22話 略奪

「何の話っすか?」


「とぼけてもだめだよレジェンドくん。俺っち、ちゃんと見ちゃったんだから。ジャージでおっぱい隠せるとでも思ったのかなぁ?」


「……ッ」


 何も言い返せない。見られてしまったものは仕方ない。


「で、鵜野先輩は何が望みなんすか」


「望み? あはは、やめてよ、よしてよ、勘ぐらないでよ。俺っち別に君を揺すろうってわけじゃねえんだからさぁ」


 男はそう言うと、ニヤニヤ顔のままゆっくりと俺たちに近づいてきて囁く。


「あの子可愛かったねぇ。俺っちに紹介してくんねぇかなぁ? ただそれだけでいいんだ」


「自分で本人に話しかけたらいいじゃないっすか」


「違う違う、俺っちは君から紹介されたいのさ。男子寮に侵入しようとしてたとこ、見られちゃったんだって。レジェンドくんが直接言ってほしいのさ」


 男はヒッヒッヒと引き笑いすると、俺の頭に手を乗せた。


「俺っち羨ましいよ。妬ましいよ。なんせ転入してたった一週間なのに、もう鬼の小林を倒して、ガールフレンドまで作っちゃうんだもんねぇ。羨ましすぎて本当に、腹が立っちまってさぁ。だから俺っちにもお裾分けしてほしいわけよ。彼女を紹介してくんねぇかなぁ? 俺っちにちょっとだけ貸してくんねぇかなぁ? じゃねえと、君たちの校則違反、バラしちゃうよォ?」


 男の厭らしい笑顔が、俺の網膜にハッキリと張り付く。にちゃぁっと粘るような笑みが、まるで一か月間放置した生ゴミみたいに嫌悪感を掻き立ててくる。触れられている頭から、ゾワワワッと足先にかけて鳥肌が立った。気持ちが悪い。


「放せよ」


「嫌だよ、レジェンドくんが首を縦に振ってくれるまで俺っちここから動かないよ? それとも、暴力で解決するかい? 俺っちのこと殴って退かすかい?」


「いやっす、お前に白石さんを紹介する気は全くないんで。あと、お前気持ち悪いから触りたくないし」


「ちぇ、つれないなぁ……、じゃあ、バラしちゃっていいんだ? あの子が舎監からどんなお仕置きされるかも知らないけど、そうなってもいいんだ? レジェンドくん悪い子だなァ。ガールフレンドを見捨てっちゃうんだァ? へぇ」


 細い目をますます細くして、彼はにんまり笑う。その顔面がやけに俺の神経を逆撫でする。細くゆがんだ瞳と目が合っただけで、苛立ちが湧き立ってきた。


「いい加減にしろよ不細工モヒカン野郎。俺の頭からその汚ねぇ手を除けろ。あと、白石さんに二度とかかわるな。殺すぞ」


「は? 急に怖いなぁ。どうしたどうした。それが鬼の小林を倒した男の余裕ってやつ? 急に口悪くなるのはいけないことだぞ? 君、信用を失うよ?」


「最初っから信用されないような言動しかできねぇ先輩にはわかんないだろうけどよ、俺は俺の守りたいもののためにキレてんだ。悪いのは全部お前。反省すんのもお前。俺も白石さんもなんも悪くない。分かったか」


「わっかんないなァ。そんな態度取ってていいの? 俺っち、レジェンドくんの弱み握ってる状況なんですけどぉ?」


「弱み弱みって、そうやって人の弱みに付け込んでからじゃねえと女の子に話しかけることすらできねぇのマジでキショイってんだよ」


「おぉ、怖い怖い。そんな目で睨むなよ。お前どうせ鬼の小林にも適当に付け入って勝たせてもらったんだろぉ? さっき頭触って分かったけどよォ、筋肉たいしたことねぇじゃん」


「は? 試してみるか?」


 拳を握るも、男は余裕の表情を浮かべたままだ。


「殴れるもんなら殴ってみな? ほら、ここだよここ。ここに俺っちの左頬がある。鬼の小林と同じところ。殴れる? 無理でしょ。どうせ八百長なんでしょぉ? かぁ、だっさいねぇ、情けないねぇ。しょうもない男だよ」


「うるせぇなぁ! 八百長なんかしてないって」


「どうだろうねぇ、白石ちゃんだっけ? あの子を自分の部屋に連れ込むためにきったない作戦練ったんでしょう? ってかあの子もあの子だよねぇ。強い男にすんなり股開いちゃっ――ギャフンッ!」


 思わず手が出てしまった。いや、構わないか。俺を挑発したこいつが悪い。それにしても、この男弱すぎる。俺の拳を見ても一切回避しようとしなかった。違和感。今までいじめられていた経験から俺は知っている。普通は不意打ちだったとしても反射的に仰け反ったりするものだ。それすらできないなんて、程度が知れている。こんな雑魚に揺すられていたのかと思うと、ますます腹が立った。


 鵜野剛士は俺に殴られた鼻頭を両手で押さえつつ、涙目でこっちを見つめ、したり顔で笑う。


「ヒッヒッヒ! 殴ったな、ついに俺っちのことを殴ったな!」


「うるせぇ、ごちゃごちゃ喚くなモヒカン。お前が俺の弱みを掴んだつもりなら、こうしてやる。お前が泣いて謝るまで何度も殴ってやる。覚悟しろ」


 拳を振り上げた俺を、慌てて碧斗が止めに来た。


「ちょ、ときみっちゃん。ダメだって。そんなに殴ったらダメだって!」


「うるせぇ碧斗、黙ってろ」


「駄目だよ!」


「駄目じゃねぇ。俺が決めることだ。こいつは俺だけじゃなく白石さんを狙ってんだぞ。今の内につぶしておいた方が……」


「何言ってるのときみっちゃん。鵜野先輩と白石さんってお似合いじゃん! キレて手を出すなんて駄目だよ!」


 ……は? 今なんて言った?


 俺は拳を振り上げたまま、恐る恐る碧斗に目をやった。彼は俺を心底軽蔑したような目で見つつ、言葉を放つ。


「ときみっちゃん、小林教官に認められない悔しさは分かるけど、鵜野先輩は僕らの英雄なんだから。そんな人に手を上げるなんて許されることじゃないよ」


「は? いやいや、ちょっと待てよ碧斗、お前何言って……」


「大丈夫ですか、鵜野先輩」


 碧斗は俺が攻撃する意思を失ったと察したのか、手を放してすぐにモヒカンを助けに向かった。ポケットからオオサンショウウオの刺繍がされたハンカチを取り出し、鵜野剛士の鼻血にそっと充てる。青いハンカチがみるみる赤に染まる様を眺めることしかできない俺に、碧斗はビシッと言い放った。


「さっさと帰って寝たら? 明日も特訓でしょ。それとも明日もサボって小林教官に怒られるつもりなの、ときみっちゃん?」


「え? 何言ってるの、碧斗。明日もサボってって……、俺サボったことないし、何なら今日俺が小林教官倒したわけだし……」


「は? 何言ってんの?」


 碧斗は鵜野をゆっくりと起こしながら、ハッキリ言い放つ。


「小林教官を倒して僕らの英雄に輝いたのは、鵜野剛士先輩でしょ」


 俺は確かに見た。鵜野剛士の表情が、勝利を確信した笑みに変わる瞬間を。


「残念だったね、レジェンドくん。いや、時光くん。これが俺っちの戒律、インビジブル・リバウンドさ。さぁ、さっさと帰ってねんねしな」


 その日俺は、もうこれ以上何も言い逆らうこともできず、部屋へと帰った。白石さんが残していった薔薇の花を集めて、机の上に山盛りにする。その日、碧斗は部屋に帰っては来なかった。胸の奥が、キュゥッと痛む。


 何が起きたのか分からない。ただ、悪い夢を見ているのかもしれない。そう思うことで、その日は眠ることにした。


 翌日、目を覚まして点呼を受ける。その時には、もう青柳碧斗の姿があった。彼は俺より先に廊下に並んでいて、俺を見ると「早く早く、舎監が来ちゃうよ」なんて言ってくれる。それから数分、舎監の風見和久が姿を現し、俺たちの名前を呼ぶ。名前を呼ばれた人から、順番ずつ食堂に向かって朝食。ここまでの流れは、昨日と全く変わらなかった。ただ、異なる点が一つ。


 運動着に着替え、訓練場に着いた時、誰も俺におはようを言ってくれなかったのだ。


「あ、白石さん!」


 栗色の三つ編みがふわりと揺れている。その後ろ姿に向かって俺は声をかけた。でも、彼女は振り返ろうともしてくれない。ただ、彼女は笑顔で別の方向へと走って行った。その先に立っていたのは、鵜野剛士。


「鵜野先輩! 昨日は本当にすごかったです!」

「鵜野っちじゃん! 今日も組手を見せてくれよ!」

「レジェンド先輩! 今日対戦相手お願いします!」


 まるで一躍有名人。鵜野剛士を中心に、多くの生徒が輪を作って話しかけている。その輪に入れず、指をくわえて遠くから眺めている集団もあった。


「なぁ、なんで鵜野先輩があんなに人気なわけ?」


 俺は隣にいた女の子にそう問いかける。


「は? 誰お前キモイんだけど」

「こいつ昨日サボってたから知らないんじゃね?」

「行こう」

「うん、行こう行こう」


 彼女たちは俺の質問に対し全く答えるつもりもないまま、距離を取るように逃げて行ってしまった。


 そうこうしている間に、朝の訓練を行う時間が迫ってくる。鬼の小林が訓練場に姿を現し、声を張り上げた。


「鵜野剛士、昨日は良い動きだったぞ」


「へっへっへ、ありがとうございます小林教官」


「お前のことは私が昨日、上層部に報告しておいた。近いうちに飛び級試験を受けることになるだろう。お前のような、優秀な戦闘技術を持つ者は、さっさと前線に行って多くを助けた方がいい。もし希望するなら私の舞台に招待するが、どうだ?」


「そりゃとっても素敵な提案。ありがたく引き受けさせていただきますとも!」


 嬉しそうにトサカを整える男は、相も変わらず意地汚い笑みを浮かべていた。でも、隣にいる女子グループがキャーキャーと黄色い歓声を上げている。あの男の何がそんなに人気なのか理解できない。


「おや、お前は確か、牧志……、なんだったか?」


 こちらと目が合った小林教官が、怪訝そうな表情を浮かべる。まさか、つい昨日戦ったばかりの俺をもう忘れたというのか。


「牧志時光っす。小林教官、昨日のことをもう忘れたんすか? それとも、忘れたふりして敗北を誤魔化そうとしてます?」


「……昨日? お前そもそも昨日訓練に来てたか? サボってたろ。私は見ていないぞ」


「は?」


「まぁいい。お前は適当に誰かと練習してろ。今日は全員紙拳銃を用いて的当てをするように。あと、鵜野剛士はちょっと来い。お前は銃の扱いが下手だったからな。私が一から教えてやる」


 小林教官が人に一から教えるだって? あまりにもらしくない行動に、俺だけでなくその場にいた誰しもがざわついた。


「お前らは私の言った指示に従え。あまり騒ぐな、全員の内申点を落とすぞ」


 彼女は相変わらず高圧的な態度を見せていた。しかし、鵜野に対しては違う。彼に対してだけ、妙に優しく丁寧に対応しているのだ。


「ほら、銃を扱うときはまず重心を大事にしろ。反動制御するためにも、そもそも照準を合わせるためにも、重心を安定させることが大事だ」


「へっへっへ、こうですかねぇ?」


「はっはっは、お前は本当に銃の扱いが下手くそだな。私を倒すだけの近接戦闘技術がある癖に、どうしてこうも不得意分野は手間がかかるのか。まぁいいだろう。今日は最後まで付き合ってやるぞ」


 見ていると、だんだん妬ましくなってきた。今、ようやく俺の置かれている状況を理解できた。どうやら俺は、奪われてしまったらしい。鵜野剛士の戒律によって、俺の手に入れた評判を。


「おい、牧志時光。何をサボってこっちを見ている。さっさと特訓に入れ。それとも初めて会った頃のようにボコボコにされたいか?」


 きっと今俺が受けているこの仕打ちは、鵜野剛士の受けてきた仕打ちなのだろう。なぜかわからないが、周囲からの評判が入れ替わっているのだ。


「ほら、しっかり両手で銃を握れ、そうじゃない。こうだ」


 小林教官が鵜野剛士の背後から、そっと手を握って銃の使い方を指導している。その姿を見ないようにしつつ、俺は紙拳銃を丸めた。


「装填」


 銃の形態が、初めて握った心臓グロックと同じグロック17に変化する。これを握って、適当な人に話しかけて、今日一日は銃の特訓。互いに撃ち方や銃の扱い方をアドバイスし合いながら、命中精度を上げていく。という流れだが。


「納得できねぇ」


 鵜野剛士、あいつは今俺の評判を借りて有頂天モードだ。許せない。俺は努力してここまで来たのに。あいつにすべて奪われた。戒律には発動条件があるはずだ。俺の拍手みたいに。鵜野剛士の言動から、こいつの発動条件を考えろ。確か、最初の違和感はこの男を殴った時。俺の素人同然なパンチを一切回避しなかった。あれだけ俺を煽っておきながら、俺の拳を予測できなかったのだろうか。そして次の違和感。碧斗が急に俺の行動を制したことだ。鵜野先輩が「ついに俺っちのことを殴ったな」と言った直後、碧斗がおかしくなった。このモヒカン野郎と白石さんがお似合いだって? 何言ってんだ。俺が訓練サボったことになってたし。


 そうか、きっと殴られることだ。人に殴られることで、あの男は他人と自分との評判を入れ替えている可能性が高い。もしそうなら、もう一度殴れば、俺とあいつの評判を再び入れ替えることができるはずだ。すなわち、全て元に戻る!


 俺は紙拳銃を握ったまま、鵜野の背中を睨みつけた。


「ぜってぇてめぇから、俺の評判取り返してやる。覚悟しとけや卑怯者……!」

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