「見つけた。ここの筋肉、明日はきっと筋肉痛だね」


 白石さんはそう言うと、急に俺の胸をギュッと強く押した。


「痛ッてぇぇぇえぇ!」


 体の内側から鋭い痛みが走り、右ひじにかけてジーンと痺れる。


「痛い?」


「痛い……」


「大丈夫、私に任せてね」


 彼女はそう言うと、俺の右胸に手を当てたま大きく呼吸した。それから小さくつぶやく。


吸収指端ドレインタッチ


 直後、全身が軽くなっていくのが分かった。まるで彼女の指先から不思議な薬でも注入されているみたいに、疲れや痛みがどんどん引いていく。驚きのあまり目を開くと、そこにはふわりとした髪を左手でかき分け、優しく微笑む美少女の姿があった。


「痛く、ない?」


「……」


「時光くん?」


「あ、うん。痛くない。すごく、心地いい……」


 きっと今頃、俺の顔は真っ赤に染まっていることだろう。もう、彼女から目を離すことができなかった。彼女はそんな俺に微笑みながら、指先を優しく押し付け続けてくれる。全身の疲れが、痛みが、みるみる吹き飛んでいく。きっと、これが彼女の戒律なのだろう。


「かゆいところは無いですか?」


「いや、滅茶苦茶気持ちいいです」


「走りすぎて足もきっと疲れてるよね。そこも癒させて?」


 俺は彼女に促されるまま、ズボンを脱いで下着一枚になる。その様子を眺めていた碧斗が「ひゃぁ」と小さく吠えた。


「やっぱりガチガチ」


 彼女は優しく俺の足を揉みほぐしながら、戒律を使う。回復系の戒律なのだろう。胸筋同様、太ももの筋肉も瞬く間に痛みが引いていく。


「どうして、急にこんなことを……?」


 俺たちの住んでいる秘匿学校学生寮は、男子寮と女子寮で分けられている。そして基本的に異性の寮への侵入はご法度とされている。もしばれたら、舎監の風見さんからこってり絞られるらしい。


「小林教官を倒してくれたのが、嬉しくて……」


「嬉しい?」


 俺が首を捻ると、彼女は満面の笑みで頷いた。


「私も転入初日に同じことされたから!」


「え?」


「それ、僕も見てたよ。あと、僕もやられたぁ。あの時のセリフ、今でも思い出せるよ」


 急に碧斗が割って入る。彼はベッドの上に立ちあがると、枕を剣のように振りかざして声を張り上げた。


「ゴミだ、カスだ、クソ雑魚だ! お前の本気はこんなものか? だって」


「私も、弱い女のくせによく戦おうと思ったな! なんて言われた」


 過去を思い返したのか、碧斗が身震いし、白石さんはニッと笑うと付け加える。


「マジでムカつくよね、あの人」


 彼女の言葉に、後ろで碧斗が首を激しく振って肯定している。


「もしかして、みんな鬼の小林に……?」


「うん、僕もう二度と訓練行きたくないって思ったもん」


「酷いよね」


 二人して首を縦に振る。なるほど、鬼の小林がどうして鬼と恐れられているのか分かった気がする。


「でも、集中的に生徒をいたぶるようになったのはつい最近のことらしいよ」


 碧斗の言葉に、白石が首を傾げた。


「そうなの?」


「そ、どうやら、片桐さんに連れてこられた人だけを狙ってるみたい」


 なんだよそれ、最低だな。


「ほんと、最低だよね」


 碧斗が頷く。思った言葉が口から零れていたらしい。


 結局その日は、白石さんに筋肉痛をすべて癒してもらった。碧斗が途中、僕も回復してなんておねだりしていたが断られていた様子だ。真面目に特訓していない人を直すつもりはないってハッキリ言われていた。


 帰りは、他の生徒に見つからないよう必死だった。彼女の顔を枕カバーで隠し、俺のジャージを着せて歩いた。道中先輩に見つかったが、悪ふざけしているふりをして事なきを得た。目隠ししてどこに連れていくか当てるゲームをしているんだと説明すれば、すぐに納得してくれたのでよかった。


 彼女を女子寮に無事送り届けると、白石さんは大きく手を振って微笑んだ。ふわふわと髪が揺れ、こっちまで甘い香りが漂ってくる気がした。彼女の触れていた自分の胸にそっと手を重ね、俺は確信する。


 あぁ、これが恋ってやつなのか。


 彼女の背中が小さくなるまで見送ってから、俺と碧斗は踵を返した。ふとした瞬間に訪れた些細な幸せに、胸がいっぱいだ。白石茉莉花は俺と同じクラス。青柳碧斗も同じクラス。俺、秘匿学校に転校してよかったかもしれない。初めて友達と呼べる者ができた。初めて恋という感覚を覚えた。それは、今までの俺の人生に存在していなかったピースで、俺にとってかけがえのない宝物になった。そんな気がした。


「鬼の小林と片桐さんの関係、調べようぜ」


 俺は帰路の途中そんなことを口にした。


「え、そんな急にどうして?」


「決まってるだろ、俺たちがわざわざ公開処刑された理由を探るためだよ」


「ろくなことにならない気がするけどなぁ……」


「もうすでにろくな目に合ってないからいいんだよ」


「調べてどうするのさ」


「そりゃもう、風見さんに言いつけてやんだよ。へっへっへ、よくも言いつけやがってって怒りに歪む教官の顔が目に浮かぶぜ」


「うわぁ、チクリ魔だ」


「るせぇ、やられたらとことんやり返すのが筋ってもんだろ。俺らのことを、片桐さん関連で目の敵にしてんだったら、教師失格じゃねえか」


 俺の言葉に、碧斗が小さく笑う。その通りだね、教師失格だと思うよ。なんて彼の返事を聞きながら、ふと顔を上げた。男子寮入口が見えるそこに、一人男が立っていた。


「よぉ、レジェンドくん」


 俺のことをレジェンドと呼んだ男は、トサカのように真っ赤に染まったモヒカンを両手で整えてニヤリと笑う。


「君は今日鬼の小林を倒したレジェンドくんで間違いないよなァ? そんな君に大事な話があるんだよォ」


 男はそう言うと、両手をそっと前に向けて俺たちを制するポーズを取った。


「逃げちゃ駄目だぜレジェンド君。お前にはとってもとっても大切な話があるんだからよォ?」


「うるせぇよ。お前誰だよ」


「俺っち? 俺っちは秘匿高校三年の鵜野剛士うのたけし。レジェンド君は高校一年生だっけ?」


「レジェンドって呼び方やめろよ。大したことやってねぇし」


「質問に返事してほしいなぁ、レジェンドくん」


「だからその呼び方やめろって。高校一年生だよ。だからどうした先輩?」


 自然と両手に拳を握る。鵜野は細い目をさらに補足させてニヤリとしたまま、両掌をこっちに向けて落ち着くようジェスチャーする。


「そんなカッカしないでくれよ。なぁ? 仲良くしようぜ後輩」


 俺の身長は一六二センチ。碧斗は一六九センチある。そんな俺たちよりはるかに大きい男は、腰を低くしたまま続けた。おそらく一八〇センチはあるだろう。


「えっと、レジェンドくんが嫌なら、何て呼べばいいんだい?」


「俺は時光っていうんで。牧志時光。好きなように呼んでくだせぇっす」


「じゃあレジェンドくんがいいねぇ。そっちの天然パーマ君は何て呼ぼうか?」


 今度のターゲットは碧斗だ。俺の隣であたふたしながら、彼は答えた。


「ぼ、僕は青柳碧斗です。碧斗って読んでくれたらうれしいです、鵜野先輩」


「分かったよォ天然パーマ君。あ、レジェンドくんも髪型で呼んであげようか。ツンツンヘアーくんなんてどう?」


「センス悪いっすね」


「ははは、辛らつだなァ。そんなに辛辣なのはもしかしてあれかな? 鬼の小林を倒したから余裕ぶってるのかな? それともあれかな? 俺っちのことはどうでもいいって思ってるのかな?」


「どうでもいいってか、邪魔っすね。これから俺たち部屋に戻りたいんで。あと、まだ飯食ってないんで」


「そうかそうか。今日のご飯はハンバーグだったよ。個数無制限。売り切れ御免ってタイプ。俺っちはすでに四つも食べてきたんだ。おいしかったなァ。最初は塩でペロリ。次にケチャップをかけてパクリ。その次はマヨネーズだよね。ただのマヨネーズじゃだめだよ、マスタードを添えるのさ。マヨネーズの酸味とマスタードの程よい刺激が相性抜群でねぇ、俺っち幸せ。天国ってここかぁなんて思っちゃったよね。そして最後はもちろんデミグラスソース。これで完璧花丸印。最初は通な食べ方を。最後はオーソドックスな食べ方を。これが料理の基本だと、俺っちは思ってるんだ。でもねぇ、俺っち君たちともう少し話をしていたんだよねぇ。ってのも、確認しなきゃいけないことがあるからさぁ」


近所のチワワが吠えている時よりキャンキャンとやかましい男だ。ハンバーグソムリエにでもなったつもりなのだろうか。無意味な言葉を並べたてた男は、そっと手のひらを口元に当てて、声を小さくこう言った。


「俺っち見ちゃったんだよねぇ。さっき、女の子を男子寮に連れ込んでたっしょ?」

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