五章『鷹の目』――6
ぽう、とサキュバス――アリスステラのポケットの中で、魔石がやわらかな熱を帯びる。
「合図ですね。姫様たちの方、終わったみたいです」
シャノンたちは書庫を出た。
手筈ではアイリスたちも談話室を出て、大テーブルのある会議室で落ち合うことになっている。そのことを二人にも伝え、シャノンが先頭になって彼女たちは歩き出した。
「……もう一つ聞きたいことがあるのだけれど」
歩きながら、ヴァンパイアが尋ねた。
「なんですか? ヴァンパイア様」
「どうして、私とサキュバスは書庫に呼ばれたのかしら? それについて、まだ満足のいく説明を聞いていない気がするわ」
「ああ、それはですね。犯人とか真相は分かったけれど証拠がつかめていないから、いっぱい食わせて引っ掛けようって姫様が言い出して」
「……どういうこと?」
「種明かしを聞いたら、拍子抜けだと思いますよ」
要するに、嘘で釣り上げた、というだけの話。
ありもしない証拠品の情報をドロシーステラに渡し、発覚を恐れた彼女が隠滅のため寝室に現れたところを確保する――それが、アイリスの目的だった。
「……そんなうまく行くかしら。いや、実際は既にうまく行ったんでしょうけど」
「そこはそれ、ちょっと小細工をしましたから」
「小細工?」
手順は、大まかに三つ。
まず、サキュバス――ドロシーステラが普段来ているメイド服から、カフスボタンを一個拝借する。クローゼットから目的の服を盗み出す必要はなく、洗濯物として回収されているものから引きちぎっておくだけでいい。いや、むしろその方が都合が良いとアイリスは言っていた。
次に、そのことをドロシーステラ本人に知らせる。
洗濯しようとしたところボタンが取れていることに気が付きました、補修は簡単ですが、念のためどこで落とされたか心当たりはありませんか、とランドリーメイドから伝えてもらう。ドロシーステラはいくつか可能性を考える。その時、微かにでも「あの時あの寝室で落としたのでは」と思い浮かべてくれれば成功だ。
ボタンのとれたメイド服が事件の時に着ていたものとは限らないし、多分違うのだろうけれど、絶対にそうだ、と断言しきることはドロシーステラにも難しいだろう。何しろメイド服は制服であり、何着か全く同じデザインのものを着回すのが常である。どれがどの日に着たメイド服か、理屈で推察することはできても見た目で判断することはできない。
ぼんやりで構わないから、不安の種を植え付ける。
そしてそれを拭い去らないうちに、三つ目を仕掛ける。
ここではミノタウロスに力を借りた。
彼から、ドロシーステラに誤情報を吹き込んでもらう。
内容はこうだ。
『デュラハンは、寝室に落ちていたボタンで貴女が犯人だと確信したらしい。彼はそれを回収し隠し持っていたのだけれど、水蓮姫が真相に近づきつつあることを察し、サキュバスを守るため自らが犯人だと名乗り出ることにした。その際、うっかり自分の荷物からボタンの存在が知れるといけないから、調査の目を逃れられそうな場所に移し、安置してある』
この情報を、昨晩の地下牢でデュラハンに伝えられたミノタウロスは、戦友の意思と誇りを守るため、あえて背徳の罪を承知でドロシーステラにこのことを教えることにした――そんなストーリーを、おまけに添えておく。
デュラハンとミノタウロスが地下牢でひと騒動演じたことは既に周囲の知るところとなっているが、どんな会話が行われたかは当人たち以外誰も知らない。ミノタウロス自身がそうだと言ったなら、それが嘘だと証明する手立てはもう一人の当事者に聞くしかない。しかし、今このタイミングで地下牢の容疑者に会いに行くことは、それ自体がリスクともとれる。
まさか最悪の予想が当たっていたなんて――ドロシーステラはそう思うだろう。
そこに、ミノタウロスが囁く。
『場所は、事件のあった寝室。ベッドの裏に隠してある。門番のケルベロスは上司である自分が誘導するから、誰もいない隙に回収してしまえ』
動揺したところ安直な希望をちらつかせる。
事態が悪い方に転がっていると確信しているドロシーステラは、渡された甘い選択肢を躊躇なく選び取るだろう。
「――そうして、サキュバス様は幻のボタンを求めて寝室へ向かう。まあ、この方法だと結局物的証拠を押さえることはできないんですけど、監視の目の前で証拠品を回収しようとした時点で十分です。実質的な自白ですからね、その行為は」
「ちょっと待って」
サキュバスは渋い顔でシャノンに問う。
「隠し場所は事件現場――なんて、そんなことある?」
「そのための理屈は用意してありますよ。『一度調べつくした場所は二度と調べられない』だそうで」
「……詭弁じゃないかしら」
「それでいいんですって、姫様が言うには。焦ってる人を騙すには、多少無理があっても分かりやすい屁理屈を自信満々に断言してやるのが一番らしいですよ。安っぽければ安っぽいほど飛びつきたくなるんだ、って」
「それ自体が屁理屈のように聞こえるけれどね」
おそらく経験則なのだろうが。
人間の国の宮廷で身に着けた、敵を欺くことに特化させた処世術。
彼女がどういう気持ちでそれを学んだのか、想像しても楽しい物語にはたどり着けそうにない。
ヴァンパイアはひとまず納得することにし、
「それで? サキュバスを釣り上げた、ってことはわかったけれど、それがどうして私たちが書庫に集められた理由の答えになるのかしら?」
枝葉にそれ欠けていた会話を元の道に押し戻した。
「えっとですね。ヴァンパイア様は昨日姫様と大喧嘩して通行許可証を取り上げたでしょ? そんな中でもし姫様と鉢合わせしたら大変なことになりますよね。だから、こうして引き離しておけって指示されてました」
「……サキュバスは?」
「リーダーは優しすぎます。サキュバス様をひっかけるって知ったら、きっと泣きながら止めようとしたでしょう」
「――そうね。そうしたと思う」
寂しげに、サキュバス――アリスステラは笑った。
「ごめんなさい。だますような真似して」
「いいのよ。悪いのはあの子と私だから」
「リーダーは悪くないですよ」
「ううん。あの子がそんな風に思ってたのに何もしてあげられなかったのは私よ。シャノンは、アイリス様の侍従として――いいえ、友達として、やるべきことをしただけでしょう」
シャノンはヴァンパイアと顔を見合わせた――こういう人だから別室送りにするしかなかったのだ。
そこからしばらく、三人は黙って歩き続けたのだけれど、会議室の前に辿り着いたところで感慨深そうにヴァンパイアがつぶやいた。
「……ここからが忙しいわね」
「かもですね」
「サキュバスの処遇も含て、今後のことを話し合わないと。ああそうそう、デュラハンのバカもこってり絞ってやらないとね」
「……まあ、あの人は怒られてもしかたないかなぁ」
シャノンは会議室の扉を押し開いた。
室内には全員が揃っていた。デーモン、セイレーン、サラマンダーの三人に、リッチーとミノタウロス。戦友の小脇に抱えられている、もう既に何発か殴られた跡ができているデュラハンと、部屋の片隅でジッと立ち尽くすドロシーステラ。
最後に。
「――姫様!」
「シャノン!」
笑顔で、二人はお互いに駆け寄った。
そうして鳴らされたハイタッチの音は、魔王城の新たな出発に相応しいものだった。
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