第28話 慶安の大地震

 慶安けいあん三年(1650年)六月某日、真夜中の丑三うしみつ時頃だった。江戸の町がある関東武蔵野の大地が不気味な音と共に激しく揺さぶられた。慶安の大地震が江戸の町を容赦ようしゃなく襲い、穏やかな寝息ねいきてて眠っていた人々を突然、恐怖のどん底へと突き落としたのだ。

 幸いにも、発生したのが深夜ということもあり、各家々の火は落とされていたので火事による被害は少なかった。壊滅的被害こそ免れたものの、江戸の町はあちこちで建造物が崩れ、圧し潰おしつぶされていた。

 実際、一日に四・五十回もの余震があり、江戸城も城櫓じょうろう倒壊とうかいしたとの記録がある処からは、かなりな大地震だったことが推定される。

 日が昇り、被害の実態が明らかになるにつれて、人々の顔にはまた恐怖が戻って来た。


「こいつぁでえな、いそがしくなるぜ」

 浅草寺の現場が気になって、朝一で駆けつけて佐吉が帰って来るなり女房のお美代に言った。普請からは離れたとはいえ、やはり気になって見てきたのだ。

「お寺、大変なことになってんのかい?」

 お美代が心配そうに聞き返した。

「お寺は大丈夫だ。なんともなかったよ」

「ああよかった」

 お美代は、ほっとした顔をしたが、すぐにまた聞いてきた。

「じぁ、何処どこかひどいんだい?」

「何処もかしこもだよ」

 崩れたり、倒れたりしている家だらけだ。下敷したじきになってる人もかなりいるようだ。慶安けいあん三年(1650年)六月某日、真夜中の丑三うしみつ時頃だった。江戸の町がある関東武蔵野の大地が不気味な音と共に激しく揺さぶられた。慶安の大地震が江戸の町を容赦ようしゃなく襲い、穏やかな寝息ねいきてて眠っていた人々を突然、恐怖のどん底へと突き落としたのだ。

 幸いにも、発生したのが深夜ということもあり、各家々の火は落とされていたので火事による被害は少なかった。壊滅的被害こそ免れたものの、江戸の町はあちこちで建造物が崩れ、圧し潰おしつぶされていた。

 実際、一日に四・五十回もの余震があり、江戸城も城櫓じょうろう倒壊とうかいしたとの記録がある処からは、かなりな大地震だったことが推定される。

 日が昇り、被害の実態が明らかになるにつれて、人々の顔にはまた恐怖が戻って来た。


「こいつぁでえな、いそがしくなるぜ」

 浅草寺の現場が気になって、朝一で駆けつけて佐吉が帰って来るなり女房のお美代に言った。普請からは離れたとはいえ、やはり気になって見てきたのだ。

「お寺、大変なことになってんのかい?」

 お美代が心配そうに聞き返した。

「お寺は大丈夫だ。なんともなかったよ」

「ああよかった」

 お美代は、ほっとした顔をしたが、すぐにまた聞いてきた。

「じぁ、何処どこかひどいんだい?」

「何処もかしこもだよ。崩れたり、倒れたりしている家だらけだ。下敷したじきになってる人もかなりいるようだ。為三ためぞうとこもれちまって、どうも婆様と赤ん坊が下敷きになってるようなんだ。また手伝いに行くからよ。ちょいと湯漬けでも作ってくれ」

 佐吉はそう云うと、道具類を並べ始めた。崩れた家の下から人を救い出すには道具類が必要だと判断して帰った来たのだ。為三は先代の豊三の弟子の一人で、佐吉とは兄弟弟子になる。今回の普請では、梅二に引き抜かれた職人の一人だった。

「為三さんとこなの、でも、あんたもお人好しだね」

 お美代は、湯漬ゆずけを差し出すと皮肉ひにくっぽく云った。

「馬鹿野郎、為三とこだろうが何だろうが、人が死にかけてんだ。どうのこうのとか云ってる場合じゃねぇよ」

 佐吉は、お美代をたしなめた。そして、湯漬けを一気に掻き込むと、道具類を荷車にぐるせ、一目散に荷車を引いて走った。

 江戸っ子一流の台詞せりふでお美代をたしなめた佐吉であったが、それはつい先刻、自らを窘めた台詞でもあった。寺の無事を確認しての帰りに為三の長屋の近くを通った時、人だかりがしているのを見た。近寄って人垣の背後から背伸びをして見ると、案の定、為三の長屋が全壊していた。為三と女房のお千が半狂乱でけたたましい声を張り上げ人の名を叫び続けていた。野次馬やじうまの一人に訊いてみると、婆さんと赤ん坊が下敷きなっていることであった。

 佐吉は、気の毒にも思ったが、同時に、昨今のこともあり、

(ざまぁみやがれ)

 という心の夜叉やしゃも小さなあわとなってワイフいていた。

(腹も空いたし帰ろうか)

数歩、歩いた時だった。

(人が死にかけてんだ。どうのこうのとか云ってる場合じゃねぇだろう)

 突然、心の中の菩薩ぼさつ目覚めざめたのだ。

 次の瞬間には、

「どいた、どいた、通してくれ」

 と叫びながら人垣をかき分けて入っていく佐吉がいた。

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