第31話 揺り戻し

 その時だった。四方から地鳴じなりがき上がるようになったと思うと、次の瞬間には、大地が激しく揺れ始めた。心配していた大きなもどしがやって来たのだ。

 ほんの数度のまばたきする間の事だが、その何倍にも感じられる時間が過ぎた。揺れが収まり、人々が顔を見合わせて一息付いた時だった。

「ギー、ギチ、ミシ」

 聞いたことも無い奇妙な音が響いた。聞く者もすべての魂の根元ねもとを締め上げるかのような音であった。居合わせた見物人も大工たちも役人たちも、もちろん富五郎も甚五郎も恐怖でその場に立ちすくんだ。何が起きるのか誰もが分かっていた。だが、誰も身じろぎひとつすることもできなかった。

「ブツン、ブツン、ブツン……」

 かわいた音が聞こえた。塔に掛けられていた縄が切ける音だった。

「倒れるぞ、危なぇ」

 誰かが叫んだ。

 塔は、ゆっくりとその傾きを大きくし、やがて臨界点りんかいてんを越えると急激にその速度を増して倒れ始め、そして地面に激突した。ものすご地響じなりの音が辺りを支配した。土煙つちけむりが倒れた塔を覆い隠し、人々はその土煙の中の物がやがて姿を現すのをただ茫然ぼうぜんと見ていた。


「怪我人はいないか。下敷きになった者はおらぬか」

 やがて、我に返った役人たちが口々に叫びながら人々の間を飛び回り始めた。

 幸いにも、怪我人は数名で、いずれも倒れた際に飛び散った瓦の破片で傷を負った者だけで、傷も浅いものだった。他に腰を抜かして動けなくなった老婆が二人と云う報告が、寺社奉行所の与力にあった。

「富五郎、その方の注進ちゅうしんなければ惨事さんじになっておった。礼を申すぞ」

 与力は、富五郎を呼ぶと礼を言った。

「いえ、あたり前の事でごぜぇやす。あっしも胸を撫で下ろしやした。長谷部さまもお奉行様からおめの言葉もありやしょう。ようござんした」

小奴こやつ、言いたいことを抜かすよるわ」

 長谷部と呼ばれた寺社奉行所の与力は、そう云いながらも、まんざらでもない様子だった。

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