第22話 ストゥーパ

 浅草寺の総建て替えは、まずは塔から始まった。大きな寺に行くと五重塔とか三重塔が建てられていることがある。これらの塔は、寺の装飾的なものだと思われるきらいがあるが、実はそうではない。『塔』、サンスクリット語では『ストゥーパ』と呼ぶが、仏教の世界では、仏陀の遺骨を納める最も大事な建造物であり、これなくして寺院は成り立たないと云っても過言ではないものである。仏陀の遺骨と云うと、そんなものが未だにあるのかと疑問を投げかける向きも多いのではないかと思われるが、とにかく、仏教の世界ではそういう事になっているのであって、ここから先は、凡夫ぼんぷの分け入る処ではない。

 佐吉が五重塔を真っ先に建て始めたのは理由がある。塔というものは、兎に角とにかく、急いで建てなければならないのである。なぜなら、普通の建造物なら、まず屋根を造って雨風を防ぐ手立てをしてから内部の造作に入るのだが、塔という建造物は、何しろ高い建物なのでそういう訳にはいかない。建築途中は、雨風にさらされるし、完成するまでは極めて安定性の悪いものなので、地震でもあれば、目も当てられない事態になることは日を見るよりも明らかなのだ。

 佐吉は、豊三の残してくれた法隆寺や薬師寺などの塔の図面を元に、新たな工夫をいつか加えて何枚か図面を引いてみた。江戸は沼地を埋め立てた上に築かれた町なので、地盤がゆるい上に頻繁ひんぱんに地震が起こる。小さいものなら年に数度は起こる計算だ。言い伝えによると、百年に一回はとてつもないのが起こると云う。長年持たせるつもりなら見てくれ云々はどうでもいい、何よりも地震の事を考えなくてはならない。地震に強いものだと云うと、奈良の法隆寺の者が一番だという云う事は誰よりも佐吉はよく分かっていた。だが、今回は多少事情が違った。

 五重塔で最も重要なのは芯柱である。この芯柱は大きく分けて三種類のものがある。古い方式から紹介すれば、まず、芯柱を土中深く埋め込んで立てるやり方、次に、礎石の上に載せてやり方、そして、上層部から吊るして芯柱を宙に浮かすやり方である。法隆寺のものは最も古いものであり、芯柱を深く埋め込んで立てる工法をとっていた。この方式が地震に対してもっと強いという事は歴史が証明している。

 だが、佐吉は、この江戸の地に一番合っているのは芯柱を礎石そせきの上に載せる方式だと確信していた。この方式では、建物本体部分と芯柱の部分とが分離するになるので重力を分散することができ、地盤の緩さを補う事が出来る。江戸の地、特に下町の辺りは、元々、利根川下流の扇状地に広がった湿地帯で地盤はことのほか緩いのだ。土台をいくら踏み固めようと湿地帯というものは水に浮く浮き草の様なもので、ひとたび大地震のうねりがやって来るとひとたまりもない。そのうねりに対処するためには、本体を少しでも軽くすることだ。同じ法隆寺方式でもできるのだが、これは芯柱の底部を土中に埋めることになるのでその部分が腐りやすいという欠点がある。江戸の下町一帯が元々が湿地だったという事は、土中に埋められた部分が腐りやすいという欠点が、さらに表に出てしまう事になる。佐吉が芯柱を礎石に載せるという方式を採ることは、至極合理的な考えから来ていた。

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