第19話 浅草寺総改築

「もう一篇いっぺんでいいから上方行きてぇなぁ」

 縁側に座って、茜色あかねに染まる晩秋の夕暮れの空を見つめながら、佐吉は、一人言をささやいた。豊三の残した図面を見る度に、その気持ちが大きくなっていた。やはり、図面だけでは分からないところも多い。実際にこの目で確かめてないと納得がゆかないところがずいぶん出て来たのだ。

「そう云えば、棟梁もこの縁側に座って西の空を見ながら、同じ台詞せりふはいいていたっけな」

 今になって、その気持ちが分かり過ぎるほど分かる。当時は、また孫の顔でも見たいか、上方で遊びたいだろうとくらいにしか思ってなかったのか情けない。


「ふうー」

 大きなため息をついた時だった。

「お前さん、お客さんだよ。浅草寺の御住職様と大工頭の木原様がお出でだよ」

 お美代が慌てた様子でやって来て言った。

 客間に入ると、住職の円海えんかいが満面の笑みで迎えてくれた。

「よい話を持って来たぞ。詳しい話は、此処に居られる木原様から聞くがよい」

 そう云うと、円海は、隣に座っている侍の方を見た。

 大工頭と云っても大工ではない。これは幕府の官命で作事奉行の元で公の土木工事や普請を差配する役職の官僚である。したがって、身分は武士であり、身なりも武士のそれである。だが、武士とは言っても職務柄、現場に足しげく通い、職人たちとの付き合いの方が多い。実際、佐吉もこの大工頭の木原清兵衛とは付き合いもずいぶん長く、工事現場などでは冗談なども言い交す間柄である。しかし、今日の清兵衛は、威儀いぎを正して上座かみざに座っていた。


「どのようなご用件でございましょうか」

 雰囲気を察した佐吉が、両の手を付いて問うた。

「うむ、では申す。此処に居られる円海御住職えんかいごじゅうしょく御寺おんてら浅草寺せんそうじをこの度、上様御自らの御発願により総改築をされることに相成った。しかるに、その御用をその土佐屋に申し付ける。これは上様自ら特別の御指名である。謹んで御受け致す様に。なお、これはいまだ内密の事に付き、一切他言無用である」

 清兵衛は、一気に口上を述べた。

 佐吉は、思わず頭を上げた。口上の内容が理解しかねた。何かの普請の話だとは察しが付いてはいたが、ここまでの大規模なものだとは思ってもみなかったのだ。しかも、将軍自らの発願である。その上、直接の指名があったというではないか。一瞬、これは夢ではないかとも思った。

「これ、佐吉、なにをしておる。早く返答申し上げないか」

 見かねて、円海が云った。

「は、はっは、謹んでお受け致します。土佐屋佐吉、せ、せ、精魂込めてやり遂げまする。この度は、わざわざの御足労、まことに有難うございました」

 佐吉は、感激で身が震えた。目には涙が滲んていた。

「良かったのう佐吉。豊三も喜んでおるわい」

 円海が、その場をほぐすかのように言ってくれた。土佐屋の家は浅草寺の檀家で、豊三の葬儀の折りも円海が導引をしたという縁がある。それだけに、円海は佐吉の事を人一倍心配してくれていたのだ。

「何度やっても、こういうのは妙に堅くなっていかんな。肩が凝る」

 清兵衛がそう云うと、つられて二人も笑った。その日は三人とも夜が更けるまで酒を酌み交わした。豊三が亡くなって以来、沈み込んでいた家に久しぶりにやって来た祝いのうたげであった。

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