五章『鷹の目』――4

 どんなに強大な力を誇った魔王であれ、その理からは逃れられない。

 魔王がもし無限の寿命を持っていたのなら、後継者なんか選ぶ必要はなかったのだ。魔王に比肩する力をもつ魔族が存在しなかった以上、外的要因での不慮を想定する意味がないのだから。

 魔王とて生き物だ。それが二千年なのか、五千年なのか、一万年なのかは分からない。しかし永遠はない。いずれ決められた終わりが待っている。

 それが、あの夜だった。

 それだけの話だ。

 しかし、辻褄を合わせるのに魔王の死が必要だからそう判断した、というのではあまりに暴論が過ぎるというもので、アイリスにも当然、この死を寿命と思うだけの材料はあった。

 その最たるものが、和睦条約だ。

 この世界では三度、人間側からその提案が持ち上がり、その都度魔族側に却下されてきた。四度目でそれが成った理由とはなんだろう。最高決定権を持つ魔王の気が変わった理由はなんだろう。

 いわば終活のようなものだったのではないか、とアイリスは考える。

 五百年前、戦争が始まった。三百年間激しい争いが続き、二百年前を境に戦火は下火となった――人間から「もうやめよう」と言ってくるほどに。しかし魔王はそれを蹴飛ばした。意地か打算か、理由ははっきりしないが、陽の差さぬ国の意志が――即ち魔王の意志が、戦争を続ける決定を下してきたのである。

 魔王が始めて、魔王が続けた戦争だ。

 これを時代の君主に引き継がせるわけにはいかない。

 そんな思いが彼の中にあったのではないか。自分の御代が終わる前に幕を引き、新たな時代をデーモンに残したい。とはいえ、三度にわたって棄却してきた和睦を今更自分達から提案するのも沽券にかかわる。そんな折に飛び込んで来たのが、アイリスの祖父が提案した四度目の和睦交渉だった。

 考えてもみればこの交渉、提案した張本人である老帝が、同じような心境で言い出したのではなかったか。

 二人の老いた君主の偶然にも一致した思いが、和睦のテーブルを実現させた。種がまかれたのが五年前であり、今、それが成就の時を迎えようとしていた。これを見届け、魔王と老帝は心残りなくこの世を去るつもりだったのだろう。

 ――しかし、時間は、それを待ってくれなかった。

「もう一つ、寿命だと仮定する根拠があるんですよ」

 シャノンは、右手で自分の胸を軽く抑えた。

「わたしです。わたしを作ったことが、それなんです」

「……シャノン、どういうこと?」

「リーダー、ホムンクルスを作る方法って、肉体の器を用意してそこに魂を注ぎ込むこと、ですよね?」

「詳しくはないけれど、そのはずね」

「じゃあ、その魂って、どうやって用意するか知ってます?」

「ええと……魔力を形成して魂と同じ役割を果たす術式を作るか、他の生物から魂を抜き取って移植するか――あ」

「そうなんです。移植できるんです、魂って」

 いつからか、正確には特定できないけれど。

 ある時から魔王の体は、オリジナルから複製体に変わっていたのではないか――アイリスはそう予想した。

 自らの肉体の限界が近いことを彼は悟っていた。しかし、膨大な魔力や精神性は未だ衰えを知らず、物質的な器さえ新調できれば延命が叶うのでは――そう考えた魔王が研究したのがホムンクルスである。

 新たな肉体を用意し、そこに自らの魂を定着させる。

 彼がホムンクルスに興味を持ったのは、その目的のためだったのだろう。

 結局それが達成されたのかどうかまでは、シャノンもアイリスも分からないけれど。

「じゃあ」

 ヴァンパイアが震えた声で言った。

「シャノン、あなたは――」

「そうです。実験体だったんです、わたし。大目標のための小目標というか、まずは普通のホムンクルスを作ってみようと思った陛下が生み出した、研究の副産物です」

「そんな……」

「あはは、悲しそうな顔はやめてくださいよ。わたし、これに関しては強がりでもなんでもなく、本当に何とも思ってないですから。どんな理由であれ、陛下はわたしをこの世に生み出してくれた。十分です、それだけで」

 自分は単なる通過点に過ぎなかった。

 その事実を知った時、シャノンはむしろ、よかったとさえ思った。

 もし、魔王が何かを期待して自分を生み出したのだとして――自分が生まれながらの使命を持っていたとして。それが自分の身に余るものだったら、シャノンはただの失敗作ということになってしまうだろう。

 でも、自分の役目が、生み出されたその時にもう終わっていたとしたら。

 シャノンが生まれてきたこと自体が、魔王にとっての成功だったなら。

 生きているだけで、親孝行ということになりはしないか。

「そうよ」

 サキュバスは、机の上に置かれていたシャノンの右手を両手で包み込んだ。

「きっと、そうよ」

「くすぐったいですよ、リーダー」

「フフっ。ごめんなさい」

 サキュバスは謝るが、手を放そうとはしない。

 こそばゆいけれど、しょうがない。伝わってくる体温と優しさは全然不愉快じゃないし、このまま進めてしまおう。

「――話を戻しますね」

 むしろ、ここからが本番です。

 シャノンは一度、深く息を吐いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る