第29話 常光寺の塔

 家に帰ると富五郎が来ていた。浅草寺せんそうじの事だろうと大体はさっしは付いていた。佐吉が手を引いてからも富五郎は佐吉を立てて何かと相談にやって来る。大丈夫だったとは言え、あれだけの揺れだったので、そこかしこに小さなひずみもできてしまっている。それらについての報告と後の始末の相談なのだろう。

為三ためぞうとこの手助けに行ってたんだってね。さすがは四代目だ。しなさることが気風きっぷがいいや」

 富五郎は、そう云うと腕を組んで大きくうなづいた。

 大きな図面を広げ、二人で検討し合った。

 お美代がやって来て、

「あんた、よそ様も大変だけど此処ここの家もひどいんだよ。日のあるうちにできるとこはしといてよ」

 と急ぎ立てた。

「ああ、分かってるさ」

 佐吉は返事はしたが、図面を前にしては自分の家の事などどうでもよくなる職人の典型のようで男である。お美代の心配も簡単に反古ほごにされた。

 ああでもない、こうでもないと頭を突き合わせて検討している時に、一人の男がけ込んで来た。甚五郎だった。駆けに駆けて来た様子で全身から湯気が立っている。

「四代目、常光寺の塔が傾いてやすぜ。この目でしっかり見きやした。言われたとおりになりましたぜ。さすがでござんす」

 甚五郎は入って来るなり一気に捲し立てた。

「甚五郎、そりゃ本当かい?」

 富五郎が確かめる。

「あっしがうそなんか云うもんですかい」

 甚五郎は、きっぱりと云った。

「やっぱりな」

「やっぱりでござんすね」

 佐吉と富五郎は、互いの顔を見て確かめ合うと、何事も無かったの様にまた広げられた図面に目を落とした。

「やっぱりって、なんか当たり前みたいにと云われると、なんだか拍子抜ひょうしぬけしちまうじゃでねぇすかい。富五郎父つぁんも分かってたんですかい?」

 甚五郎は急いで報告に来たにもかかわらず、反応がもう一つなので少々不満げであった。

「お二人とも何見てんですかい?」

 甚五郎が問うた。

「これかい、寺の図面だよ。あれだけの地震だ。色々と痛んだとこもあるんでな。修復の見当付けてんだよ」

 富五郎が面倒くさそうに答えた。

「え! 浅草寺の御塔おとうも傾いたんでやすか?」

 甚五郎は驚いてたずねた。

「馬鹿野郎、傾いたりする分けねぇだろう。四代目の仕事は、あの程度の地震じゃびくともしないんだよ。梅二と一緒にすんねぇ」

 富五郎は、き捨てるように云った。

「まぁ、甚五郎さん、走って来て疲れただろう。お茶でも飲んでくれ」

 佐吉は、わざわざ報告に来てくれた甚五郎を労った。

「で…、梅二の塔が傾いたって、どのぐらい傾いてるんだい?」

 富五郎が聞いた。

「そりゃもう大きく傾いますぜ。全体がった様になってましてね。そうだ、お侍の刀ぐらいのってまさぁ。見物人が次から次へとやって来て、とんだ名所になってましたぜ」

 甚五郎は、さも愉快ゆかいと云わんばかりに答えた。

「おめえ、喜んでるんじゃねぇんだろうな」

 富五郎が云うと、

「喜んでなんかいる分けねぇでしょうが、なんでもお釈迦様の骨が納めてあるんでがんしょ。あのまま倒れりゃねえかと気が気じゃありやせんぜ」

 甚五郎の云い様に、富五郎も佐吉も苦笑するしかなかった。

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