20話 ピンク

「うおおおおおおおおおお」

「すげぇぇぇぇぇぇぇぇ」

「レジェンドだ、あいつマジでレジェンドだよ!」

「とーきみつ! とーきみつ!」


 俺と小林教官との戦いを見ていた学生たちが、口々に俺の戦いを称える声を張り上げている。


 そんな中、俺は小林教官を見下ろした。小林亜夜は心ここにあらずといった様子で、ぶつぶつと何かつぶやいている様子だった。


「驚いた、私が組手で本気を出して負けたのは、初めてだ。私は確かに本気で戦った。そのつもりだった。そうか、隼人の選んだ今回の子は、なるほど。おもしろい」


「小林教官、大丈夫っすか?」


 顔を攻撃したことを、今になって反省している。父親に再三言われたもんだ。男という生き物はついつい喧嘩で手を出してしまうが、絶対女の子を殴っちゃダメだぞって。特に女の顔は命よりも大切なんだぞって。それなのに、思いっきり殴ってしまった。もし父に今の行動が見られていたら。きっと幻滅されたかもしれない。反省が胸の内を渦巻く。


 恐る恐る手を差し伸べると、俺の存在を思い出したのか彼女はパッとこちらを見上げた。


「触れるな。私は平気だ」


 攻撃が当たったせいだろうか、頬が赤くなっている。いくら紙剣が紙としての属性を持つとはいえ、当たり所が悪ければ怪我につながるはずだ。


「本当っすか? ちょっと顔が赤いような」


「気にするな。お前が気にするようなことじゃない。これはその、なんというか。あれだ。動き過ぎて代謝がよくなったからだ。怪我とかではない」


「そ、そうっすか」


 余程俺の手を借りるのが嫌らしい。彼女は必死に手足をバタつかせて俺から距離を取ると、ゆっくり立ちあがって一つ咳払いした。それから、赤くなった頬の傷を隠しながら、彼女は目を合わせようとせず、小さな声で呟くように言った。


「改めて、お前の勝ちだ牧志時光。そ、その……、お前のことを悪く言ったことは、すまなかった……」


「あ、はい」


 急にしおらしくなった彼女に驚きを隠せない俺。それを他所に、小林教官は更衣室の方へと歩き始めた。次第に小さくなる背中を目で追いながら、俺は右手を見つめる。白銀に煌めく三本の鉤爪が、俺の高ぶる表情を反射させていた。


 顔を上げると、もう小林教官の姿はなかった。胸の内から嬉しさが込み上げてくる。思わず叫び出しそうになった瞬間、背後から大きな声が聞こえた。


「ときみっちゃぁぁぁぁぁん! 鬼の小林に勝つなんて凄いよ!」


 振り返ると、そこには嬉しそうに手を振る青柳碧斗の姿があった。碧斗に微笑みを返し、手を振る。それが合図となったらしい。その場にいた訓練生全員が、一斉に称賛の声を投げかけてくれたのだ。


「そうだそうだ!」

「すごいぞ新入り!」

「歴代初じゃないか?」

「組手で鬼の小林倒した人なんて見たことないよ!」

「紙剣の特性をあそこまで引き出すとか、お前天才かよ!」


 知らない顔が一気に押し寄せてきて、俺の肩を叩いたり、髪の毛をワシワシと掻き回したり、各々のやり方で俺を称賛してくれる。初めてだった。成績優秀だった中学時代も、いじめを受ける前だった小学時代も、ここまで全員に褒められたことはない。嬉しさがどんどん込み上げて来て、幸せが溢れて止まらない。


「時光君、凄いよ!」


 白石茉莉花もいつの間にか傍に来ていて、嬉しそうに微笑んでくれる。


「本当にすごいよ。あのね、今からすっごい性格悪いこと言うけどね。ざまぁみろって思った。えへへ、時光くん流石だよ!」


 彼女はしたり顔で笑うと、親指を突き立てて微笑む。


「白石さんが応援してくれたおかげだよ」


 俺の言葉に、彼女はほんと? と驚いた表情を見せる。


「うん、白石さんの声、とっても元気づけられた」


「えへへ、私の応援が役に立ったならよかった」


 目を細めて笑う彼女に、思わず胸が高鳴る。そっと目を逸らして、教官の去って行った方を見つめた。彼女が返ってくる気配はない。俺は結局、この後どうすればいいんだろう。


「そういやときみっちゃんって、小林教官との組手終わった後は誰と組むの?」


 碧斗の問いかけに、思わず苦笑いを浮かべてしまった。


「俺もちょうど同じこと考えてた」


「ならさ、僕とやろうよ!」


「え、良いけど」


「よかった、僕とっても弱いから、もっと強くなりたいんだ。僕にも戦い方教えて。一本先取で、対戦お願いね!」


「俺に教えられることあんのかなぁ」


「ときみっちゃんと戦ったら、十分強くなれる気がするんだ」


 碧斗はニット帽の上からポリポリと頭をかいた。周囲から称賛の声が上がる。

「いいね青柳! 次の対戦相手はお前か!」


「レジェンド君をお前が倒せるのかぁ?」


「頑張って時光くーん」


 小林教官の居なくなった訓練場は、完全に平和だった。誰も咎める者が居ない。自由に打ち合いしてもいいというわけだ。それから俺は、次から次へと訪れる挑戦者を相手に戦うこととなった。初めて扱う右手の鉤爪。でも、どうやら本能レベルで俺に馴染んでいるらしい。青柳碧斗との一戦は物の数秒で俺の勝ち。それから多くの挑戦者を相手にしたが、俺が手を叩いた回数はたったの四回で済んだ。あとはやり直す必要もなく、俺の勝ち。


 その日、結局一日中小林教官は帰ってこなかった。俺たちは上級生の指示に従って、時間内に訓練を終わらせると、道具を片付けて部屋へと戻る。道中、碧斗が俺の腕に抱きついて来た。


「す、凄いよときみっちゃん。君ってこんなに戦闘センスが高かったの?」


「いや、俺も驚いてる。まさか俺にこんな才能があったなんて」


「僕はともかくとして、今日戦った先輩たちはみんな戦闘センスずば抜けて高いんだよ。特に井頭先輩なんか、薙刀で三分間も小林教官の攻撃を防いだんだから」


「でも、結局教官に負けたんだろ?」


「そうなんだよねぇ、実は小林教官が配属されてから、一度も倒した人は居ないんだって」


「俺、マジで初めてだったの?」


「そうだよ。とっても凄いんだから」


 友人にそこまでべた褒めされ続けると、流石に照れ臭くなってきた。俺に挑戦する学生たちと拳を交えている間は、勝利を重ねるたびに鼻を伸ばしていた俺。しかし、いざ冷静になってみると、なかなか大げさな態度をとっていた気もする。


「何度も立ち向かってくる井頭先輩を連続で倒した後に放った一言、本当にかっこよかったなぁ。目かっぽじってよく見てろ、これが最強の男の姿だァ! でしょぉ、くぅぅ、痺れる!」


「馬鹿にしてんのか碧斗くん?」


「へ? なんで?」


 悪びれる様子もなく、彼はきょとんと眼を丸くした。


「別にいいけどさ」


 笑いながら、俺は自室のドアを開けた。するとそこには、ふわりとした栗色の髪が。


「……え?」


 三つ編みにされた甘い香りのする紙が、くるりと回って、背を向けていた人物の顔が見える。大きなブラウンの瞳、真っ白な肌。柔らかそうな頬、淡い唇。白石茉莉花がそこには立っていた。


「あ、おかえり時光君。待ってたよ」


「ま、待ってたって……」


 俺は慌ててドアに書かれた標識を確認する。ちゃんとそこには『牧志・青柳』と書かれていた。俺と碧斗の二人部屋であることは間違いない。でも、どうしてこんなところに彼女が。


「ほら、時光君入って入って」


 彼女は俺のベッドを右手で指し示しながら、左手で手招きする。何が何だか分からないまま、そっとベッドに目をやると、どこから集めてきたのか、赤や桃色の花が俺のベッドを埋め尽くしていた。


「な、なにこれ……」


 明らかに異常な風景。というか、ちょっとやらしい雰囲気。居心地が悪くなってそっと隣に目を向けると、碧斗は両手で自分の目を覆い隠していた。


「ぼ、僕は何も見てないから。えっと、お邪魔しないように談話室行っとくからッ!」


「待て待て待て待て、ちょっと待て碧斗くぅん、俺別にこんなサービス注文した覚えないから」


「き、ききき、気を使わなくていいよときみっちゃん。ぼ、僕は理解ある友人さ」


「おいこら逃げようとするな」


「ぼ、僕のことは本当に気にしなくていいから。たくさん楽しんで。ね、ねっ!」


 必死にその場から逃げようとする碧斗を捕まえながら、俺は慌てて白石に問う。


「お前なんでここにいるんだよ! ここ男子寮だぞ!」


「え? 駄目だったかな?」


 きょとんとした表情で、彼女は何も悪びれる様子無く言った。


「ちゃんと舎監には見つからないように忍び込んだから大丈夫だよ」


「違う、違う違う。ごめん白石さん。全然伝わってないね。バレなきゃいいって話じゃないんだよ」


「大丈夫大丈夫、バレなきゃ平気だから」


「話聞いてる?」


「聞いてる聞いてる。ほら、早く部屋に入って。他の人から怪しまれちゃうよ?」


 彼女は優しくそっと手招きすると、いたずらっぽく舌をべっと出して笑った。


「怒られたら時光君のせいね!」


「なんでだよ!」


 彼女は俺の突っ込みをサラリと躱して、ベッドの横に立つと、両手でそこに寝るようジェスチャーする。


「はい、お客様こちらへどうぞー」


「どういう状況なんだよ!」


「早くドア閉めて? 外から見られちゃうよ?」


 これはなんだ? どういうことなんだ? 断っていいやつなのか? いや、今断ったとしても、ここから彼女はどうやって誰にもバレずに女子寮へ戻るつもりなんだ。ってか、なんで俺はほとんど初対面みたいな子に誘われているんだ? 出会ったのは一週間前だし、まともに会話したのは今日が初めてじゃないか! 助けを求めようと、隣にいる碧斗に視線を移した。彼と目が合う。彼は小さく頷くと、まるで俺の気持は分かっているよと言いたげに微笑んだ。


「ほら、ときみっちゃん行きなよ。僕のことなんか気にしなくていいからさ」


「気にするだろ!どういう神経してたら男友達の前でいかがわしいことできる奴に育つのか知りてぇよ! 」


「そんなの僕が知りたいよ! ときみっちゃん大胆なんだなぁって思っちゃってるよ!」


「だから違うって、そういうサービスを注文した記憶はないんだって!」


 俺たちの会話に、白石はグッと顔を近づけ割って入る。


「ごちゃごちゃうるさい。さっさということ聞く!」


 うぐ、強く言われてしまった手前、もうこれ以上誤魔化しは効きそうにない。俺はドアを閉めると靴を脱ぎ、自分の部屋へと足を踏み入れた。どう見てもいかがわしい空間。ご丁寧に勉強机の上に置かれた卓上証明にはピンク色のセロハンが巻かれている。ベッドだけでなく白石さんからも甘い香りが漂っていた。


「じゃ、時光君、ベッドに横になって」


「わかった……」


「服は脱いでね」


「はい?」


 お父さん、お母さん。どうやら俺は、ここで大人になるみたいです。

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