第23話 吊り芯柱
これより二十年ほど前、先代の豊三が初めて
そもそも、五重塔というものは、同じ面積の土地の上に五重重ねて立ち上げているものだから、面積はあたりの負荷は単純計算で平屋の木造建築の五倍になる。そのうえに強度を増して芯柱を吊り下げるとなると、かなりしっかりとした地盤の上に建てなければならず、もともとが湿地帯で
ただ、豊三が建てたのは、三重塔であり、同じ江戸とは言っても山の手であり、地盤は比較的しっかりしているので、冒険的に吊り芯柱方式を採ることも十分に理解することはできた。また、新しい物好きの江戸っ子気質にも
しかし、その頃、世間の評判をよそに、
「なんか、皆んな
豊三が、
あとで豊三に問うてみたところ、その返答は意外なものだった。豊三の云うには、芯柱を吊り下げた理由は、皆の噂しているような地震や大風の事を考えての事ではなく、あとで芯柱を切る手間を省くためだとの事だった。
塔と云うものは、何度も言うように木造建築としては相当な重いものであり、長い期間のうちに塔全体が縮んでゆく宿命を負っている。重力に逆らう事はできないのだ。だが、一方で芯柱はその『木』という縦に繊維が走る材質として、胴の部分が縮んでも縦の縮みは小さいという特徴がある。つまり、塔全体の縮みに対し、芯柱の縮みは小さいことから
最上部の屋根と芯柱が唯一接合している部分だが、芯柱がいわば突けるような具合になって、そこに
「地震、大風だけだったら、こんな事する分けねぇよ」
ポツンと言った豊三の言葉が、すべてを言い表していた。
ただ、この世界初の吊り芯柱は、この塔が落成してわずか三年後に落雷に遭い消失してしまったので、鋸一本で芯柱を切るというわずかな手間さえも不要になった。
「吊り芯柱は使わわねぇよ」
佐吉は云った。図面を見ていた甚五郎が吊り芯柱を使わないのかと云う趣旨の質問をしたのに答えたのだ。
先代の吊り芯柱の評判は、もちろん浅草寺の五重塔にも採用されると誰もが思っているのものだった。甚五郎が疑問に思ったのも無理は無かった。
「馬鹿野郎、お前らは四代目の指図に従ってらいいんだよ。差し出がましい
富五郎が一喝した。
「吊り芯柱の事はおいらもよく知ってるよ。親方の
佐吉は、そう云って場を納めた。
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