第14話 手取り足取り

 その時の佐吉が受けた印象は、建築の中の構造部分については大工の技術はだんだん下手へたになっているのだろうかという疑問がいたことである。古いものはほとんどきっちりと木が組まれ、寸分すんぶんすきまも無いものに出来上がっている。時代が新しくなってくれば、手抜きだろうか、それだけの技術が無かったのだろうか、全体的に仕上げが甘いのである。

 戦国の世に建造されたものは、時代が時代だっただけに資金的または時間的余裕が無かっただろうから、多少の甘さは仕方がないであろう。しかし、安土桃山から江戸初期にかけては、内装、改装こそ豪華にいろどられるようになったが、構造部分は関しては明らかに技術的には劣っている。これは、職人の世界で世代間せだいかんに技術の伝承でんしょうがちゃんとなされていないことを物語っている。親方の豊三が、職人としては珍しく、惜しげもなく自分の技を弟子達に伝えようとするのだが、その意図が初めて理解できたような気がした。おそらく豊三も同じ考えに至ったに違いない。

 技術、特にその中でも宮大工という特殊な技術というものは、習得しゅうとくするのに時間がかかる。人生五十年の当時においては、技術習得に与えられた期間は二十年余りに過ぎない。それでは、なかなか技術習得・伝承は難しいものになってくる。其処に、『技は盗んで覚えろ』というような職人の世界の不文律ふぶんりつをそのまま持ち込んでは、難しいというより、極めて困難ということになる。それでも、多くの神社・仏閣が建立される平和で景気の良い時代ならば、盗んで覚えることも不可能ではないだろう。しかし、時代によっては、技術習得に与えられた二十年余りの間、大規模な造営が全くなされないこともある。そうなれば、技術習得・伝承に不可能ということにならざるを得ない。

 技術というものは、発展して行くのが当然の如くに思われているが、発展して行くのは時代のニーズに合ったごくわずかのものであって、むしろ、後退していく技術の方が圧倒的に多いのが現実である。そういったたぐいの技術、つまり、宮大工に代表される技術習得に多大な時間を要する特殊技術に関わっている者たちが、自らの技術を伝承し後代に伝えていくには、弟子たちに、所謂、『手取り足取り』で教えることが必要となってくる。まさに、豊三が佐吉や梅二に対してしてきたことが、この、『手取り足取り』だった。


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