第27話 梅二の五重塔

 佐吉は、また元の雪隠大工せっちんだいくに戻って働いた。だが、もう世にねるような気を持つことは無かった。雪隠大工と呼ばれようが、それはそれなりに生き甲斐がいを感じてもいた。少ない工賃ではあるが、屋根を直したり、くずれた土塀どべいを直したりの毎日が日々の生活を支えた。銭は貰えず大根や牛蒡ごぼうを持ち帰ったことも何度もあったが、それはそれで気分は充実していた。日々が大災無く過ぎていくことが、如何に幸せであるかということも悟ることもできた。


 晩秋の涼しい風が吹く頃、佐吉は、御家人屋敷の修理の帰りに、常光寺の近くを帰った。甚五郎も一緒だった。甚五郎も佐吉が棟梁を退くとともに普請から引き、あぶれていたのだ。佐吉は残るように云ったのだが『乗り気がしない』と云って気かなかった。この天才肌の男は、気分が乗らないとなると何月なんつきでも細工物をしない。それを知っている佐吉は、あえて無理強むりじいはしなかった。

 だが、その後は、甚五郎も食って行くためには縁側の修理もせねばならない。天下の左甚五郎を縁側修理に使うのも、いささか気が引けたが、二人でする縁側修理もそれなりに面白いものであった。そして、なによりも依頼主が自分たちの仕事に心から感謝し、喜んでくれることが嬉しかった。


「これが梅二の野郎の五重塔ですかい。なるほど見ては悪くありやせんぜ。それなりのもんでやんすな」

 甚五郎が、梅二の建てた塔を見上げて云った。

「ああ、見てはな」

 佐吉は答えた。

「じゃあ、見ての他に何かあるんでござんすか?」

 甚五郎は佐吉の返事に何か感じるところがあったのか、突っ込んできた。

 佐吉は塔を見上げ続けていたが、やがて、大きく息を吐くと、ポツンと云った。

「倒れるぜ」

「えっ、倒れるんでござんすかい」

 甚五郎は驚いて後ずさりした。

「今倒れるってわけじゃねぇよ。甚五郎さん」

 佐吉は、甚五郎の姿を見て笑った。

「いや、吃驚びっくりしましたぜ。でもいつ何時倒れるんですかい?」

「明日かも知れないし、十年後かもしれないし、百年後かもしれない。ちょいと大きな地震があるとこいつぁだめだな。倒れるよ。まぁ大きな地震が無くたって、二百年は無理だな」

 別に悔し紛れくやりまぐれに云ってる分けではなかった。梅二に対する心のしがらみは佐吉の中からはとうに消え去っていた。


「なんでちょいと大きい地震で倒れるんですかい。何で吊るし芯柱かなんて使って、ちょいとやそっとの地震でゃびくともしねぇんだって評判ですぜ」

 甚五郎は、興味を持ったのかさらに訊いてのだ。

「その吊るし芯柱ってのが曲者くけものなんだよ。倒れないのに越したことは無いけど、もし倒れたら、その時は教えてあげるよ」

 佐吉は言葉を濁した。甚五郎に詳しく云って訊かしたら、それを甚五郎が言い触らしでもしたら面倒なことになる。

「そいつぁ楽しみだ。おいらの生きているうちに倒れてくれよ」

 甚五郎は、はしゃいで云った。

「だめだよ甚五郎さん、仮にも御釈迦おしゃかさんさんの骨を納めてるんだ。罰当たりな事は云っちゃいけねぇよ」

 佐吉は甚五郎を窘めた。

「いけねぇ、いけねぇ、こいつぁ、あっしとしたことが。おーい、頑張って百年でも二百年で立っていろよー」

 甚五郎は、塔に向かって叫んだ。

 佐吉は、そのひょうきんな甚五郎の姿に思わず笑みがこぼれた。

「どうだい、たまにはちょいと一杯」

「へいへい、待ってやした。たまにはちょいとやりやしょう」

 晩秋の江戸の日暮れは早い。町は既に夕焼けに染まりからすすずめも人も家路いえじを急いでいた。

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