第37話 茅葺・藁葺

 長屋の修理などをしているうちに、町の旦那衆の間で評判になり、長屋や町人棚ちょうにんだなの注文がポツポツ舞い込むようになっていた。そんなところに起きた地震で寺や神社の普請の依頼が殺到し始めたのだ。無論、本業は宮大工なので、いったん受けた長屋や町人棚の仕事も断ろうかと思っていた。

 旦那衆も、

「あの評判の宮大工に長屋なんぞを建てさせちゃ申し訳ない」

 と云って、いったんは注文を引っ込めてくれた。

 だが、

(ちょっとやそっとの地震や大風おおかぜなんかじゃ潰れねぇのを建ててやる)

 という男気おとこぎが佐吉の中ではじけたのだ。

「いったん受けた仕事をおのれ都合つごうで断るのは、男がすたります」

 旦那衆にはそう云って、三重の塔が完成次第、すぐに受けた仕事を始める旨を伝えた。だが、本当の処は、実際に人が住み、飯を食い、寝起きする家屋を建てることに秘かに喜びを感じ始めていたのだ。また、江戸の住み家の造作ぞうさくひどさに一種の憤慨ふんがいをも持っていた。

 この三代将軍家光の時代、参勤交代と云う制度が始まって以来、江戸の町は急速に拡大して行った。人口は三倍以上になったろうことが推測されている。人口の急速な増加により、必然的に、それらを収容する家屋が必要となってくるのであるが、急拵きゅうごさえの安普請やすぶしんのものがか職人が見よう見まねで建てたものだった。佐吉の憤慨も理解できるが、異常な速さで発展、膨張ぼうちょうする江戸と云う都市の宿命しゅくめいであるとも云い得た。


 ちなみに、当時、屋根の瓦葺かわれぶきは少なく殆どが藁葺わらぶき茅葺かやぶきだったようである。藁葺、茅葺は、火災にあると火はすぐに広がる運命となる。瓦葺かわれぶきは江戸時代の後期になって初めて広がることになる。

 関係はないが、藁葺や茅葺の屋根は、ヨーロッパにもある。1666年のロンドン大火災で焼失した家の殆どが木造で屋根は藁葺、茅葺だったことは知る人は余りいない。85%が焼失したのだが、ロンドン大火災の後、石造りあるいは煉瓦造れんがづくり、屋根は瓦葺となり、藁葺、茅葺は禁止という事になった。現在のロンドンは、石造り瓦屋根かわらやねであるが、シェイクスピアの頃は、木造、茅葺という田舎風の中世であったことは面白い。

 明暦の大火災が1658年、ロンドンの大火災が1666年。という事は、歴史的には、同時に発生したようだ。中世から近代にあった大都会の発展した運命が必然的にできた大火災だと云えよう。

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