第15話 法隆寺の五重塔

「佐吉、おめぇ、なな奈良ならとうを見ただろう。分かったかい」

 豊三が、いきなりたずねてきた。法隆寺の五重塔の事であった。

「へい、見るには見ましたが……」

「分からなかったかい。だだだろうな。最初はおおおいらも分からなかったぜ」

 豊三はそう云うと、にやりと笑って続けた。

「あれは文殊様もんじゅさまが造ったんだよ」

「へえ、そうなんですかい」

「ばば馬鹿野郎。もも文殊様が造る分けねぇだろう。文殊様のように頭の良い大工が造ったって言ってんだよ」


 法隆寺の五重の塔は、明らかに他の建築物と構造上の違いがある。高層の木造建築物を造るのには、素材が『木』といういわば脆弱ぜいじゃくなものであるが故の限界がある。二階までの建造物ならば、通し柱を何本を建て、さらに二階部分を軽くすれば、それなりに堅固な建物になるが、四階、五階となるとそうはいかない。しかも、塔という建造物、それが、三重であろうが五重であろうと、一階部分と最上階部分さいじょうかいぶぶんの大きさは、多少はあるとはいえほぼ変わることは無い。つまり、一階部分を大きくし、上の部分の重量に耐えうるようにすることは最初からできないことになっているのだ。

 法隆寺の五重の塔は、建造されて以来、1400年が経つが、その長期にわたる年月の間、塔を支えてきた秘密は、古代の耐震構造たいしんこうぞうともいうべきものにある。『古代』と書いたが、むしろ現代の耐震構造もほぼ同様の原理に基づいている。

 これはよく知られたことだが、五重の塔は、まず、建物を縦に貫く長い芯柱を中心に造られている。そして、その柱を取り巻くように各階が造られ五重構造になっている。ただ、一つの大きな特徴として、各階のつなぎ目が極めて甘く造られ、また、芯柱と各階とは正確には接していないという点がある。つまり、芯柱と塔は独立して建っており、また、各階もそれぞれ独立して重なりあっているのだ。芯柱は塔の中心を貫いて一人寂しく突っ立っているだけで、平時は何の役割も果たしてはいないのである。

 だが、この構造は、ひとたび地震が起こった時に絶大な効果を発揮することになる。揺れは直ちに塔を揺らし始めるが、この構造では、全体が一つの方向に揺れることが無い。各階がそれぞれ独立している構造なので、思い思いの方向にれ、芯柱が塔全体の重心を保ち、各階の揺れを制御すると云うということになる。1400年の長い年月の間には何度も地震に見舞われたであろうし、巨大地震に近いものも幾度かあったであろうが、びくともしなかったのは、この構造ゆえである。いわば、脆弱な構造であるが故に『やなぎ雪折ゆきおれ無し』のことわざ通りの結果となったと云えよう。豊三、佐吉の時代は、まだ、『耐震構造』というような言葉は無論なかったであろうが、彼らには、その理屈がおおよそ飲み込めていた。


「あれは、ワザとの仕事でござんすね」

 佐吉は、豊三に言うと、

「ああ、そうともよ。あれはワザとの仕事よ。もも文殊様の仕事よ」

 豊三は、庭先から見える夕焼け空を見ながらささやくように言った。夕焼け空の向こうには、あこがれ続けた古代の建造物の数々があった。

「もう一篇いっぺんでいいから上方に行ってみてぇなぁ」

 泣き声になっていた。腹の底から絞り出したような声だった。最期まで豊三は一人の職人だった。

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