第32話 瓦礫の山

「甚五郎、帰るぜ」

 富五郎は、甚五郎に呼びかけると、すたすたと歩き始めた。あれだけの揺り戻しは想像を越えていたので、さすがに自分の普請場ふしんばも気になってきたのだ。

「父つぁん、待ってくれよう」

 甚五郎があわててうしろを付いて来た。途中とちゅう、梅二とすれ違ったが、梅二は全く気が付かぬ様子で、瓦礫がれきの山としている塔の残骸ざんがいを見ながら呆然あぜんつくくしていた。

「やいやい、死人は出なかったんだってよ。不幸中の幸いってもんよ。首の皮一枚つながったな。運のいい野郎だぜ全く。四代目の方に足向あしむけて寝るんじゃねぇぞ。分かってんだろうな」

 甚五郎が梅二に大きな声で毒突どくついている声が、後ろの方から聞こえた。


「父つぁん、でも何であんな簡単に倒れたんですかい。教えておくんなせぇまし」

 帰る道すがら、甚五郎が富五郎に尋ねた。 

「あれかい、ありゃな、建てちゃならねぇとこに建てたんだよ。そのうえ、よりによって吊り芯柱ときたもんだ。倒れて当たり前よ。それにしても呆気あっけなかったな」

 富五郎にしても、さすがに昨日今日の事とは思ってもみなかったのだ。

「建てちゃならねぇとこ? 何か曰く付きの場所だったんですかい。ぬえの巣があったとか」

「そんなんじゃねぇよ。あの辺りはな、権現様が江戸に来られる前は干潟ひがただったんだよ。まあ干潟っていやぁ聞こえはいいがな、要するに海よ」

「海?」

「ああそうだ。海だ。あの辺りは山の土を運んで埋め立てて造った土地なんだ。おいらが餓鬼がきの頃なんだが、今でも二尺から三尺も掘れば海の水がいて出て来るよ。梅二の野郎はよ、その海の上にあのでかい塔を建てやがった。しかもわざわざ吊り芯柱にまでしてよ」

「でも、吊り芯柱は揺れに強いって聞きましたぜ」

「ああその通りよ。しっかりした地盤の上に建てたならの話だがな」

「じゃあい地盤だったらだめなんですかい?」

「当たり前よ。吊り芯柱にしたら塔全体が重くになっちまうじゃねぇか。つまりは海の上に積み荷が満載の舟を浮かべたようなもんだ。それに、吊り芯柱ってのはよ、確かに揺れに強いってことになってるが、いったん傾いってなると、これがかえって厄介やっかい代物しろものになるんだ。分かったな」

 富五郎なりに分かりやすいように説明した。

「分かりやした。積み荷が満載まんさいの舟を海に浮かべたとなりゃ、大波の一つでもりゃひとたまりも無いって事ですな。それに、傾いた塔の中で馬鹿でかい芯柱が宙ぶらりんになってたら、こりゃ放っていても倒れまさぁ。合点がってんがゆきまやした」

 甚五郎はそう云うと、なかなか解けなかった謎を解いた子供のように喜んだ。

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