五章『鷹の目』――3
「正直、最初はお手上げだと思ったそうです」
シャノンは椅子の背もたれに思いっきり体重を預けて、非常にリラックスしているようにサキュバスには見えた。
「魔術の絡んだ事件では、どうやったか、について考える意味が薄い。それが姫様の基本的な方針の一つで、今回もそれに該当していました。だから最初は、陛下を殺して誰が得をするかについて考えることにした」
しかし、それこそ意味がなかった。
大王国の君主を殺して、まったく得をしない者を探す方が難しかったからだ。考えればいくらでも、魔王を殺す理由を思いつけてしまう。
例えばデーモン。
彼は後継者として将来の地位を約束されているが、逆に言えば魔王が健在であるうちは彼の権威はそこそこ止まりだ。いつ来るとも分からない未来を待つことに耐えかねて、魔王を亡き者にしようと考えた――人間の国でもありそうなストーリーだ。
例えばネクロマンサー。
最も古い重臣の一人である彼は、長年尽くしてきたにも関わらず次代の王の座がデーモンなどというポッと出の手に渡ったことに腹を立てていた。忠義が厚いものほど裏切られたと感じた時の憎悪は強く、常に寝首を掻く機会を伺っていた――なんて可能性も考えられる。
例えばミノタウロス。
単純な武力でのし上がってきた彼はある日思った。もっと上があるのではないか、魔王を殺すことができたなら、名実ともに自分がこの国の頂点ということにはなるまいか――単純すぎるかもしれないが、武人として純粋であればあるほど、最強という称号が持つ魅力に抗うことは難しかろう。
――等々。
単純な権力欲や愛憎に加え、名誉や自己満足まで含め始めると、誰にでも魔王を殺す理由がある、という結論になってしまう。
それでは埒が明かない。
犯人を絞り込むことなどできやしない。
「どうやったかを考える意味が薄く、なぜやったのかを考えてもキリがない。これでは、どこから進めばゴールにたどり着けるのかわかりません。だから姫様も、最初は結構難しい事件かもしれないと思った――そう言ってました」
「……それで?」
ヴァンパイアは怪訝そうな顔で、少々棘のある声色で先を促す。
「じゃあ、どうしたの?」
「天秤にかけたらしいです。どちらをとってもイバラの道なのは分かっているけれど、じゃあどちらのイバラの方が棘の少ないイバラかな――みたいな。結論としては、殺害の手段について考えた方がマシ、ってことになったそうです」
自らの基本方針には背くことになるが、まあ、仕方あるまい。
そうやって腹をくくってヴァンパイアから聞いた午前中の会議の内容を思い返してみた時、アイリスはとあることに気が付いた。
「――陛下は『音もなく殺された』。この部分に注目した瞬間、事件は一気に簡単になった。少なくとも、姫様はそう思った」
「そ、それがそんなに重要なことなの?」
「すごく重要だったらしいです、リーダー。争い合う音どころか、断末魔すら上げなかった。それがカギだったんですって。そこに説明をつけられた瞬間、他の部分も全部解決してしまった、って」
「……その説明とやらを、聞かせてもらおうかしら」
「もちろん。結論から言うとですね」
シャノンは言った。
「『魔王殺しの犯人なんて最初からいない』――だ、そうですよ」
※ ※ ※
「そりゃないですよ、水蓮姫」
「そうですわ、無茶苦茶ですわよ」
昨日、シャノンとアイリスがお茶を飲んでいた談話室に、今は五人が詰め込まれている。
テーブルを囲んでソファに座るのは、高官たちとアイリスの四人。
つい先ほど捉えた『犯人』は、部屋の出入り口から最も遠い窓際に立たされている。縄でつないだりしているわけではないのだけれど、逃げようという素振りは一切感じられず、黙って俯いたまま動こうとしない。
まあ、アイリスはともかく、デーモンたち三人に囲まれて妙な気を起こしたらどうなるか、それを思えば観念するのも致し方ないことだろう。
「説明してくれないか、水蓮姫。俺には突飛な話すぎてすぐには理解できん――犯人が居ない、とはどういうことだ?」
アイリスはシャノンと同じ内容の話を、似たような筋道で三人に語っていた。
今頃シャノンもあの二人に詰められているのだろう。そのことを内心で少し可笑しく思いながら、アイリスは淡々と説明を続ける。
「前段が長くなってしまいますがご容赦ください。――無抵抗のまま陛下が殺害されたと仮定したとしても、断末魔が上がらないのはやはり不自然です。体を刃で貫かれたら、人間でもうめき声くらいは漏らすものですから、我々よりも遥かに強靭な陛下であれば大声を上げる余裕はあったはずです」
「でも、実際にそれは起きていましてよ? 陛下は末期の叫び声を上げることすらできず殺害されてしまった。これは事実ですわ」
「いいえ、セイレーン卿。それは事実ではないと私は判断しました」
「……?」
「無理なんですよ。どう考えても。それこそ、『そういう魔術を作った』レベルのジョーカーを用意しない限り、一言も陛下に発させることなく殺害することは不可能です」
「でもそれ以外に説明がないなら、それが真実ってことになりません?」
「ところが説明できてしまうのですよ、サラマンダー卿。一つ、条件を変えるだけで」
「条件?」
「最初から陛下が死んでいればいいのです」
あっさりとアイリスは言い――部屋中が静まり返った。
セイレーンとサラマンダーはきょとんとした顔で動きを止め、デーモンは眉をひそめて黙考の姿勢を取っている。
何か反応があるまでアイリスは待つつもりだった。
多分、彼らにとって、ここが最も受け入れがたい部分だろうから。
「いやいやいや」
一番早く立ち直ったのはサラマンダーだった。
「無理があるでしょう、それは」
「そうですか?」
「いや、だって現に陛下は殺されて――」
「いません。亡くなっただけです」
きっぱりとアイリスは否定する。
「死ぬことと殺されることはイコールではありません。陛下は亡くなった。遺体には剣が突き刺さっていた。これは動かしようのない事実です。ですが――『既に亡くなっている陛下の遺体に何者かが剣を突き立てた』。状況の説明として、これに不足がありますか?」
「……それは……」
「――無い」
デーモンが苦しそうに頭を振った。
「俺たちが確認したのは、剣の刺さった遺体だけだ。蛮行が行われたのが死後か生前か、それを確かめた者はいない」
「ありがとうございます、デーモン殿下」
アイリスは軽く頭を下げる。
「さて、この前提の上で話を進めてみましょう。すると、随分色々な疑問が解決してしまうと思いませんか。
――どうやって犯人は陛下の結界を突破したか。簡単ですね、陛下の死後であればそもそも結界が存在しないからです。――犯人が陛下を真正面から刺せたのはなぜか。天地に無双の大魔王とて死体では噛みつけません。――鋼鉄より硬い陛下の体を犯人が傷つけることができた理由は。陛下の頑強さは、その身に宿る魔力によるものだったと聞いてますよ。死後、魔力が失われた状態であれば、もしかしたら私でもできるかもしれませんね」
犯人が部屋に入った時、魔王は既に死んでいた。
その前提を付け足すだけで、あんなにも高い壁として立ちはだかった不可能の数々は、いともたやすく崩壊してしまう。
起きたことの全てを可能にするマスターキー。
それは、魔王の死、そのものだった。
「――それでも、やっぱり無茶苦茶ですわ!」
セイレーンが信じられないとばかりに声を張り上げた。
「アイリス様、貴女の言葉は、確かに理屈にはなっていますわ。ですがそれだけではありませんの!」
「というと?」
「なぜ陛下が亡くなったか、の説明になっていない。そう申し上げておりますわ」
セイレーンはアイリスを睨みつける。
そんなに敵意を向けられても困るのだが、とアイリスは苦笑しようとする口元をもとのまま維持するのに多少の注意を払わなければならなかった。
「陛下は殺害されたのではないと貴女はおっしゃいますわ。ですがそれでも陛下はなくなっている。それでは――まるで、陛下が何をされるでもなく一人でに亡くなった、そうおっしゃっているいるようではありませんの!」
「はい。そう申し上げています」
「……なんですって?」
肩透かしを食らったように、セイレーンの視線から棘が抜けた。
ホッとしていることを悟られないように、アイリスはあくまで平静に、それまでと同じ口調で続ける。
「セイレーン卿。貴女たちも当然知っておいでのはずです。――生き物は、誰かに何かをされたりしなくても、一人でに勝手に死ぬものなのですよ」
つまり、とアイリスは結んだ。
「陛下が亡くなったのは、ただの寿命です」
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